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水素は怖いか?怖くないか? [科学と技術一般]

今昔小学校で使われるリズム楽器は「タンブリン」と教えられているはずなのに,殆どの人が「タンバリン」と呼びます。これを「タンバリン現象」と名付けました。何気ない事ながら根深い原因があるようです。

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いささか強引ながら,似た現象に「水素怖い(現象)」があります。水素というと,「爆発」のイメージがついて回ります。当方も20歳前後までそのイメージを持っていました。


そのイメージが消えたのは,大学の研究室に入ってからでした。
研究室で薄膜材料を熱処理する実験をやっていました。むろん真空中でやれば良いのですが,高温に耐える真空装置がありませんでしたので,担当教授に相談したところ,「水素焼鈍したら?」ということになり,水素ボンベからゴム管ガラス管をつないでゴム栓をした石英管に水素を流し,それを電気炉(それも手作りの粗末なもの)に差し込んで加熱するわけです。石英管の反対側の出口から,高温に熱せられた水素ガスが出ます。何分そんな粗末な装置で500〜600℃に熱するわけですから,当方は「命がけ」の様な気がしていました。反対側から高温で出る水素ガスの処理をどうするかを担当教授に相談したところ,事も無げに「火をつけて燃やせば?」と。


実験室へ見にも来ない教授を恨みながら,粗末な装置を稼働させました。何のことはありません。7立米のガスボンベから,ちょぼちょぼ供給する水素を反対側で燃やしてもローソクの火くらいのもの。火が消えない様に注意していれば,何の危険もありません。何分,ボンベから供給される水素の量は僅少ですし,仮に火が消えたって,しっかり換気をしていれば爆発するような事はまずありません。

よく考えてみれば(よく考えなくても),水素原子2個で構成されるH2ガスは,1molあたりの燃焼熱は,例えばプロパンガスC3H8よりずっと小さいのです。同圧力同体積での発生熱量はプロパンの約8分の1です。むしろガス爆発なら他のガスの方がよほど危ないのですが,何故か「水素怖い」というアレルギーがあったのです。


「水素怖い」イメージは,直接的には小中学校の理科実験にあるのではないかと思います。
フラスコなどで,水素ガスを空気と混ぜて「ポン!」と小爆発させて生徒を脅かします*。

むしろ他のガスだと危険過ぎて爆発実験などできないでしょう。
簡単に発生させられて手軽な水素ガスで爆発実験をやった結果,「水素=爆発=怖い」というイメージが出来上がるのでしょう。


むろん水素が怖いという意識は,それだけではなさそうです。やはりナチス・ドイツ時代のツェッペリン飛行船「ヒンデンブルク号」の火災事故でしょう。

ヒンデンブルク号爆発事故(1937年)「水素を使った危険な乗り物」といった大いなる失敗事例として人々の脳裏に焼き付いています。Wikipediaに動画が上がっています(YouTubeからとありますが,同サイトでは再生できません)。
「爆発」と表現されることが多いですが,船体が可燃性ガスの水素で満たされていますから,何かの原因で引火すればすべて燃えるのは当然でしょう。水素は1分を経ずに燃え尽きた様ですが,その後も燃え続けていたのは推進用のエンジンに使った燃料だった様です。

浮揚ガスに可燃性の水素を使うのは危ないという意識は当然あったものの,不燃のヘリウムがアメリカから輸入できずやむなく水素を使ったための悲劇でした。この事故が全世界に「水素怖い」のイメージを強烈に植え付けたはずです。当方も中学での理科実験以前にその知識はありました。

その刷り込みの上での理科実験での体験は,更に実感を伴うのでしょう。


なぜか日本では電気自動車が普及しません。航続距離が短い,車体価格(搭載のLiイオンバッテリー)が高い,充電に時間がかかる,その上に充電ステーションの不足が指摘されます**。むろん電気自動車の長所は走行中にCO2を出さない事ですが,ランニングコストが安い,騒音が少ない,様々な安全性が高い事なども指摘できます。

電気自動車の欠点を解決した優れものが,トヨタのFCV(燃料電池車)「MIRAI」(後注:ホンダもCR-VのFCVを出す様)です。純粋なEVと比べると,航続距離の短さと充電時間の長さという欠点を解決しています。しかも水素を「燃料***」に発電した電気モーターで走るFCVは,EV同様走行中CO2を出さない上に,製造工程での低減も図れます。たとえEVといえども,充電に使う電気が例えば石炭火力で発電した電気ならば,グローバルな環境負荷はエンジン車同様良くありません。

良い事づくめに見えるFCVですが,充電設備以上に設置が遅れているのが,水素ステーションです。水素ガスは,上で見た様に燃焼熱は低く,都市ガスやプロパンなどの燃料用ガスよりも安全****な上,何か技術的な障壁がある様には見えない*****のですが,ひょっとしたら,人々の「水素怖い」という認知バイアスも作用しているのではないか?という気がします。


