SSブログ

カヴァティーナ組曲について~その5・Scherzino~ [曲目]

A.タンスマンのカヴァティーナ組曲について,Segovia版とZigante版を比較検討しています。今回は3曲目のScherzinoを見てまいります。

さて一連の記事を書き出してから,一般的な曲の分析にはほとんど触れていない事に気が付きました。もっとも,この曲に取り組まれるような方ならば,曲の分析に関しては各自なされるでしょうから,ここでは版による違いのほか,あまり指摘されていない点に着目してみたいと思います。

ScherzinoはScherzzoっぽい曲の事ですが,このTansmanのカヴァティーナ集の特徴的なムーヴメントの中でも異彩を放っています。

まず構造が違います。古典的,むしろバロック的な佇まいの中に新規さをおさめている他のムーヴメントに比べ,かなり徹底して新しいです。まず曲の構造ですが,他のムーヴメントは大体はABA形式ですが,この曲は特徴的な異なる幾つもの楽節がモザイクの様につなげられていますが,まるで違和感がありません。そしてそれを2回繰り返した後にコーダが付きます。この複雑さと単純さの両立が見事です。変な例えですが,バリオスの曲は部分的には古典的な音楽ですが,違和感を持ったつながりを示すのと好対照です。

さておき,静かながらもサイレンの様に打ち鳴らされるG音のトレモロでスタートします。この8小節がA部分。ここの部分は一見単純そうですが,なんらかの旋法のようです。トレモロのメロディ部分と伴奏部分とがポリモードになっているのかもしれません。

Più vivoで続く第9小節からの6小節は分かりやすいリディア旋法(おそらくC-リディアン)ですが,15小節目はサラバンドと同じB-イオニアンに見え,16小節目でC-リディアン,最後17小節目はB-イオニアンというより普通の属七(B7)のようにも見えます(次のホ長調っぽい独特な経過句につなぐためでしょうか?)。ちなみにSegovia版では,Zigante版の15小節目と16小節目はカットされています。確かにこの15小節目と16小節目はすこし分析も難しいので,その気持ちも分からないでもありませんが,おそらく特徴的なモザイク状の楽節を自然につなぐための作曲技法と思われます。ここをカットしてC-リディアンで音階的に降りてきて普通のB7に飛び込むのは分かりやすくはありますが,少し安直にすぎる気もします。

続く8小節は,問題個所です。ここは既存の旋法ではなく,独自の旋法を使っています。
ここに関しての資料は,現代ギター社'99年臨時増刊「タンスマンとギター」のpp47-48に指摘がありますが,小節番号の指摘がおかしく,どうもショット・セゴビア版では原典から15−16小節がカットされていて2小節分ずれていること誤認して指摘している様で全く参考になりません。この著者は2小節分のずれを1小節分のずれと誤解しているようで,2小節分のずれを考慮すれば,ここの部分は原典と違わないようです。私が持っている3種類の楽譜でもここの部分は完全に一致しています。

もう一つの参考資料は,現代ギター2012年12月号に載った原善伸先生の記事です。原先生もこの部分の違和感を指摘されていて,「タンスマンとギター」の記事を参照されてますます不可解と書いておられます。この記事当時はZigante版は出版されていませんでしたので,無理も無いことと思われます。原先生の解決策は,Schott Segovia版の19小節と24小節をカットすることです。草稿段階で削除すべき小節であったのではないかとの推理です。

たしかにこの様に演奏すれば音の流れの不自然さは解消されますが,この曲は4小節単位の楽節で構成されていますから,ここが3小節-3小節になる尺足らず感は拭えません。草稿段階の譜面で何らかの操作が行われたものかと想像します。そもそも全く同一の繰り返し小節は,プレリュードからバルカローレまでのこの組曲中では唯一サラバンドの中のZigante版では18小節と19小節の繰り返しのみです。ただここの場所においても,補作曲されたDanza pomposaにおいても,ABBAとミラープロジェクションになっているB部分の繰り返しのみです。ここの独特な旋法による下降音形中に突如同一の繰り返しが入るのは考えにくいのです。

ここの走句的な下降音形を構造で表すのもやりすぎかもしれませんが,ここの第19小節からの前半4小節はABBCとなります。続く第23小節からの4小節はABCC'となっています。譜例1にその不対応の様子を色分けして示します。前半4小節と後半4小節とでは旋法を切り替えているのですから,それにプラスして音の並びを変える理由が思いつきません。統一感が必要です。何かを変えたら変えない何かも無いと,出鱈目になってしまいます。旋法を切り替えているので,むしろ音の並びは同じにしないとその変化が際立たず,訳の分からないパッセージになってしまいます。どちらかの形式に統一するとすれば,前半4小節よりも後半4小節のほうが自然ですし,構造的にもABCC'で無理がありません。当方が前回とった方法は,ここでタンスマンが用いている旋法を分析して,後半4小節から前半4小節を復元することでした。

   不対応.png
  譜例1.問題箇所の楽譜の不対応


ただ今回Zigante版で明らかになったのは,かなりの手稿譜でこうなっている(らしい)ことですが,初期の手稿譜がどうなっていたのか,確認したいところではあります。Zigante版19小節目から22小節目(Segovia版17小節目から20小節目)までは,Eの独特な旋法,23小節目から26小節目まで(Segovia版21小節目から24小節目)はAの独特な旋法です。前回取り組んだ時にも書きましたので,ここでは繰り返しを避けます。

