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目標の高さと熱心さと [雑感]

非常に熱心に有名プロの演奏などをコピーする方がいます。

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趣味でやる演奏ですから,いろんなやり方があって良いと思います。アマチュアとして非常に熱心に取り組まれるのは大いに結構です。アマチュアに真似されるというのも,プロにとっては一種の勲章でしょう。


その上で考えます。
クラシック音楽は楽譜に書かれたものを演奏します。
それを用いた演奏はほぼ同じものになります。というか,五線譜での記譜はなるべく同じになる様に工夫されてきたと言えるでしょう。言語や言葉,楽器の壁を越えて,一種の世界共通語です。数式の記述とも似たものがあります。むしろそれで記述できない部分での演奏表現の違いが奏者の個性となります。場合によっては多少楽譜の記述を無視した様な編曲に近い様な演奏表現も,演奏家の個性重視としてはあり得るのでしょう。いずれにせよ,全く自由な創作活動と比較したら極度に制約された表現とも言えるでしょう。

作曲においても,演奏する楽器を無視した作曲はあり得ませんし,演奏側は楽器を想定して作曲された曲を,まずは作曲家の意図を酌みながら演奏します。従って,楽譜に忠実な演奏というのと個性的な演奏表現とは相反するとも考えられますが,当方は必ずしもそうとも考えません。作曲家だって実際の音を聴いて「なるほどそうか」と思う部分もあるでしょうし,意図した表現が現れずがっかりする面もあるかもしれません。作曲と演奏とは車の両輪のようなもので,どちらが偉いとか,どちらが重要とかというものではありません。

「演繹と帰納」とか「理論と実験」とか,「設計と施工(現場)」とか。仕事の立場により考え方の差もあるでしょうが,何方かがより大事というものではなく両者のバランスです。それが偏った時に問題が起こるように感じます。


話がずれそうなので,演奏の話に戻しますと,誰かの演奏を聴いて演奏するという事は,演奏というもともと狭い表現範囲を,更にお手本の演奏者の範囲に狭めてしまう事にならないでしょうか?今まで何度も書いていますが,当方は練習をする前に人の演奏を聴かないというのもその一つの対策ですし,市販の楽譜と言え鵜呑みにしたくありません。運指に関しては,一から自分で付けます。

「そんな事アマチュアには関係ないだろう?」というのはこの際無しです。プロよりもアマチュアの方が凝れる事だってありますし,当方のスタンスは,多少不熱心でも志(目標)だけは高くというものです。

低い目標に非常な努力で臨むよりも,高い目標でじっくり構えた方が楽しいですし,ほんの一部であれ独自の工夫なり表現なりが出来たらそれは望外の喜びです。結果的に誰かと似たものであったとしても,自分でやった満足感は残ります。


むろん,それが当方の趣味嗜好というだけで,人に勧めたりするものではありません。
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Cecilia

声楽を始めたばかりの若いころ海外の有名一流歌手の演奏を真似て歌っていたことを思い出します。もちろん真似ているというレヴェルにも達していなかったと思いますが、自分の中ではかなり真似できていた感覚でした。
最近(主にヴァイオリンですが)お手本になるような演奏をほとんど聴いていません。そのためうっかり間違えた音のまま練習してしまうこともたまにありますが・・・。(カイザーですね。カラオケで練習するため鍵盤楽器で音の確認もできないというのもあります。)
鈴木メソードではお手本のCDをひたすら聴いて練習するとのことですが、私は鈴木教本を使っているだけで付録のCDをまったく聴いていません。
by Cecilia (2022-02-24 06:44) 

Enrique

Cecilaさん,
ひたすら聴いてその様に演奏する。というスタイルもありなのでしょうが,当方は好きではありません。むろん,自分で弾いてから間違って演奏していないかチェックするという意味はあるのでしょうが。逆に,聴きまくってから演奏する人は,音源の無い新しい楽譜とかどうするのだろう?と不思議です。
あらゆる学習法において,理屈を理解することと,ひたすら訓練する事と,両方重要だろうと思います。理屈でなくひたすら訓練でもかなり行けるのでしょうが,当方は苦手です。直ぐ上手くなるよりも,自分で演奏を組み立てられる方が楽しいと思いますね。
by Enrique (2022-02-24 11:15) 

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