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手段と目的/原因と結果 [雑感]

この手の事は色々書いて来ました。

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脱力の事をしつこく書いていますが,それは手段目的かと問われれば,当然手段でしょう。目的はより良い演奏であり,それに対する手段です。

「それは手段に過ぎない」とか,手段を軽視するキライもありますが,目的を完遂するためには,正しい手段を用いないと出来ない事も多々あります。脱力もそのような有効な手段の一つといえるでしょう。

しかし,「脱力はあくまで手段であり,目的は良い演奏をすることだ」などと言ったところで,誰も悪い演奏など(多分)したくないわけですから,「良い演奏をする」という自明かつ曖昧な目的をことさら強調したところで意味はありません。むしろ,主題は有効な手段の方に移っているわけです。むしろ練習のプロセスにおいては,「良い演奏をする」ための有効な手段である脱力を目的化しても良いのではないかと思います。むしろ「良い演奏をする」には脱力は必須でその効果は明白なわけですから,必須条件そのものを曖昧にしたままでは良い演奏にもなりようがありません


もうひとつは原因と結果についてです。これは,「因果関係」があるということです。因果関係と間違われやすいのが「相関関係」ですが,違います。何かと何かが関連していると,相関関係があるとみなされますが,それは直ちに因果関係があるとは言えません。原因と結果が逆かもしれないですし,たまたまある条件で第三の要因が介在して,関係がある様に見えているだけかも知れませんので,相関関係は必ずしも因果関係とはいえません

昔,公害問題がありました。
結果的には被害者側は救済されたわけですが,因果関係の証明そのものが結構難しいものだという事が洗い出されたとも言えるでしょう。諸判決がどういう主旨だったかは見ていませんが,少し被害者側に踏み込み,被害者原告側が因果関係の存在を証明するのではなく,被告企業側に因果関係が無いという事を証明させるとでもしないと,難しかったのではないでしょうか。

最近経験した事例では,分かり切っているのに,被害者側が加害との因果関係を証明しないとダメとか言う事があります。損保などの補償が不足した場合です。加害者の保険屋さん側は,とぼけた方が有利です。損害保険業界に力学が分かる人はいないようで,下手に理化学知識があって,真の原因が分かったら却って都合が悪いのでしょう。

原因と結果は,その間に因果関係があって初めてなりたちます。しかしバカみたいな話ですが,世の中には原因と結果を取り違えるような間違い(なのか意図的悪用なのか)が時々あります。結果としてそうなったのに,それを原因とするかのような捉え方です。ここではその詳細は述べませんが。

世の中の健康情報などには,因果関係は勿論のこと相関関係すら怪しいような代物がよくあります。仮に相関関係が認められても,明らかに原因と結果となっているとする因果関係を証明するのは,結構厳格な統計的処理が必要のようです。


昨年の夏,ネット上の広告にインチキ節電グッズがはびこっていました。全く電気理論にそぐわないような代物で,全くのウソ八百でも結構騙される人がいたようです。
論理による推論は何処まで行っても正しいわけですが,途中に曖昧な相関関係が入っていたり,関係のないノイズが入ってたりするとアウトです。全くのインチキは言語道断ですが,効果曖昧なものを売りつける常套手段が「沢山の人が買っている」とか「権威ある大学の人が推薦している」といったものです。インチキ節電グッズの場合は,マトモと思われるページに寄生しているから質が悪かったわけです。そこでは,ウソや大げさに混ぜて,本当の情報も混ぜておくことが必要なのでしょう。感情に訴え,印象操作をする事も有効でしょう。


曖昧なものに騙されて,詐欺に遭わないまでも,ギターの演奏に限らず,たいがい上手く行かないことというのは,全く関係の無い事に努力を払っているか,全く逆の事をしているものです。原因と結果の,因果関係を見つける(理解する)ことの難しさがそこにあるからでしょう。
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風神

原因が分かれば良いのだけれど、分かった所で思い通りの結果になるとは限りません。それは、原因が一つでは無いからでした。
そんな経験を経て、何かに行き詰まると、最初の行程(原因)まで戻るようにしていました。案外その方が正解で、単純に考える事が解決する近道だったように思います。
by 風神 (2022-06-10 21:38) 

枝動

こんばんは。
原因と結果といえば、自分や周りで起こる事は、必然だと思うようになりました。
仏縁頂いて以来、そう思うようになったのですが、因と縁によって物事は起こるべくして起こっていると。
ただ、結果があるから因と縁を探れる訳で、その逆はなかなか計り知れません。
普段の行いが、無心というか深く先を見据えてないからでしょうね。
それじゃあ駄目ですね。為せば成るの精神を持って、どう成るのかを考えないと駄目ですね。
こんな調子で、いつも後から気づいて、反省する身です。

by 枝動 (2022-06-10 23:45) 

Enrique

風神さん,
多くの人からは「簡単に原因が分かれば苦労はないよ」と言う言葉が聞こえて来そうですね。確かに原因が複数あるかもしれないですし、「分かったところで思い通りにはならない」というのは,欲望が真の原因を見えにくくしているのだと思います。損得抜きでないと真の原因は見えにくいと思います。問題の対処の仕方には色々あると思いますが、当方は結果から原因を仮定してそれに矛盾が無いかどうか探るプロセスだと思っています。そうそういつも真の原因が見つかるわけではないですが。

あと思うのは言葉の定義ですね。
脱力の例であれば,脱力そのものの意味が理解されていなければ,原因にも結果にもなり得ません。
by Enrique (2022-06-11 07:29) 

Enrique

枝動さん,
当方も,原因があって結果がある。必然的にそうなっているのだろうと思いますが,自然は必然と偶然の二層構造だと思います。ある面でみれば偶然でも別の面から見れば必然と。
原因から結果を演繹的に推論するのは,理論がしっかりしていればある程度は可能だと思いますが,結果から原因を探る事すら難しいわけですから,日常の行いでそれを実践するのはかなり難しい事なのだろうと思います。
by Enrique (2022-06-11 07:31) 

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