SSブログ

チンクエチェントの「音楽娼婦」(その1) [その他]

イタリア語で500を意味する「Cinquecento; チンクエチェント」とは,イタリアの1500年代の芸術的イヴェントの総称です。イタリアから14世紀に始まったルネッサンスは,16世紀に爛熟期を迎えます。チンクエチェントはその時期からバロック初期にかけた文芸活動の総称です。

Oxford University Pressから,"Early Music"が,ずっと送られてきています。この記事に取り立てて興味を持ったわけではありませんが,この中から,たまにご紹介しても良いかなと思ったものです。

Early Music.PNG
かなり頻繁に発行されており,そうそう目を通せません。


Early Music記事.PNG
今回取り上げた記事。


この記事は,ロンドン大学の研究員のLaura S. Ventura Nieto(女性)のものです。Laura Ventura Nieto, An alluring sight of music: the musical ‘courtesan’ in the Cinquecento, Early Music, caac078, https://doi.org/10.1093/em/caac078 (Oxford University Press 2023)

以下,同論文の翻訳抄録(ほぼそのまま)です。

抄録(の抄録)
娼婦の姿は,当時の文芸作品に登場するが,「音楽娼婦*」は,同時期前半の,さまざまな服装でリュートを演奏する美しい女性(ベル) の肖像画を表すために広く使用されてきた。 本記事は,「音楽娼婦」の概念を問題として,ベルのこれらの描写が,16世紀の視聴者が到達する可能性のあるさまざまな解釈の観点から理解されるべきであるとする。そのような肖像画は,美の熟考である結婚制度などのより高い理想を伝えることができるとすると。Andrea Solario,Bartolomeo Veneto,Parrasio Micheli,Palma Vecchio による,さまざまな服装の美しい女性のリュート奏者の肖像画を事例研究している。

本文
16 世紀の最初の数十年間,ジョルジョーネ (1470 年代–1510),ラファエル (1483–1520),ティツィアーノ (c.1488–1576) などの芸術家は,服を脱ぐさまざまな段階で無名の美しい女性 (ベル) の理想化されたイメージをいくつか制作した。見た目は単純ながら,これらの描写は何十年にもわたって学者たちの大きな関心を集め,ネオペトラルカの傾向,婚約と結婚の伝統,またはイタリアのエリートの間の芸術収集の慣行など[2],より広い16世紀の文化の要素に関連して,その魅力から伝統的にイタリアの娼婦を表現したものと考えられていた[1]。しかし,1990 年代以降,美術史家はこの考えを解体し,代わりにネオ・ペトラルカの傾向,婚約と結婚の伝統,またイタリアのエリートの間での芸術収集の慣行など[2],より広い16世紀の文化の要素に関連してこれらの描写の解釈を広げてきた。

北イタリアの絵画のこのグループは,美しい女性音楽家を描いているものもあるため,音楽学者にとっても興味深いものだ。 一見,これらの描写には共通の官能的要素 (暗黙的または明示的) があり,描写された音楽パフォーマンスを礼儀の文脈の中に置くことができる。 しかし,本記事では,これらの美しい女性音楽家の表現を「音楽娼婦」という包括的な図像学的カテゴリーに割り当てると,その解釈が非常に曖昧になると主張する。 代わりに,私はこれらの肖像画を,イタリアのチンクエチェントにおけるさまざまな美の概念の表れとして探求し,当時の視聴者によってさまざまな方法で解釈された可能性があることを調べる。

