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イエペスの語り〜再録〜 [雑感]

今年の1月,イエペスのインタビューに関する記事を書きましたが,その時は当該の動画を見つけられませんでした。そのため記憶で書いていましたが,今回残っている動画がありましたので,再確認する事ができました。内容的に大きな相違はなく,ほっとしています。

その上で,その動画を示し,補足などをします。

イエペス1985年の来日時,TVで放映されたインタビュー動画。
1月の記事で,この動画は「1984年か1985年の来日時」としていましたが,この動画の解説に85年と明記されています。また「禁じられた遊び」の件では,イエペス自身が「33年も経ってまだ愛されている」と答えているので,映画の公開時の1952年とも符合します。当時当方は会社でかなり忙しく,ギターはほぼ中断していた時期でしたので,当時の記憶は全くありません。NHKの音楽番組で,有名演奏家などに池田満寿夫と佐藤陽子がインタビューしていた番組の記憶はありますが,おそらくこの回の番組は見ていないと思います。


イエペス(1927-97)は当時58歳。かなり若い時から巨匠然としていました。そのせいか,セゴビア(1893-1987)と比較する人もいますが,34歳も若いですから,次の世代の演奏家と捉えるのが普通でしょう。セゴビアと同時代の演奏家としては,イエペスのギターの師であるレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(1896-1981)とか,強いて挙げればバリオス(1885-1944)とか。セゴビアの時代にはそうそう彼に比肩できる演奏家はいませんでした。

イエペスに戻れば,この動画で彼の人柄がよく伝わってきます。
前回取り上げたのは,技術練習に関しての見解と10弦ギターの説明に関してでした。後者に関しては,本記事でも取り上げた事がありますが,いまだに「音域の拡大」だと言う誤解した解説を見かけることがあります。倍音の成り立ちやその響きの理解が必須です。


このインタビューでの一つのサプライズが,「禁じられた遊び」の有名なテーマ"Romance de Amor"は,イエペスが7歳の時,「母の誕生日にプレゼントした曲」だと言う告白?でしょうか。どういうニュアンスで語られたのか西語での聞き取りが必要ですが,字幕ではそのようになっていました。

アントニオ・ルビーラという元曲の作曲者がほぼ判明している現在では,真面目な彼にとって大変珍しいジョークとも,大ボラともとられてしまいます。何分練習曲ですから,子供の頃よく弾いていたのでしょう。イエペスの母親はギターを弾かないはずですから,曲そのものをプレゼントしたという事はありえないはずで,母親に弾いてあげたというのが真相の様な気もします。あるいは既存の練習曲とも自作曲とも区別がつかなくなっていたのかもしれません。むろん真作者ではなくても,この曲を世界中に広く知らしめ,ギターブームを招いたという功績は十分でしょう。
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