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お楽しみモードと練習モード [雑感]

本ブログを開始したころですから,もう12年前になりますが,「アメリカで開始したクラシックギター」というブログがありました。毎回示唆に富む内容で,本ブログのお手本にしたところがありました。しばらくして突如閉鎖してしまい,その後内容はとうに確認できないのですが,ギターを練習する際の「快適モード」というワードがあったと記憶します。むろん「快適モード」で演奏出来ればいいのですが,記事の主旨は,それと「練習モード」とをきちんと分けないといけないという話だったように思います。

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ここでは,あえて「快適モード」を「お楽しみモード」とでも言い換えてみます。以前「遊び弾き」という語を使ったこともあります。「練習曲はつまらない」という話をよく聞きますが,それはお楽しみモードと練習モードとをごっちゃにした話だろうと思います。むろん,「お楽しみモード」で練習にもなれば理想的でしょう。技術課題の克服が楽しくなればそれに越したことはありません。しかし,「つまらない」となると,苦役になります。たぶん,そういう方は,「聴きなれた有名曲をはやく『お楽しみモード』で演奏したい」と思うのでしょう。

有名曲を弾くのが目的だから,関係ない(様に見える)練習曲をちんたら弾くのはアホらしい,目的の果実を早く取りたいと。しかし,それが困難な位置にあればあるほど,よほど周到な準備をしないと取れません。まっとうな指導者ならば,到底ムリな曲には取り組ませませんが,「この曲を弾きたいために習っているので,ダメなら辞める。」と言われたら,不本意ながらも指導することになるでしょう。

問題となるのはモチベーションの維持なのでしょう。プロセスも楽しめる人なら,標準の段階を踏んで,進んでいけるのでしょうが,「幾多のつまらない曲を弾くくらいだったら辞める。目的の曲のみ弾きたい。」と頑固になると,指導者も苦役でしょうが,それも仕事ですから仕方ありません。子供なら言う事聞かせて標準ステップで行けるのでしょうが,大人だとそうもいきません。大学のサークルなどでは大幅に背伸びした曲を弾くことが多いですから,「カルカッシなんてダッせー」となるのも分からなくもありません。

「チェルニーの練習曲集がつまんないからやらない」と言ったら,「ピアノ辞めた方が良いですよ」と言われそうです。ピアノでは練習曲とは技巧練習だけのつまらないものとされていたのを,ショパンが芸術作品に昇華させたと言われます。ギターではソルのはもちろん,カルカッシの練習曲だって立派な曲になっています。いずれもショパンより先達です。ソルのOp.6と29は難しすぎるきらいがありますが,カルカッシのOp.60は難しすぎず全くもってクラシックギターの基礎と言えるでしょう。何事に関しても基礎の重要性は論を待ちません。音楽性を養うにはOp.59と言われます。カルカッシがつまんないからやらないと言う人は,曲になっていない技巧練習はできるのでしょうか?当方はカルカッシの練習曲をつまらないとは思いませんが,そう思える人には,むしろ,つまらないから有用なのです。ソルの練習曲は素晴らしいのですが,曲として良すぎて却って技巧練習にならないと言われます。技巧よりも音楽の方に目移りしてしまうわけです。音楽として面白くなければ,技巧練習に集中できるわけですから,むしろせっせとやるべきです。

ピアノの素人がアシュケナージの様に弾きたいなどと言う人は余りいなさそう(いるのかも知れません)ですが,ギターでは平気です。昔なら「ジョンの様に弾きたい」,「ブリームの様に弾きたい」と。距離感が無いわけです。むろん願望は願望で良いのですが,そういう意識が実際の練習にまで反映してしまうのでしょう。途中の省略です。例えば沢山ある練習曲集をやるのはめんどいから,最終曲だけやる。一足飛びにプロの演奏をやりたい。弾ける気がしてしまうのでしょう。

