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記憶のオーバーライト特性 [演奏技術]

当方は大昔,ディスク・ドライブの技術者でした。その記憶の一つ,オーバーライト特性(Overwrite Characteristics)は,ディスクドライブ装置の記録再生性能を示す一つのスペックです。

現在のHDD装置もそのはずですし,最初取り組んだフロッピーディスク・ドライブもそうでしたが,ドライブ装置内の磁気ヘッドがディスク上の信号を書き換える際,前のデータは消さずに重ね書きするだけです。ディスク内のトラック(ディスク・スタックのHDD装置の場合はシリンダ)がセクターと呼ばれる領域に区画整理されていて,操作としてデータが消されると,ディスクのオペレーティングソフトは対象のセクターごとに印をつけることで,物理的にデータは消さずに論理的に消えたことにします。

古いデータの上に新しいデータを上書きをすることで,元のデータは新たなものに置き換わり,古いデータは物理的にも消去されます。これをオーバーライトと言います。要は,いちいち消さないで,どんどん上書きをしている事になります。これはデジタル信号を飽和記録をしているために出来る芸当であって,同じ磁気記録でもアナログの未飽和記録ではそうはいきません。アナログのオーディオやビデオのテープでも,見かけ上,重ね書き出来る様に見えますが,あれは消去ヘッドが記録ヘッドの前に位置していて,新たな記録直前に古いアナログデータを消しているわけです。消去ヘッドによる直前の消去が十分でないと考える録音技師やマニアの人は,記録済みのテープをそのまま使わずに,予め無録音で消去したり,バルクイレーザー器具を使って消去(消磁:demagnetization)したりしたものでした。デジタル記録の場合は,消去ヘッドは無く,記録ヘッドがそれを兼ねていると言っても良いでしょう。

オーバーライトプロセスの説明図。
低い密度で書かれた記録を高い密度で上書きした際の不完全さを示す。
HDDなどの飽和記録の場合の本質的なオーバーライトの場合でも,元のデータが僅かに残存します。もちろんそれがゼロであれば理想ですが,新たなデータを書いた際にどれだけ元のデータが残存しているかを,S/N比と同じようにデシベルで表したのがオーバーライト特性です。この検査はなるべく不利な条件で行うわけで,より残りやすい長い記録波長で書いた記録をより消しにくい短い記録波長で消したときに残る値の比率です。

オーバーライト特性が良ければ,きれいに新しい情報で書き換えられていくわけですが,この特性が悪いとエラー要因になります。他の様々なエラー要因と合わせて総合的にエラーレートを現実的な値に追い込んで,実用に耐えるものにしたわけです。エラーレートに及ぼすさまざまな要因の中でも,オーバーライト特性はかなり重要な項目だったと思います。

非常に前置きが長くなってしまいました。ここまでならば,マイカテゴリーが「演奏技術」ではなく,「科学と技術一般」にしなければならない領域ですが,ここから話したいのはディスク技術の話ではありません。古い記憶を新しい記憶で書き換える件についてです。古いデータとは昔弾いた曲の記憶,新しいデータは現在の技術でその曲を練習することに相当します。いわば,脳の記憶のオーバーライト特性について考えてみようというわけです。

昔弾いた曲を,ほぼ忘れた積りで新たに練習して弾いていても,随所に知らず知らず古い記憶が出てきてしまうものです。いわば,オーバーライト特性が悪いのでしょう。昔の記憶が弱く,現在の練習法による記憶が強ければ,オーバーライト特性は良くなるわけですが,往々にして,過去の記憶が現在の練習にも悪影響を及ぼすことがあります。

オーバーライト特性を良くするにはどうしたらよいのでしょうか?あるいは,オーバーライト特性じたいは良く出来なくても,アナログテープできれいに再録音するためにする様に,一旦古い記憶を消してしまえれば良いのでしょうが。

この二つの観点から当方の悪癖を考えてみます。
新しい記憶を強めること:新しい技術,強い音で回数弾く。楽器も昔と違うものが良いかもしれません。現在の状態で飽和状態させてしまい,古い記憶が出てくる余地を無くす,と言った事くらいでしょうか。

昔の記憶の消し方: 楽器を抱え込む癖: 姿勢に注意し,古い悪い記憶が出たくても出られない様にする。
左手に力が入る: 親指を離す。左手だけで軽く弾けるかどうかチェック。ON/OFFの意識。
右手が麻痺する: 呼吸法。呼吸位置,息を深くゆっくり,曲に合わせた呼吸,腹式呼吸など実践。

悪い記憶が出てこない様に抑え込むわけですが,後は,逆療法的ですが,敢えてわるい古い癖を出してみて,「こうなったらダメよ」と自分に言い聞かせるというのもアリかも知れません。無意識に出てくるのが悪いので,極力意識下にさらして対処するという事です。

過去に弾いた曲の取り出し方や悪い記憶の消し方に関しては,以前もそういう事を考えてみました。
 
ところてん方式(FIFO)とスタック方式(LIFO)
その時は,FIFO(ところてん方式)とLIFO(スタック方式)を考え,後者の方が良さそうだとか書いています(理由は,新しい方がよりマシだから)。それはいわば論理的な記憶の取り出し方の話でした。今回は物理的な「オーバーライト」の切り口で考えてみたらどうか?ということす。過去の深い記憶が新たな記憶でどれだけオーバーライト出来るか?種々試してみないといけません。むろん,脳の記憶はストレージデバイスのそれのように単純ではなさそうですが,いきなり複雑な事を考えたところで理解できるものではありませんので,案外単純モデルが強い場合もあるのかなと思う次第です。
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たこやきおやじ

Enriqueさん

人は悪い事や、嫌な事はよく覚えていて、良かった事や、嬉しかった事は忘れがちであると言われています。(^^;
昔からの悪い弾き方を忘れて、良い弾き方に直すのは悩ましい事です。理論的にはEnriqueさんの書かれている通りだと思います。私も、それを私流に実践するために悪戦苦闘しています。(^^;

by たこやきおやじ (2020-10-31 10:11) 

Enrique

たこやきおやじさん,
悪い記憶はより強烈だからでしょう。
なるべく早く良い指導を受けるというのは鉄則でしょう。
PTSDの記憶の消し方などの研究はある様です。

by Enrique (2020-10-31 13:38) 

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