この旋法に従っている事に間違いは無いのですが,ここの8小節分の前半4小節と後半4小節の構造の不統一は如何ともし難いものがあります。緻密なタンスマンがこんな不統一をやるわけが無いと思います。単純なミスでしょうか?しかしながら,Zigante版で見る通り,沢山ある草稿がすべてこうなっている(らしい)のです。しかしながら,Zigante版に於いても,ここの部分への言及はありません。

しかし,ここまで変な譜面が書き継がれていることで思い至ることは,これは「確信犯的な妥協策」ではないのかと言うことです。以下,その前提で推理してみます。

まず,タンスマンが当初草稿で書いたと想像される譜面を譜例2に示します。
独特な旋法を用いて同じルールで4小節分降りてくるとすれば,2小節分あれば十分再現可能です。4小節目は3小節目であったことが分かり,さらに4小節目は同じルールで降りてきます。以上をE旋法とすると,以降はA旋法です。この4小節もこのA旋法で同一ルールで降りてくるとします。新たに作った各々4小節目は実は2小節目の1オクターブ下なだけです。これを弾いてみると全く自然です。おそらく,タンスマンの初期草稿はこのようなものであったと想像します。

   タンスマン 草案.png
  譜例2 問題箇所のタンスマンの初期草稿を推測した譜面


ではなぜ不格好にいじったのでしょう?実は後半(23小節目)の頭のバスは1オクターブ下のAだったものと想像します。そうでないと,下がって来た最後のB♭音と半音でぶつかってバスの役目を果たしません。恐らく1点目の困難はこれだと思われます。

譜例3に変更の想像楽譜を示します。23小節目の1オクターブ下のA音はギターで出ませんから,普通に⑤弦開放のA音に変更する。すると,上述の通り下降音形の最後の16分音符のB♭音と半音の関係になってまずい。バスを下げられない以上前の音を上げるしかない。ここは安直な手で,中間に繰り返しを入れて,4小節目で下降音形が下がりきらない様にした。

同じ様な困難が,26小節目から27小節目への移行でも起こります。こちらバスも低いDにしたいのですが,E調弦の楽器では,このDは出ませんから,④弦開放のD音にオクターブ変更した。そうすると,バス音の方が上がってしまうという問題が生じます。バス音が下げられない以上,やはり前の下降音形をいじるしかありません。一番簡単な方法は,前半と同じ様に,2小節目(第24小節)と3小節目(第25小節)とを同じ繰り返しにすることです。これで対応は取れますが,余りにもバレバレですので,こちらは少し方法を変えた。3小節目と4小節目とを「ほぼ」繰り返しにすることです。その際,単純繰り返しの違和感を緩和するために,先頭の音を動かした。これによって,前半4小節よりも後半4小節の違和感は少なくなっています。そこに着目して,後半のルールが正しいものと仮定して,そのルールで前半を復元するというのが,当方の前回の考え方でした。確かにこれによって「オリジナル」よりも違和感は減り,対応関係の形式的統一も図れます。ただし,全く違和感がないわけではなく,降りて来た音が4小節目で淀む感は否めません。

   タンスマン草案変更.png
  譜例3.タンスマンの初期草稿から改変した可能性(いずれも想像)


今回,初期草稿を想像してみて,これが当たらずとも遠からずという感触を得ました。譜例2の初期草稿想像譜面はピアノで弾けば何でもないパッセージです。いわばここの問題は,ギターの音域の狭さにあったのだと思量します。ともあれ,ここの解決方法は,いくつかあると思います。

①タンスマンがそう書いているのだから,譜面通りに弾く
②違和感の少ない後半部分から前半部分を復元する
③タンスマンの初期草稿を想像して弾く

このいずれかとなります。当方は②で弾いていましたが,今回③をやってみます。ただし,続くバスの処理を良く考えないといけません。むろん,①で弾くのも当然ありなわけですが,なぜそうなったのか思いめぐらして,違和感の少ない弾き方をしないといけないと思います。

つづく27小節目からの6小節は,D-イオニアンでプリミティブな舞曲の様です。D-イオニアンも長くは続かず,35小節目から40小節目にかけてたくみにモードを変えながら冒頭のトレモロに戻ります。単純な繰り返しながら,最初のトレモロに戻るところが絶妙です。繰り返しののち,元気の良いコーダで終了します。
nice!(9)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 9

コメント 4

たこやきおやじ

Enriqueさん

セゴビア版はジガンテ版のPiù vivoの15~16小節が無いと思いますが。(^^;

by たこやきおやじ (2020-03-15 00:32) 

Enrique

たこやきおやじさん,
その違いについてもかなり書いているつもりです。
by Enrique (2020-03-15 00:44) 

たこやきおやじ

Enriqueさん

すみません。見間違えていました。(^^;


by たこやきおやじ (2020-03-15 01:03) 

Enrique

たこやきおやじさん,
この件に関しても譜例を示した方が良かったですが,メンドウになってしまいました。
この件がありますので,臨時増刊「タンスマンとギター」の情報はゴミだということが判明しました。
by Enrique (2020-03-15 07:17) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。