昔の人の弾きたい曲なら,アルハンブラ,アラビア,魔笛,大聖堂などが定番でしょう。今の人なら,アサドやピアソラ,ディアンスやヨークの曲を弾きたいと言うかもしれません。ヴィラ=ロボスのプレリュード第1番やアストリアスを弾きたいという願望は昔からあります。これが弾ければ,途中のツマラナイ練習曲など省略したいと。しかし,どの曲をとってもテクニックが特殊だったりして,その曲そのもので色々いっぺんに技術練習してもぜんぜん足りないと思いますが,むしろ特殊だから,徹底して練習すれば弾けてしまうと言うことはあるようです。しかしそれをやっても他の曲は全然弾けません。アルハンブラは一般には難曲とみられるらしいですが,当方は独学時代割と弾けました。その後やり直しましたが,「不良資産」の一つだと思っています。どうしてもへんな弾き方をしてしまいますので,なるべく弾かない様にしています。「アラビア」は少しマシ,「魔笛」も独学時代闇雲に弾きましたので,不良の部類かなと思います。

さて,練習モードには技術課題の克服が必要ですし,音楽的要求をどう実際弾く技術に反映させるかが課題となります。練習曲では,それが手を変え品を変え要求されます。したがって練習曲を沢山きちんとやることが,音楽的演奏能力向上のためには不可欠です。独学では好きな曲を弾き散らかす自由があります。当方も独学時代が長かったのですが,勝手な思い込みで随分回り道をしたと思っています。敢えてメリットを挙げれば当方の場合は闇雲に何の曲でも弾いてみたために多少読譜力はついたかなと思います。

自分の弾きたい曲で技術課題を克服するというという考え方もあるでしょう。
しかし,こういう方の演奏を聴くと,音楽が流れていないとか,拍子の間違いがあるとか,そういう事が起こります。一球入魂のように一つの曲だけ長期間練習する方がいます。実際の有名曲は,曲の大半はさほど難しくないですが,一部に難所があるというパターンが多く,いわば難所のみ克服すれば,あらかた出来上がったも同然なのですが,往々にして有名曲の易しいところばかりを頑張って弾いて,最後に難所が残って,もう一息で仕上がらないという事態になります。それは実際には「もう一息」なのではなくて,その曲に必要な技術をマスターしていないのですから,全然ダメなのですが,今度は「そこさえ何とかすれば」曲をものにできると,必死に頑張ります。自分の独学時代の反省ですが,これが,一番まずい事だろうと思います。何とか弾こうと,余分な力を入れたり,息が詰めたり,まるで音楽的でない事をし出します。息を詰めると呼吸困難になって,自然な拍節やら音楽的抑揚やら,何もかもなくなってしまいます。難曲をバリバリ弾きこなすのに,初見で弾けるような曲を全く弾けない方を時折見ます。名手の演奏をひたすらデッドコピーすれば,演奏はそれなりに出来上がります。ある意味能力の優れた人なのだろうと思います。よくぞ弾きこなすものだと。むろんそれに価値を見出せる方にケチをつける気はありませんが,当方はそういう行き方は(つまらなくて)やれないのです。
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たこやきおやじ

Enriqueさん

何のために音楽をやるのか(ギターを弾くのか)は人それぞれだと思いますが、着実に上達していくためには、Enriqueさんが書かれている通りだと思います。(^^;

by たこやきおやじ (2021-04-13 08:46) 

Enrique

たこやきおやじさん,
仰る通りですね。音楽やる目的が人それぞれ違いますから,当方の嗜好を押し売りする積りはありませんが,本ブログの目的は「上達法の模索」ですので,折にふれこの様な憎まれ口を書いています。むろん当方の反省でもあるのですが。
「別に上達のためというわけでは無くて,好きな曲のみ弾ければよい。」という考え方もあると思いますが,好きな曲をよく弾くためには上達しなければならないというジレンマがあります。
別に上達しなくて,弾けない状態を楽しみたいという嗜好は否定しませんが,そういう嗜好の方はこれを読む必要がないということですね。
当方は少しでも上達したいのでより合理的にムダな時間を潰さない方法を模索しています。散々今まで時間のムダをしてきましたので。
by Enrique (2021-04-13 16:53) 