美の追求はイタリア ルネッサンスの重要な要素であり,人体 (特に女性の姿) の美を追求することは,この時期に広まったネオプラトン理論に対する芸術的な反応と見なすことができる。 マルシリオ・フィチーノがプラトン思想とキリスト教の理想をうまく融合させたことに始まり,愛の性質に関する対話がイタリアで急増し,美の観察による魂の上昇を提唱した[3]。フィチーノと彼の追随者によると,愛は世界を結びつけるものだと。人間の魂は,地上の美の観察から神の熟考へと至る旅程をたどる。 プラトンのイデアの教義に従い,美の概念は抽象的な実体として存在する。 理想的な美しさの知識は魂の中にすでに存在しており,精神を通してのみ熟考することができる。純粋さを達成するためには,感覚から完全に切り離されなければならない。1530 年代までに,何人かの新プラトニックな作家 (レオーネ・エブレオなど) は,これらのプラトニックな理想をアリストテレスの含意と混合して,感覚にも存在しないものは何もないと提唱し,知覚と経験に由来する認識を擁護した[4]。

チンクエチェントの間,愛の概念は,富,名声,幸運を獲得することへの愛を忘れずに,五感の地上での楽しみから神との非常に知的な出会いまで,多くの形をとっていた。 後でわかるように,描かれた美人は多くのことを表すことができる (学識のある音楽的な宮廷の女性,魅力的なリュート奏者,愛する人の理想,または豊穣な結婚の約束)。 しかし,それらを熟考することによって,所有者は,トゥリア・ダラゴナが主張したように,「恋人にとって美しいもの,または美しいと思われるものを結合して楽しみたいという欲求」を達成することができた。

「愛」とは,私自身の理解と同様に,他の権威者から頻繁に聞いたことによると,恋人にとって本当に美しい,または美しいと思われるものを一緒に楽しみたいという欲求に他ならない[5]。


次ページでは,16 世紀前半に北イタリアで作成された女性のリュート奏者の 4 つの描写を調査することで,「音楽娼婦」を図像的な比喩として問題とする。 娼婦の概念の最初の調査に続き,この記事では,選択された描写を,当時の視聴者によって解釈された可能性のあるさまざまな美の概念の観点から調べる。

Footnotes(脚注;引用文献)
[1] J. Held, ‘Flora, goddess and courtesan’, in De artibus opuscula XL: Essays in honor of Erwin Panofsky, ed. M. Meiss (New York, 1961), pp.201–18; A. C. Junkerman, ‘The lady and the laurel: gender and meaning in Giorgione’s Laura’, Oxford Art Journal, xvi/1 (1993), pp.49–58.

[2] P. Simons, ‘Portraiture, portrayal, and idealization: ambiguous individualism in representations of Renaissance women’, in Language and images of Renaissance Italy, ed. A. Brown (Oxford, 1995), pp.263–311; U. R. d’Elia, ‘Niccolò Liburnio on the boundaries of portraiture in the early Cinquecento’, The Sixteenth-Century Journal, xxxvii/2 (2006), pp.323–50; L. Syson, ‘Belle: picturing beautiful women’, in Art and love in Renaissance Italy, ed. A. Bayer (New York, 2008), pp.246–54.

[3] See, for example, Pietro Bembo, Gli Asolani (Venice, 1505); Mario Equicola, D’alveto di natura d’amore (Mantua, 1525); Agostino Nifo, De pulchro et amore (Rome, 1531); and Leone Ebreo, Dialoghi d’amore (Rome, 1535).

[4] R. Russell, ‘Introduction’, in Tullia d’Aragona, Dialogue on the infinity of love, ed. and trans. R. Russell and B. Merry (Chicago, 1997), pp.37–42.
[5] ‘Amore, si per quanto ho inteso dire da altrui piu volte, & si per quella cognitione che ion e habbiam non è altro che un disiderio di goder con unione quello, o che è bello ueramente, o che par bello allo amante.’ Tullia d’Aragona, Dialogo della infinità d’amore (Venice, 1547), p.25. English translation from Dialogue on the infinity of love, p.69.