敢えて言えば,今一番危険な車はガソリン車です。プロパンよりも更に燃焼エネルギーの大きいガソリン(C4H10~C10H22の混合物)をタンクに満載し,エンジン内で電気火花で1秒間に数百回も爆発させて動力を得ているわけです。通常時はコントロールされているとは言え,万一の事故時とか火を吹くのは承知の通りです。本質的には安全な乗り物とは言えません。むろんどの乗り物も,「本質安全」ではなく「制御安全」なわけですが,その制御性からいえば,EVやFCVの方がずっと優っています。しかもEVの欠点を補っているのがFCVなわけですが,その普及の鈍さが「水素怖い」という「認知バイアス」にあるとしたら,残念な事です。


*水素だけでおとなしく燃える実験もやるのですが,爆発のイメージが強くて,多くの人は「そんな事」は忘れてしまうのでしょう。
**例えば,「電気自動車の充電スタンドなんで減ってるの?」など。
***燃料電池とは言いますが,燃やすわけではなく化学反応で電気をとり出します。
****水素ガスは軽く拡散しやすいという特徴を十分把握しての話です。
*****水素ガスのボンベは日本では赤色に決められています。市販の水素ガスは鉄のボンベに入っていますが,鉄の水素脆性の問題や軽量化のためMIRAIでは樹脂製ボンベを使っています。

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よしあき・ギャラリー

未だに水素爆弾が脳裏に焼き付いています。^^;
今盛んに水素エネルギーが叫ばれているようですが、
これからは安全性について、如何に私のような老人を説得していくのかに興味があります。

by よしあき・ギャラリー (2023-09-23 10:50) 

風神

そうでした、中学の理科実験で水素を集めて爆発させていました。
ただ、水素は燃えるけど大爆発はしないというような感覚でした。それに自分の周りで日常に、水素ガスは無いと思ってましたから、怖いと思った事は無いですね^^;
by 風神 (2023-09-23 11:18) 

Enrique

よしあき・ギャラリーさん,
ものすごい「水素怖い」アレルギーがありますね。
今言われている水素エネルギー利用は,単に水素の燃焼エネルギーを得ようと言うものです。石油や天然ガスやLPガスは水素の燃焼分と炭素の燃焼分がありますが,炭素の燃焼分を取り除こうという事です。ご承知の様に地球温暖化に炭素の燃焼はマズいですから。水素は燃やしても水しか出ませんから,最もクリーンなエネルギーという事です。また燃焼電池は燃焼すらさせず電気を取り出そうという事です。
ちなみに,「水素爆弾」のエネルギーは重水素と三重水素の核融合反応によるもので,全く異次元の話です。核融合反応では燃料1グラムで石油8トン分のエネルギーが出ますが,普通の水素1グラムの通常の燃焼では石油3グラム分程度のエネルギーです。200万倍から300万倍も違うものを同列には扱えません。
by Enrique (2023-09-23 14:47) 

Enrique

風神さんの場合は,水素アレルギーはあまり無い様ですね。
水素の燃焼実験では,静かに燃えるものもやるのですが,ポン!と破裂する実験が印象に残る様です。記事に書いた飛行船ヒンデンブルク号の事故の記憶と相まってのものと思います。身近なところではメタンガスの燃焼などは水素ガスに近いものもあるとは思うのですが。
多くの人にとって従来身近になかったものが身近になると抵抗はあるでしょうね。
by Enrique (2023-09-23 14:55) 

バク・ハリー

拙ブログに貴重なコメントありがとうございました。
個人的に、水素エンジン車を怖いとは思いませんが、グレー水素をわざわざ産油国から輸入することについては疑問を感じてしまいます。
by バク・ハリー (2023-09-23 15:11) 

kiyo

Enrique さん、
ヒンデンブルグ号の事故以前、熱気球以外の飛行船は、殆どが、水素だったと伺います。
水素袋と、金属外皮を使用した硬式飛行船は、空の王者だったと思います。
自分も、水素が怖いは、ヒンデンブルグ号の事故から思います。

なお、実際の爆発事故は、ツェッペリン社の自身の調査で、船体外皮に塗られていた酸化鉄・アルミニウム混合塗料が、船体に溜まった静電気が、着陸の為に下ろされたロープと地面との間で発生したスパークから、引火して、船体全体が爆発したと想定されています。

水素であったことが、ヘリウムだった場合よりも、被害が大きくなったようですが、爆発自体は、ヘリウムだった場合でも防げず、中爆発程度にはなって、炎上墜落は防げなかったと推測されています。

by kiyo (2023-09-23 19:17) 

Enrique

バク・ハリーさん,
おっしゃる通りだと思います。グレー分類の水素では化石燃料を燃やすのと変わりません。
余剰電力の貯蔵手段として水素を用いるのが良いと考えています。
by Enrique (2023-09-24 06:01) 

Enrique

kiyoさん,
やはり,水素怖いのイメージはあれでしたか。
火災には必ず引火の火種があるので,ガスがヘリウムであっても,外皮が燃えればガスは抜けますから墜落は免れません。しかし実際に激しく燃えた水素が被害を拡大したのは疑いようの無い事実です。あれほどの事故でも,犠牲者は三分の一ほどですので,ヘリウムを使っていれば犠牲者ははさらに少なかったと予想されます。
by Enrique (2023-09-24 07:05) 

