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続・妻のギター事情〜ビブラート〜 [日常]

クラシックギターを習い始めた妻のことを書きましたが,その続きです。

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音楽基礎がある上で4年余りやっていますので,習い始めたと言うよりも初級後期か中級編でしょう。
「青本」が,終わったところで,てっきり「次はカルカッシOp.60かな?」と思っていたのですが,流石にまだそれは早い様で,故・三木理雄の名著「ギターのABC」から,いくつか曲を拾い出して,きっちり丁寧にやりましょうという事のようです。

ギターのABC

ギターのABC

  • 作者: 三木理雄
  • 出版社/メーカー: 音楽之友社
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 楽譜
ちなみに,「クラシックギターが弾ける」という人の「自称レベル」で,「『禁じられた遊び』が「そこそこ」弾ける」というものがありますが,これが殆ど当てにならないそうです。「マトモに弾けたのを聴いたタメシがない」というのがプロ講師の言です。この曲は巷間言われるほど易しくはないのです。プロでも舐めてかかるとトチリます。プロでも(だから?)とても嫌な曲だと言われます。実際超有名なプロが放送でとちっているのを聴いたことがあります。少なくとも数年以上きちんと学んだ中級以上の腕できちんとさらわないとマトモに聴かせられません。


それとは別に,音の表現力を身につけるためと思われますが,ビブラートを勉強しましょう。という事になっている様です。まあ,これも私が妻に何か言うとマズいので言わない事にしていますが,左手の脱力が出来ないうちはやらないに限ります。

力を込めて細かい「ちりめんビブラート」を掛けるのがよろしくないのです。これに関しては,当方は最初の独学時代の方が余程自然なビブラートを掛けていたのですが(恐らく,故・芳志戸幹雄さんのTVレッスンがアタマにあったのでしょう),その後ついた師からは「ちりめんビブラート」を教わり,一時期その様にしていました。「ちりめんビブラート」をする理由は,「音に気持ちがこもる」という事なのでしょうが,「音を出す前から」掛けている様な状態は,押弦に余分な力が入る上,そのような音の表現自体が現代の趣味には合わないものでしょう。

掛け方は別として,ビブラートの一般的効用はメロディの自然な抑揚と音の伸びです。開放弦でポーンと鳴った音では,味も素っ気もありません。特に古典やロマン派以降の楽曲には掛けたいですし,バッハであっても強調したい長い音に掛けて悪くもありません。ギターでも弦楽器としての特徴を出したいものです。音色やビブラートなどでの音のニュアンス付けは,鍵盤では(クラヴィコードを除いては)決して出来ない芸当です。殊更にそれを強調多用するのもどうかと思いますが,必要に応じて掛けるのは,こなれた演奏としては必要な事でしょう。

ある程度,中級レベルの色々な曲を弾きこなせるレベルになって,ビブラートは演奏に色気を加える有力な武器になります。


しかしながら。。。
あからさまに言ってしまえば,「マトモに弾けもしないのにやたらビブラートをかけたがる。」と言うのが,シロートの演奏にありがちです。妻の演奏は全くの逆で,全くのノン・ビブラートです。もともとピアノの演奏が専門ですから,ビブラートなるものの意識が無いのです。

バロックやルネサンスはもちろん,古典派以前の曲に,ヘンなビブラートは掛けないのがイチバンです。ただし,全くないというのも味気ありません。むろん,鍵盤はふつうビブラートが掛かりませんが,バッハが愛したと言われるクラヴィコードなる鍵盤楽器は掛かります。楽音の原型が「うた」だと考えれば自然な成り行きです。通常の鍵盤楽器は人為的なビブラートは掛からないものの,ピアノなどは音程の不協和による「うなり」が,ビブラートの代わりかもしれません。

チェンバロでは,トリルなどの装飾を入れまくります。アレはビブラートの代わりと言っても良いでしょう。フランス・バロックのクラブサン曲など,「装飾を取ったら何も残らない」と言われるほどに装飾てんこ盛りです。


ビブラートは,悪く言えば音程のゴマカシでもあります。必要なところにうまくかけるのは効果的でも,例えば,和音などに盛大に掛けると気持ち悪くなります。そういう観点ならいわば必要悪。意味をよく理解した上で,抑制的に掛けるのが肝要と,今は考えています。
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