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コメが口に入るまで [日常]

栗を剥きながら思う事」で,米や麦だって同様,口に入るまでに人間が,植物が守る種子の防御線を突破しているという事を書きました。穀物も食べるのは種子ですが,麦やコメも食べるのに一手間も二手間も掛かると。

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当方は,子供の頃,米作をした経験もありますので,その作業などを思い出しながら書いてみます。


まず,種籾から苗代(なわしろ)で田植え用の苗を作ります。
春先は寒い事も多いので,元々熱帯植物である稲を発芽させるには加温した室内やビニールハウス内で作る様です。温度管理やらなにやら難しいこともあるので,専業でなければ,苗は農協などから買ってくる事も多いと思います。当方も実際に苗代を育てた事はありません。安定的に苗代を生産できるようになった画期的な農業技術「保温折衷苗代」は現在でも使われているようです。


田植えシーズンに,苗代で作られた稲苗を田植えします。
田植え前の作業として,田圃を耕起し,水を張り,代かきをし,落ち着いた水面下の泥面に,「転がし」で,苗を植える目印をつけます。クロス箇所に苗を植え込んでいくわけですが,皇居の御用田でもない限り手植えは行われていないでしょう。

現在田植え作業は,殆どが乗用の田植え機ででしょう。
古代農業では,直播きという方法も取られた様で,これは苗づくりも田植えも省略できますが,土地の有効活用(収量)や後々の作業性からして,現在は用いられません。


田植えをして,ほっと一息です。
春の農繁期終了ですが,その後の管理も手は抜けません。
稲が根付いて分蘖(ぶんけつ)し出します。しかし,稗など稲にとっては雑草も出てきますので,まずは草取りが必要です。今はどうするのか知りませんが,私が知るところでは,手押しの鉄の爪のような羽根車がついた器具(「中耕除草機」というそうです)もので,株間を勢いよく掻き上げていきます。これで雑草の根づきを妨害するわけです。雑草を防ぐためだけの作業ですが,結構抵抗がありますし,これを人力でやるのは大変です。耕起作業や代かき作業は人力では無理ですので,その昔は馬や牛を使いました。当方が経験した時代にはエンジン式の耕運機を使っていました。しかし,除草作業は器具を使っても人力,場合によっては手でとっていました。一時期話題になった「カルガモ(アイガモ)農法」は,カルガモやアイガモを田圃に放して,除草作業や,害虫駆除までさせようという方法でした。


田植え後,除草と共に気をつけるのは水の管理です。
水稲は水を切らすとダメですし,むろん稲は水草ではありませんので,被り過ぎてもいけません。
水稲は陸稲(おかぼ)に比べ品質・収量ともに圧倒的ですが,その分手間は掛かります。

田植えから2か月ほどで稲は大きく育って出穂します。特にこの時点では水の管理が重要です。水を切らすと収量激減です。稲が充実してくると,水を段々抜いて行くのですが,その辺の時期ややり方はいろいろノウハウがある様ですが,現在ではその年の天候にも合わせ地元の農林試験場などから指示があるのでしょう。何分大雨や台風など予期しない自然災害も襲います。


虫害や鳥害も存在します。
スズメの害については,昔聞いた中国の有名な話があります。
毛沢東時代,米の収量を上げるために,人海戦術で稲作の害鳥と見られたスズメの撲滅をやったのだそうです。人々は,ドンドン,バンバン,ガンガン,チンチン,あちこちでありとあらゆる音の出る鍋釜等々を叩いてスズメを人のいない音のしない特定の広場に追い込む。そして広場に集められた大量のスズメを火炎放射器で焼き殺したのだそうです。

これでメデタク米の収量は増えると思いきや,以降ひどい不作に襲われてしまったということでした。スズメはコメも多少は食べるが,主に米の害虫も食べていたのでした。スズメがいなくなったものだからイナゴなどの害虫が大発生して,逆に稲を食い尽くしてしまったという,笑えない話でした。

かつてなら,田圃にイナゴがわんさかいました。長野や新潟の山間部では,イナゴを佃煮などにして,貴重なタンパク源にしていました。ウンカは厄介です。小さくて大量発生するとどうにもなりません。スズメやトンボが防除に一役かっていたのでしょう。一時期さかんに農薬が使われた時期もありましたが,生産者側の立場から言えば止むを得ぬところもあったのだろうと思います。

病気もあります。最も恐れられたのが,イモチ病。天候不順などで発生します,これはカビの一種が稲葉を侵すもので,最悪イネが枯死してしまいますので,やはり最低限の消毒剤の散布などは止むを得ないでしょう。