REIKO

>実際の有名曲は,曲の大半はさほど難しくないですが,一部に難所があるというパターンが多く

そうそう、そうなんですよね!
例えば「中級後半くらい」と言われる楽曲があるとすると、本当にその力量がないと弾けない部分はせいぜい1割で、半分以上は初級者でも頑張れば何とかカタチにできたりするものです。
(ピアノ曲だとモーツァルトの「トルコ行進曲」がその典型で、中級後半なのは分散オクターブの箇所だけ)
だからある曲を「(一部の難しい箇所以外)大部分弾ける」人と「仕上げて全部弾ける」人では、たとえ前者の弾けない箇所がたった数小節だったとしても、実力にはかなり差があると思います。

一方で練習曲というのは、それが練習曲として無駄がなく効果的なものであればあるほど、曲の大部分が一定の難しさで揃っているのが普通です。
上級レベルとされる有名曲が「大部分」弾けるから、自分は上級者…と思っている人もいそうですが、それでは上級ベルの練習曲などほとんど弾けないのではないでしょうか?
by REIKO (2021-04-13 22:07) 

Enrique

REIKOさんには楽器は違えど共通認識をいただいています。
程度問題はあるにしても,共通の課題の様ですね。

練習曲を弾きたく無い気持ちとしては,有名曲に取り組むべき技術不足があからさまに出てしまうからかも知れませんが,そうだとすると弾きたく無い人ほどそれが必要というこれまた皮肉な結論になってしまいます。

よくよく考えてみると,その気持ちとしては演奏技術もさることながら,読譜力の課題もあると思います。有名曲(目的とするもの)ならいくら時間掛かってもモチベーションが維持できるが,練習曲(そういう方にとっては手段)に時間掛けるモチベーションは維持できないということなのかも知れません。
by Enrique (2021-04-14 06:46) 

Cecilia

ヴァイオリン再開(?独学からの脱出?)した理由の一つが、コロナで声楽活動がしにくくなったことです。演奏活動自体難しいですが、今活動している場所で歌のかわりにヴァイオリンをやってみたらどうかと思い再開しました。目標は易しい童謡唱歌を美しい音で弾く、というもので簡単なようではあるけれど美しい音を出すのが難しいです。
この目標達成のためには左手の技術よりも右手の技術が重要になります。音程の正確さも重要ですが、エチュードをたくさんこなす必要はとりあえずないかもしれません。
私としてはレッスンは期間限定で受講予定でしたが、思っていた通りやめられなくなってきました。(笑)それとエチュード練習が楽しくなってきました。ヴァイオリンで弾きたい曲はありますが、いきなり難しい曲を弾くのは大変ですし、それよりも今の自分に近い課題でちょっと頑張れば形になるエチュード(カイザーと音階)を音楽的に仕上げていく過程が楽しいです。
レッスンを受けるようになり、月一回のその日まで目標を持って練習できるようになったのは良かったです。また先の曲を練習することもありますが、無限に時間があるわけではないのでだらだら練習にならないのがかえって良いみたいです。
カイザーの最初の方でもなかなか難しいし”つまらない曲”とは言えません。
by Cecilia (2021-04-17 07:56) 

Enrique

Ceciliaさん,
私はギターでカイザーの1番を時々弾いて自分の演奏をチェックしています。現在は音のレガートさが大事だと思っていますので。ギター曲だとベースや伴奏が入っていて却って音がおろそかになりがちだからです。昔はギターの練習メソッドはいい加減だったので,クラリネットの練習曲を弾いたという人がいました。
練習曲の重要性がわかっている人は,一冊終えてもどれか時々弾くと言うことはあると思います。むろん時間があれば一冊通してみても良いのでしょうが。自転車乗りと一緒で一旦掴んでしまえば忘れないという面もありますので。
私は自分の弱点を潰せば音楽が良くなるという経験をしてからは,練習曲の利用は欠かせません。

by Enrique (2021-04-17 11:41) 

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