Hoppstock編PonceのSonatina原典版について(補足) [雑感]
Ponceの原典版(Urtext)の編著者のHoppstockさんのSonatinaの(楽譜と)演奏に関する,補足というか感想の付け足しです。
感じたのは,原典をいじるから辻褄が合わなくなる。という事です。Hoppstockさんの版はほぼ原典に即したものですが,それでも少し触っています。前々回挙げた,第1楽章のa tempoの位置。それを「訂正」として後ろにずらしているわけですが,そうした上で実際の演奏では小節を1小節すっ飛ばしていました。勝手にa tempoを後ろにずらすから間延びしてしまうわけで,今度はそれを避けるために,実際の演奏では1小節分を無視する。一体誰の間違いだというのでしょう?作曲家は,緊密に設計して書いているはずですから,無邪気にいじると辻褄が合わなくなる一例でしょう。
その事は,第3楽章の終結部に,勝手なフレーズを追加している演奏が多いという事にも共通します。セゴビア版しか手に入らなかった時代には仕方がなかったのでしょうが,作曲家は,展開部にあたる第57小節目からPiu poco lent で,テンポを遅めていますが,セゴビア版ではこれを無視してVivaceで弾き切らせます(譜例1)。当初の勢いを保ちたかったのでしょうが,やはり原典作曲者はテンポを少し緩めたバランスで曲を書いているわけですから,そのテンポ設定を無視すれば,終結があっけなくなるのは当然でしょう。そしてその状態で,終結部を盛り上げたいからと,それらしきフレーズを8小節および16小節挿入して少し間を持たせると(譜例2)。今になって考えれば,作曲者が激怒しなかったのは,よほど人格者だったのか,プレイヤーの方がずっと売れっ子で多数の衆人(評論家なども含めて)に受ける術を身につけていたという力関係のいずれか,あるいは両方だったのではないかと思われます。
もっとも,ポンセがこの曲を書いたのは,1930年の2度目のパリ留学中でしたが,作曲を散々せかしていたセゴビアが改変版を出したのが1939年,むろん生演奏はしていた事でしょうが,更にレコーディングとなると1949年の事で,すでにポンセ(1882-1948)は他界した後でした。
感じたのは,原典をいじるから辻褄が合わなくなる。という事です。Hoppstockさんの版はほぼ原典に即したものですが,それでも少し触っています。前々回挙げた,第1楽章のa tempoの位置。それを「訂正」として後ろにずらしているわけですが,そうした上で実際の演奏では小節を1小節すっ飛ばしていました。勝手にa tempoを後ろにずらすから間延びしてしまうわけで,今度はそれを避けるために,実際の演奏では1小節分を無視する。一体誰の間違いだというのでしょう?作曲家は,緊密に設計して書いているはずですから,無邪気にいじると辻褄が合わなくなる一例でしょう。
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その事は,第3楽章の終結部に,勝手なフレーズを追加している演奏が多いという事にも共通します。セゴビア版しか手に入らなかった時代には仕方がなかったのでしょうが,作曲家は,展開部にあたる第57小節目からPiu poco lent で,テンポを遅めていますが,セゴビア版ではこれを無視してVivaceで弾き切らせます(譜例1)。当初の勢いを保ちたかったのでしょうが,やはり原典作曲者はテンポを少し緩めたバランスで曲を書いているわけですから,そのテンポ設定を無視すれば,終結があっけなくなるのは当然でしょう。そしてその状態で,終結部を盛り上げたいからと,それらしきフレーズを8小節および16小節挿入して少し間を持たせると(譜例2)。今になって考えれば,作曲者が激怒しなかったのは,よほど人格者だったのか,プレイヤーの方がずっと売れっ子で多数の衆人(評論家なども含めて)に受ける術を身につけていたという力関係のいずれか,あるいは両方だったのではないかと思われます。
もっとも,ポンセがこの曲を書いたのは,1930年の2度目のパリ留学中でしたが,作曲を散々せかしていたセゴビアが改変版を出したのが1939年,むろん生演奏はしていた事でしょうが,更にレコーディングとなると1949年の事で,すでにポンセ(1882-1948)は他界した後でした。
2024-04-11 00:00
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