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芳志戸幹雄さんのNHKテキストの記述から [雑感]

以前,芳志戸幹雄さんのNHKテキスト「ギターをひこう」76年上期版にある左手に関しての記事を書きました。

サムネイル.jpgここで,左手の押弦は弦をはさみこむのではなく「置くつもりで」とあります。

ギターの練習生の中には,ネックの裏側の親指と,表側の1指から4指とで強くはさみこむようにして,押弦している方が多いようです。確かにそれでもよいのですが,<中略>押弦は,握力ではさみこむことよりも,親指によって決められたポジションに,1指から4指を置く気持ちで弾いて下さい。

氏は,最初に師事した三木理雄先生の教えを引き合いに出して親指の重要さについて述べるとともに,「押弦は置く気持ち」ということをはっきりと書いています。これは全く近年の脱力した押弦の方法です。しかしその前に「確かにそれでもよい」とも書いているのは,練習生にそういう人が多いのはもちろん,プロでもそういう人が少なからずいたのでは無いかと思います。「確かにそれでもよい」というところに少々遠慮を感じます。

その事は,同テキストの76年下期版を見て,確信に変わりました。
氏は,76年下期版(76年10月〜77年3月放映用)のまえがき部分で,「明日のギターへの接点を」というタイトルで,以下の様に書いています。

あっという間に,半年が経ってしまいました。その間,テキストの内容についてや,レッスンの指導の仕方等についても,多くの方々から励ましのお言葉,そしてまた,ご叱責のお言葉をいただきました。<中略>残る半年の間,このテキストが,みなさんとギターを結ぶなにかを提供できたら,そして,明日のギターへの道のほんの小さな接点でもあってくれれば,そのことを願い努力してみたいと思います。

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76年度後期分のNHK「ギターをひこう」テキストの表紙。
わざわざ,叱責の言葉があったとも書き,それらを踏まえ「明日のギターへの道のほんの小さな接点」としたいとしています。なんと謙虚な言葉かとも思います。「ご叱責のお言葉」にどの様なものがあったか知る由もありませんが,想像するに氏の意図とは異なる全く的外れなものも少なくなかったのでは無いかと思います。おそらく氏の音楽性や当時としては斬新な技術に対して,あるいは取り上げる曲やその難易度についてなどではなかったかと。

当方が独学でクラシックギターを本格開始したのは,74年の荘村清志さんからでしたので,75年の渡辺範彦さん,そして76年の芳志戸さんと,三者三様,個性的な内容だったと思います。荘村さんは当時として標準的な内容だったと思います。渡辺さんはバッハを取り上げていたところがギターを始めたばかりの当方にも斬新でした。

そして,今回改めて芳志戸さんのテキストを取り上げたのは,そのテキストで取り上げられた曲の斬新さだけでなく,何と「『力を抜く』ということ」という記述を見つけた事です。「力を抜く」,すなわち「脱力」というキーワードが市民権を得たのは,かなり最近の事です。当方もこの当時この記述を読んではいて,表面的に分かったつもりでしたが,その真意を全く理解していませんでした。まさしく,「言葉としてのみ知るのではなく,実際に身体で知る」というのは非常にむずかしいことだったわけです。45年も前に29歳の氏がこの事を指摘しているのは驚くべき事です。

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「『力を抜く』ということ」という記述。
45年も経過してこのことに気付いている当方の様な人間もいるという事は,氏の意図した「明日のギターへの小さな接点」の一つにはなっているのかなと感慨もひとしおです。
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風神

私はフォークギターでしたが、当初強く弦を押さえてコードを弾いていました。
指腹に弦の跡がくっきり残るほどで、置く気持ちでの感覚は無かったです。親指にも相当力を入れていたと思います。
慣れてくると、力任せに押さなくても音は出ました。旨く言い表せませんが、常に押さえているのではなく弦を弾く時に押さえに行く感じでしょうか。それが脱力や指を置く気持ちに似た感覚なのでしょうか。
昔の事を思い出し、ふとそんな事が頭よぎりました。
by 風神 (2021-12-29 15:11) 