U3

おはようございます。
水素爆弾(水爆)のイメージもあるかもしれません。
いずれにせよ正しい知識を持たず、空覚えの知識で認知バイアスが掛かった結果だと思っております。
『タンバリン現象』同様、日本人は何か一つの印象深い出来事に引き摺られたり、人の噂といったものに影響されやすいしね。まあそれが認知バイアスなんだけど。
by U3 (2023-09-24 08:33) 

Enrique

U3さん,
言葉のイメージは強いと思います。専門知識を要するものの場合はそれでバイアスが掛かる。バイアスという言葉自体(悪い方への思い込みという)バイアスが掛かっていると言う面倒臭い構造になっています。
非合理な思考を合理思考で正そうとして困難なものはあります。
by Enrique (2023-09-24 11:32) 

Ujiki.oO  -->  駄目アプリ

Enrique さん、こんばんは。
かつて豊田が「ぷりうす」を発売し出した時代に、最寄りの販売店で試乗しました。「ガソリンの有効活用として良い!」と実感しました。 次に「自宅で充電できるプリウス」の発売に注目しました。 電気代が高くは無かったので、「ガソリンを消費しないカラクリとして良い!」と思いました。 それでも結局は購入していません。 電気ケツすることが無い、ガソリンさへ補給をすれば良いだけのカラクリはユーザーにとってとても優しくて便利だと思いました。 ところで、「とよたのミライ」の様な水素燃料電池車ではなくて、豊田がガソリンの代替えとして、水素で従来のピストン・エンジンを稼働させる水素エンジン車を世に出したのは、素晴らしいと思います。 以前にもアイデアを紹介しましたが、球形の小型水素タンクを、10個ほど、水素エンジン車のトランクルームの燃料Tubeシステムに詰め込めば、自動的に球形の小型水素タンクを次々と自動交換します。 最寄りのガソリンスタンドに到着したら、好きな個数の球形の小型水素タンクと空になった小型水素タンクとを交換します。 最寄りのガソリンスタンドでは水素の充填を別の場所で行っていますので、ドライバーの待ち時間問題は起きません。 トイレに行ったり、コーヒーを飲んでいる時間で、水素スタンドでは小型水素タンクの交換は十分終わります。 水素スタンドでの待ち行列は起きません! それと法整備を進めて、LPガスを供給する最寄りの販売店が、球形の小型水素タンクを宅配してくれれば、水素スタンドが近隣に無くても自宅で満タン化できますよね。 水素ピストン・エンジン車が日本で広く販売されれば、日本の美しい自然を壊さないで護りながら、CO2を出さない究極のエコの時代の到来だと存じます。
by Ujiki.oO --> 駄目アプリ (2023-09-26 19:20) 

Enrique

Ujiki.oOさん,
おっしゃることが,全く理解できないのです。
私は別の理由で古いガソリン車に乗っていますが,ハイブリッド車は素晴らしいと思いますし,FCVのMIRAIはもっと素晴らしい。しかし普及しないのは,車両の高さと水素ステーションの不備だと考えます。普及すれば価格は下がるでしょうし,水素ステーションなんて,単なるガス屋さんと何が異なるのでしょう?ガソリンスタンドが水素ガスも扱えば良いだけでしょう。ガスチャージは短時間でできますので,敢えてカートリッジにする必要はありません。その方が危険だと思います。トヨタは車載の樹脂製水素ボンベの安全性には相当な配慮を払っています。

水素が良いと認めるならば,それをなぜ燃やさなければならないのでしょう?確かにトヨタさんは,水素を燃やすピストンエンジン車を出しました。MIRAIが余りにも不人気だからやむなくそうしたのだと思います。理想を言っても売れないと商売になりませんから。

そして,なぜ内燃ピストンエンジンが良いのでしょう?熱サイクルは効率が悪いのに,せっかくCO2を出さない水素を使いながら,なぜわざわざ効率悪く危険な使い方をする必要があるのでしょう?

ガソリンエンジンのメリットはガソリン補給が短時間でできることでしょう。ただしそれは非常に危険なガソリンという液体です。京アニ事件の悲惨さでその危険さが証明されたのではないでしょうか?何であれ狂人の手に掛かれば危険ですが,なぜ,危険な燃焼に拘るのでしょう?自分の庭で直火を起こせば,顰蹙ですし,下手をすれば警察に通報されかねません。なのに,皆さん燃焼爆発させる危険極まりないエンジン車を愛用する。

19世紀,自動車が内燃機関になる前は,電気自動車でした。無骨で危険なエンジン車に比べ,ご婦人方はスマートな電気自動車を愛用しました。しかしバッテリーが弱くパワーがなく航続距離が短いので,すぐエンジン車にとって替わられました。

近年,新技術と共に蘇った電気自動車ですが,やはりエンジン車やハイブリッド車よりも航続距離は短い。その点FCVは理想形だと思うのですが,なぜか普及しない。エンジンは前近代的な制御しかできません。電気モーターは先進的な制御ができるのに,普及のため?か水素を燃やして内燃機関に使うという,その退行ぶりには正直がっかりです。
by Enrique (2023-09-26 22:06) 

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