人の意見を聞いてどきっ [雑感]
人の意見には謙虚に耳を傾けたいものですが,案外難しいもののようです。
人の意見を聞かない大きな理由の一つは,何を言われているのか「理解できない」というのがまず大きな原因でしょうか。むしろ,「理解できない」からこそ問題なわけです。重々分かっていることであればすでに改善していますし,相手の指摘事項じたいが不適切なのであれば正しく反論できるはずです。
以前紹介した,クラシックギタリストでもあるジェラルド・クリックスタイン氏の著書「成功する音楽家の新習慣"The Musician's Way"」によれば,問題解決のプロセスとして,
1.問題に気づく
2.問題を切り分けて特定する
3.解決策を実行する
と挙げています。至極当たり前の事ではありますが,まずは第1段階,問題に気づかないことには改善のしようがありません。指導者に指摘されたり,自分の演奏を録音して繰り返し聴いても,気づかない事には同じことです。「ぱっとしない演奏は,演奏者が練習時にそのまずさに気づかなかったのだ」,「気づいたらなら何か対策をとったはず」と,氏は指摘します。問題に気づくには,まずは「謙虚になって」感覚の感度を上げる事が必要と。その上で,取り組む曲のレベル設定や練習計画・方法についての指摘があります。
マズい事には気がついていても,第2段階として問題の切り分けや特定ができなければ,やはり改善のしようがありません。そのためには,問題を具体的にすることと客観的にすることが指摘されています。ただ何となく上手い下手で,それが技術問題なのか音楽の捉え方の問題なのか切り分けられなければ,これまたどうしようもありません。
問題点が具体的・客観的になればそれぞれの性質に応じて様々な対策を取ることができます。むろん自分の実力以上の曲に取り組んでいる場合には,発生する大量の課題を処理し切れないかもしれません。問題点に気づく感度を持った人が,それなりに納得できる演奏に仕上げるためには,処理できる課題量(難易度)の曲を選ぶ必要があるということでしょう。
かつての私の師の発した,「大事なことはお金を払わないで学ぶものだ」という言葉が,今頃になって,時々分かる気がします。
普通は,お金を払ったものに価値を感じます。
しかし時には,私の師が言ったように,案外大事なことはお金を払わないで学ぶことだと。しかしそれは気づきにくいものだとすれば,ますます希少価値です。
あるいは,「どきっ」とかもしれません。
若い頃,故・加藤日出男氏の講演を聴きました。内容は断片的にしか覚えていませんが,氏が客席にやって来て,近くにいる人に(何か訊かれるのかと),「今『どきっ』としましたね!それが生きているという証拠です!」という発言をしました。それまで,学者然とした人の講演しか聞いたことが無かった当方としては,驚きと共に氏の生きざまの一部を見た気になりました。
半世紀経った今でも「どきっ」とする事があるのか?
あるいはそういう窓を閉ざしていないか?
「どきっ」として心臓が止まってしまったらマズいですが,つねに謙虚で柔軟な精神を持っているか?それを自問するこの頃です。
人の意見を聞かない大きな理由の一つは,何を言われているのか「理解できない」というのがまず大きな原因でしょうか。むしろ,「理解できない」からこそ問題なわけです。重々分かっていることであればすでに改善していますし,相手の指摘事項じたいが不適切なのであれば正しく反論できるはずです。
以前紹介した,クラシックギタリストでもあるジェラルド・クリックスタイン氏の著書「成功する音楽家の新習慣"The Musician's Way"」によれば,問題解決のプロセスとして,
1.問題に気づく
2.問題を切り分けて特定する
3.解決策を実行する
と挙げています。至極当たり前の事ではありますが,まずは第1段階,問題に気づかないことには改善のしようがありません。指導者に指摘されたり,自分の演奏を録音して繰り返し聴いても,気づかない事には同じことです。「ぱっとしない演奏は,演奏者が練習時にそのまずさに気づかなかったのだ」,「気づいたらなら何か対策をとったはず」と,氏は指摘します。問題に気づくには,まずは「謙虚になって」感覚の感度を上げる事が必要と。その上で,取り組む曲のレベル設定や練習計画・方法についての指摘があります。
マズい事には気がついていても,第2段階として問題の切り分けや特定ができなければ,やはり改善のしようがありません。そのためには,問題を具体的にすることと客観的にすることが指摘されています。ただ何となく上手い下手で,それが技術問題なのか音楽の捉え方の問題なのか切り分けられなければ,これまたどうしようもありません。
問題点が具体的・客観的になればそれぞれの性質に応じて様々な対策を取ることができます。むろん自分の実力以上の曲に取り組んでいる場合には,発生する大量の課題を処理し切れないかもしれません。問題点に気づく感度を持った人が,それなりに納得できる演奏に仕上げるためには,処理できる課題量(難易度)の曲を選ぶ必要があるということでしょう。
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かつての私の師の発した,「大事なことはお金を払わないで学ぶものだ」という言葉が,今頃になって,時々分かる気がします。
普通は,お金を払ったものに価値を感じます。
しかし時には,私の師が言ったように,案外大事なことはお金を払わないで学ぶことだと。しかしそれは気づきにくいものだとすれば,ますます希少価値です。
◆
「はっ」と気づく瞬間。あるいは,「どきっ」とかもしれません。
若い頃,故・加藤日出男氏の講演を聴きました。内容は断片的にしか覚えていませんが,氏が客席にやって来て,近くにいる人に(何か訊かれるのかと),「今『どきっ』としましたね!それが生きているという証拠です!」という発言をしました。それまで,学者然とした人の講演しか聞いたことが無かった当方としては,驚きと共に氏の生きざまの一部を見た気になりました。
半世紀経った今でも「どきっ」とする事があるのか?
あるいはそういう窓を閉ざしていないか?
「どきっ」として心臓が止まってしまったらマズいですが,つねに謙虚で柔軟な精神を持っているか?それを自問するこの頃です。
目からうろこではないですが、時々、ドキッとします。^^;
by よしあき・ギャラリー (2023-07-25 06:21)
よしあき・ギャラリーさん,
生きている限り,そういう連続だとは思います。
by Enrique (2023-07-25 09:17)
>大事なことはお金を払わないで学ぶもの
独学の身としては、好い先生に付けば、と言う後悔のような思いを持つこともありますが、総体的には後悔していません。それが自分のやり方・生き方なのだろうと考えて。
名演奏家の演奏を聴いて改善点に気づく事もありますが、それはやはり難しく、めったにありません。むしろ最近のYoutubeによるプロの演奏家による解説のなかで、さりげないヒントに「アッ、しまった。今まで何をしていたのだ!?」と衝撃を受けることがあります^^;
by アヨアン・イゴカー (2023-07-25 14:12)
アヨアン・イゴカーさん,
独学の良さもあると思います。
当方は独学も長く,いい歳になってから先生につき,やはりプロの方につく意味は十分あるなと思った反面,良し悪ししの点もあるとも思います。何十年先生についても,単に曲の弾き方を手取り足取り教わるだけだと,独学と大差ないような気もしますし,現在では独学でもYouTubeの視聴などで,刺激を受けるのは上達に十分意味ある事だと思います。
by Enrique (2023-07-26 19:31)