稲刈りからは,秋の農繁期シーズンです。
今でこそ,コンバインで一挙に籾にまでなって袋詰めできますが,かつてなら稲刈りとハサ掛け乾燥,脱穀という作業が必要でした。これらの作業が一挙にできてしまうのが,いわゆるコンバイン(・ハーベスター)すなわち複合収穫機です。これにより農作業は一挙に効率化しましたが,零細農家やかつての当家のような趣味稲作は淘汰されてしまいました。

コンバインを使わない,かつての人力手作業ならば,まずは,稲刈りと稲架(はさ)掛け作業があります。稲刈りは,その昔は鎌で一株一株刈って行きました。稔った稲を片手で掴める位の単位で結え並べて行きます。回収後,稲架(はさ)掛けです。稲架は,収穫後の田圃に丸太を組んで作る場合もありましたが,畔道などにハンノキなど*を等間隔で植えておいて天然の稲架にする事もよく行われました。

田んぼに植えられたハンノキを利用した稲架。新発田屋さんのwebページより。

稲架掛けして,よく天日乾燥した稲から籾を外す作業が脱穀です。稲架掛けした稲を下ろし,脱穀機で脱穀します。その昔は,千歯ゴキというものを使いました**が,趣味農家の当家には古い足踏み式の脱穀機がありました。これは,本体木製で足踏み棒に鉄製のクランク機構と歯車がついていて,沢山の∩ 字型の針金のつめのついた大きなドラム(こぎ胴車)を回します。胴車のフライホイール効果によって,けっこう滑らかに回って面白く,好きな作業でした。

足踏み式は,動力で回すものに進化しました。コンバインに仕込まれているものも原理は同じでしょう。しかし,これは籾を藁から叩き落とすわけです。種籾を作るには,痛めない様に千歯ゴキなどでやさしく扱う必要があります。


脱穀した稲籾は,その後籾摺りをしますが,現代のコンバインで収穫された稲籾は未乾燥ですから,籾での乾燥作業が必要です。かつては稲藁に付いた状態で天日乾燥などをしたわけですが,籾の状態ですから,人工乾燥になります。当然そうしたコメは種籾にはなりません。

普通,農家が行う最終作業は,籾摺りです。
籾摺りは,乾燥した籾から籾殻を剥がして玄米にするプロセスです。

籾摺りは,圧力を掛けて相対するゴムローラの間に籾を通すことによって行われます。そこにはけっこう巧妙な仕掛けがあります。同じ回転数のゴムローラの間に籾を通しても,籾殻は剥がれません。ポイントは,左右のゴムローラの回転数の差です。ローラの回転数の差により,稲籾はゴムローラーの間で転がり,籾が剥がされます。通す籾の量とローラの回転数の差の調整が籾摺り作業のポイントでしょう。上手くきれいに籾殻が剥がされた玄米は下に落ち,軽い籾殻はファンで吹き飛ばされます。質量分析法のように,選別されるわけです。

農家がやるのは,普通ここまでです。
この状態が玄米で,大昔は米俵,今は麻袋や紙袋***に入って出荷されるはずです。むろん自家消費分は小型の精米機などを使ってやるのでしょう。小売価格よりも生産者価格の方が高い,いわゆる逆ザヤの時代では,生産したコメは全部出荷して自家消費米は買った方が得でしたが,それはとうに解消したはずですから,生産農家は自家消費分をよけて出荷するはずです。そのためか地方にはあちこちにコイン精米機があります。コメは精米後日が経つと風味が落ちますので,自家消費分くらいに自前で精米機を持つよりも,コイン精米機を活用する方がカシコイかもしれません。


玄米は,圧力鍋などで炊いて食す事も出来ますが,普通は白米にして食べます。それには精米作業が必要です。よくシロートのジャーナリストなどがやる間違いが,上の「籾摺り」作業と,この後の「精米」作業との混同・同一化です。「籾摺り」は籾から籾殻を取り除いて玄米にする工程,「精米」は玄米から糠を取り除いて白米にする工程です。玄米は栗の渋皮では無いですが,結構丈夫な皮を被っていて水を吸わず,通常の炊き方で炊いても柔らかくなりません。糠層に加え胚芽なども含んでいます。無論それらは栄養価なわけですが,炊けにくく不味い。