枝動

こんばんは。
当時、芳志戸さんにはかなりの批判があったのでしょうね。
異説が後には定説になることは、ありますよね。逆も然りですけど。
古い物を残すというのは、正に接点として繋がるんですね。
by 枝動 (2021-12-29 17:30) 

Enrique

風神さん,
握らないと楽器を保持できないという側面もあったと思います。
おっしゃる通り,握るにしろ腕の重みで置くにしろ弾く瞬間さえ押弦力が入れば良いので,その力は最小で良いわけですが,最初は押弦の不正確さを力でごまかすという側面もあったと思います。慣れてくると力が抜けてくるのは自然だと思います。楽器の調整もあります。現在スチール弦の楽器を弾いてみると,昔よりも随分弾きやすいなという印象はあります。
オフという感覚も重要で,移動時に押弦力が抜ければキュッキュッという擦過音も出ないので,現代の演奏家の演奏を聞いてもほとんどその音が出ません。当方は意識的に力を抜くのに40年以上掛かりました。
by Enrique (2021-12-29 17:49) 

Enrique

枝動さん,
芳志戸さんのテキスト見ると,むろん現在としては古いところもありますが,演奏の考え方は最先端を行っていたと思います。信念の人だったと思います。
「脱力」が市民権を得ている現在でさえ「力を抜く」というと「手を抜く」事と勘違いされますから,45年前にこれを言うと相当風当たりがあったのではないかと想像します。むろん「余分な」力を抜くのですけども。

by Enrique (2021-12-29 18:03) 

プー太の父

今年もお付き合いいただきまして
ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
by プー太の父 (2021-12-30 06:59) 

風神

こんにちは。
今年、お世話になりましてありがとうございました。
明年もよろしくお願い致します。良いお年をお迎えください。
by 風神 (2021-12-30 14:32) 

ロートレー

Enrique  さん 本年中はお世話になりました。
良いお年をお迎えください!
by ロートレー (2021-12-30 14:50) 

Enrique

プー太の父さんも,よいお年を。
年次のごあいさついただき,ありがとうございます。

by Enrique (2021-12-31 05:13) 

Enrique

風神さんも,よいお年を。
こちらこそ,ありがとうございました。
by Enrique (2021-12-31 05:15) 

Enrique

ロートレーさんも,よいお年を。
こちらこそ,ありがとうございました。
by Enrique (2021-12-31 06:56) 

oga.

左手といえば、力を入れないとびびって綺麗な音が出ない、という記憶しかありません。きっと押弦や親指の位置などの問題で脱力できてなかったんだろうと想像します。

「ギターをひこう」は阿部保夫さん、荘村清志さんの時はまじめに見て(練習して)ましたが、渡辺範彦さんはまったく記憶がなく、芳志戸幹雄さん、小原聖子さんあたりはちょくちょくしか見てなかった。そしてアントニオ古賀さんが演歌の弾き語りを教えてるのを見て、番組を見るのをやめてしまいました(笑)。芳志戸さんがそんな先見の明があったとは目からウロコです。
by oga. (2021-12-31 18:15) 

Enrique

oga.さん,
「力を入れないとまともに音が出ない」全くそれですね。
曲が難しくなるとどんどん力が入って演奏不能,ムリに頑張ってやると手を痛めましたが,当時は練習が足りない,根性が足りないと言われました。脱力などもってのほか,何を言ってるんだ?と言われたものと想像します。「脱力」がはっきり指摘される様になったのはかなり最近です。2018年10月に日本語版が出た「成功する音楽家の新習慣」では練習の最優先課題になっています。
「ギターをひこう」を私は割としつこく見ていましたが,やはりアントニオさんのセンスにはついていけなかったですね。それが好きな方も少なからずいたのでしょうが,番組の制作方針に疑問を感じました。
by Enrique (2022-01-01 05:52) 

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