*‘musical courtesan’は,普通なら「音楽の娼婦」と訳されます(機械翻訳でもそうなります)。「音楽的な娼婦」とかもしっくり来ませんので,単に「音楽娼婦」としました。

コメントで,「娼婦」ではなく「花魁」が妥当で「音楽花魁」が良いのではないかという指摘がありました。確かに単なる娼婦であればprostituteであり,courtesanはもう少し高級な別物であるという前提の上でも一般的な「娼婦」を採りました。「花魁」は音楽も含めて高い技芸が要求され,それには音楽も含まれ「音楽花魁」では重複表現になることと,この記事では,'musical courtesan'の色んなタイプを指摘しており,それを日本の一時期の高級な職業的名称・レベルに限定してしまっては,筆者の主張と相容れないと考え,そのようにはしません。本記事はあくまで学術雑誌の翻訳であり,予断を避けるべきと考えます。花魁がリュートを弾くはそぐわないので,全て和風にして楽器のリュートを三味線に置き換えることも可能でしょうが,それでは翻訳ではなく翻案という事になります。
(次回につづく)
nice!(31)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

nice! 31

コメント 6

静謐な一日

おはようございます。二週間近くのご無沙汰です。
翻訳文はどうしてこうも分かりにくいのでしょうね。欧米人と日本人の考え方が違っていて当然ですが、それにしても余りに直訳過ぎて、日本語としては理解に苦しむ文章です。
まあ概略が分かる、という程度に考えて読み進めるしかありません。
因みに翻訳ツールDeepLで<musical courtesan>を機械翻訳してみたところ、<音楽家>と訳出されました。更に<courtesan>だけで自動翻訳してみたところ<花魁(おいらん)・傾城>と訳され、僕としてはその実態的様相からすれば『音楽娼婦』よりも『音楽花魁』の方が、ただ春を売る娼婦よりも、より文化的で、形式あるいは儀式的な意味でも、しっくり行くような気がいたします。
by 静謐な一日 (2023-03-08 10:31) 

Enrique

静謐な一日さん,そうですか。
機械翻訳を少々手直したものです。原文で読んでいただくのが最も良いかと思います。確かに高級娼婦という意味では花魁も良いのでしょうが,中世ヨーロッパに「花魁」もちょっとどうかと。記事の全体を読んで見てからの方が良いと思います。少なくとも,musical courtesanが,単なる「音楽家」と訳される事例がある事からしても,取り立てて「花魁」とするのも私にはピンと来ません。
Google翻訳では「音楽の娼婦」と出ていたので,これを「音楽娼婦」としたところに私のオリジナリティを評価してもらえればと思います。
この後はこれで行きます。
by Enrique (2023-03-08 20:27) 

Cecilia

翻訳文、わかりにくいです・・・。
リュートを演奏する女性の絵は結構ありますが、音楽娼婦が多いということなのでしょうか?
確かに花魁や芸者みたいなものなのでしょうね。
by Cecilia (2023-03-09 06:54) 

Enrique

Ceciliaさん,
訳文もさることながら(機械翻訳に意味が通る様,手を入れています)一応は学術論文なのが一般の方に分かりにくい原因だと思います。文献等まとめたもので,はっきり言って大した事言っていないのです。無数にある記事の一つです。1600年からの1世紀の絵画のケーススタディであり,これをもって「リュート奏者に音楽娼婦が多い」という一般化には全くならないと思います。
by Enrique (2023-03-09 09:19) 

静謐な一日

「音楽娼婦」の呼称の件、了解しました。
それと拙ブログへのコメントの追記読ませて頂きました。
これも了解です。ご自分の持論と、科学的な視点を語って頂き、感謝いたします。
by 静謐な一日 (2023-03-12 13:32) 

Enrique

静謐な一日さん,
内容的には花魁や芸者と同じ様なものですが,西洋の話であるので,「音楽娼婦」としました。一応学術論文のようですので,一般呼称としました。
貴記事に非科学的な記述は見られませんが,「スピリチュアル」を語る噴飯モノなものも少なくありませんので,あの様なことを書きました。
by Enrique (2023-03-12 19:50) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。