稲籾の断面図。 スマートアグリさんのwebページより。


現在スーパーなどで買うコメは,精米の精白比率を質量比で90%ほどにしたものです。
精米の原理は,コメ同士に圧力を掛けてグリグリ・ゴリゴリやって,糠層や胚芽を削り落とすものです。かつては,玄米を白米にすることを,米を「撞(つ)く」とか「搗(か)つ」とか言ったものですが,現在では(当方の知るものでは),螺旋状の(アルキメデスの)スクリューでコメに圧力を掛けてコメ同士切磋琢磨させる精米機を通して精白します。

精米機内を通ったコメは網の上に流して,糠や割米,未熟な「えりご」などを取り除きます。ワンパスの精米機も存在しますが,当方が知るものでは,昇降機で再度精米機に上げて2,3回通していました。そうやって磨き上げたものが,普通に食べる白米です。

なお,精米はワンパスでは,コメに加える圧力が強すぎます。軽めの圧力で回数通すほうが丁寧な仕事で,おいしいコメになります。精米では,コメに圧力を掛けて摩擦するため,コメの温度が上がります。ワンパスの荒っぽい仕事では,コメは蒸された様な状態になり,日持ちがしません。白米は精米後なるべく早く消費するのが良いわけですが,特にそういう仕事のコメでは香りや鮮度が急速に低下します。蕎麦挽きに石臼が良い理由は,蕎麦の粉の温度が上がらないからです。それは精米の場合でも同様です。

食べるコメの通常の精白比率は質量比で90%ほどですが,もっともっと激しく精白するコメがあります。清酒米です。
日本酒の醸造に用いるコメは,食用とは異なる大粒の専用の銘柄米が用いられ,その精白比率は普通清酒でも65%程度,高級な吟醸酒では40%を切るものもあります。玄米は言うに及ばずですが,白米にしたコメにもタンパク質が結構含まれます。食用米では食味よりも栄養価を重視して,八分づきとか(90%精米を十分づきとすれば,92%精米)とかが珍重されますが,酒米では徹底して削り落として,コメの芯のみを用います。アルコール醸造でフルーティな吟醸香を出すには,なるべくでんぷん質だけにしてタンパク質分のイヤな匂いは消し去りたいからです。


酒米の話なども余分に書きましたが,食用米のコメの銘柄なども当方が知る時代とはだいぶ変わりました。昔の銘柄名を挙げても無意味と思いますので挙げません。かつて寿司米には新参者のコシヒカリなどは,モチモチしすぎてダメだと言われたものでしたが,現在では好んで使われます。食味そのものの嗜好もかなり変わってきていますし,消費量自体大幅に減っています。かつての日本人は一人一年間一石(約145kg)のコメを消費したはずですが,現在ではその数分の一ではないでしょうか。だいたいかつてコメを計量するのに用いられた単位の「石」はもちろん,「斗・升・合」などの体積の単位も全く一般的では無いでしょう****。

後注:

*ミドリシジミの食草。何分ハサ掛け用ですから,大きくなり過ぎない様に強く刈り込んで使っていました。趣味農家の当家では針葉樹の屋敷林を使っていました。
**もっと原始的には,稲藁を2本の棒の間に挟んで脱穀したと,小学校の教科書に描かれていました。
***当方が経験した1970年代でも既に麻袋(正味60kg)と紙袋(正味30kg)になっていました。
****一斗缶,一升瓶,一合升などと言ったらピンと来るかもしれません。
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よしあき・ギャラリー

一粒一粒、感謝しながら食べなさい!
子供のころ、父母から教わりました。
by よしあき・ギャラリー (2023-10-04 05:14) 

Enrique

よしあき・ギャラリーさん,
コメ粒を残したりするとバチが当たると言われました。手間暇掛かるという事もありますが,やはり命を戴いているからでしょう。
by Enrique (2023-10-04 07:20) 

バク・ハリー

実体験に基づくお話、大変貴重で勉強になります。
最近では「玄米の無洗米」というのも売っておりますが、あれはどういう状態なんでしょうか?
by バク・ハリー (2023-10-06 14:05) 

Enrique

バク・ハリーさん,
>「玄米の無洗米」
「白米の無洗米」のことだと思いますが,それですと,通常の白米では残る糊粉層までを精米したもので,通常洗って(研いで)取り去る部分までを精米したものです。ただ私は全く洗わなくても良いとは思いません。洗わないと糠臭さは残りますし,つけ置きは通常精米の白米同様に必要ですから,それをしないですぐに炊くとあまり美味しくないご飯になります。ですので,私はあまり信用していません。
by Enrique (2023-10-06 18:14) 

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