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ムダの様でそうでもないものと [雑感]

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アナログ・レコードの音の良さの秘密?に触れました。

そこでは,従来ムダだと思われたもの,むしろ害だと思われたものが役立っていたということでした。雑音であったり,音響振動のフィードバックであったりです。そこで生まれる歪みも音楽的で心地良ければOKと。

そういえば,ムダに見える事でも重要な役割を果たしているものを見出す事が出来ます。
例えば60Hzの電力を50Hzの電力に変えたりその逆をやったりする周波数変換。日本は東西で電気の周波数が別れてしまっています。先日は北海道の地震で停電しましたが,北海道含む東日本の電気が足りないから西日本から送ってやろうとしても,周波数が違うのでできません。周波数が同じであったとしても,ぴったり同期させるという結構難しい操作がが必要ですので,周波数が違うとこれは全くできない相談なのです。現在,50Hzと60Hzの電力の違いを消費者は殆ど気にしなくてもよくはなっていますが,例えば交流モーターの回転数は変わってしまいますので,やはり少しは注意しないといけません。

一般消費者は余り気にする必要はありませんが,電力供給側の周波数変換は面倒です。昔は回転変流器なるものが使われました。例えば60Hz用のモーターで50Hz用の発電機を回すわけです。今から思えばアホみたいですが,パワーエレクトロニクスの進歩していない時代は上手い方法だったわけです。

現在は,一方の周波数の電力を一旦直流に変換して再度もう一方の周波数の電力にインバーターで作り直すということをしていますが,やはり一見ムダな操作にみえます。パワーエレクトロニクスが進歩していますから,上手く波形を切り刻んで周波数変換すればよさそうなものですが,中々難しいようです。いわば途中に直流というバッファをかませている訳です。昔の回転変流器ならば途中に運動エネルギーと言うバッファが介在した訳です。

色んな場面でバッファの重要性はあるでしょう。例えばモノの在庫はムダだからと,極力減らしていたら,サプライチェーンが災害でストップしてしまったため,ほんの小さな部品が足りなくてクルマのラインを止めざるを得なくなった。とか,具体例はいろいろでしょうが人間関係の中にもバッファは重要な役割を果たしていそうです。

話が回りくどくてうんざりする人がいたとします。しかし,式典や会合などでアクシデント的に時間が開いてしまったリした際には,埋め草の話をしてもらう時には最適の人材でしょう。むしろ,てきぱき話をする人は如何に効率よく時間を使うかですから,そう言う際には全く不適です。

働きアリの中には,働かないものも2割程度いるようですが,それを取り除いても残りの8割の中にまた2割働かないものが現れるとの事です*。働かないアリの存在もコロニー存続の為には必要なようです。

一見ムダに見えるものが重要な役割を果たしているという例はあちこちにありそうです。レコードの例もありますが,ムダだと言って切り捨てていると,実は案外重要なものを捨ててしまうということになりかねません。何とは言いませんが,むしろ役立っていそうで役立ってないものをムダというのだと思います。しかし,そう言いだすと何がムダで何がムダでないかなんて全然判別がつかなくなってきます。

多くの人のためなのか,一部の人のためなのか,長い時間スケールの話なのか,目先の話なのか,これによってムダかそうでないかはまるで反転するようです。



*実際にはもう少し細かい話がある様です。
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アヨアン・イゴカー

哲学的な問題のようですね。無価値なものの価値、価値のあるもののなかの無価値。
働き蟻の中の、怠け者。人間の中にも同様のことが見られます。価値がないものを天(≒自然)は産まないと考えられます。無駄な物を作り出すことは、無駄な時間、労力、資材を使ってしまうことになるからです。私は、この夜に存在するものすべてそれ自体が意味を持っている、存在意義があると考えています。
勉強ができる人間ばかりの社会では、勉強ができても少しも出世できません。美女ばかりの学校では、美しいことはなんの長所にもなりません。同一の人間ばかりの社会では、本の僅差が大きな差になり、その僅差で敗れたものが劣等感を抱くことになります。
近年、「優秀な」人たちは、その僅差で勝者と敗者に分かれてしまうようで、能力が無駄になっているのではないかと思います。人口が全世界的に少なかった時代、天才はほんの少数でした。昔超人的と言われた技巧を楽々と弾きこなす演奏家が現在では沢山います。英才教育などもあり、教育がシステム化され進歩しているため、技術面のみについて言えば、不幸な時代であるような気もします。

長々失礼致しました。最近、演奏や作品についてあれこれ考えることが多いものですから。
by アヨアン・イゴカー (2018-11-19 23:30) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,範囲を広げすぎると答えの出ない問題の様です。全てが価値あるものかどうかは別にして,全てに意味はあり存在意義があるというお考えには同意できます。
存在意義なしを言い出すと,線引きが困難になり全てを否定する事になりそうですので。
音楽分野・演奏に限定しても,おっしゃる様に上手い人は沢山いて,何で選別するのかが怪しくなっています。話題性?容姿?所属事務所?コンクール成績?
あらゆる分野でほんの僅差で大きな差が付くというのも確かに大変な不幸ですね。総合的に優っていても弱点で評価されたらかなわない人もいるでしょうし。弱点だらけでも光るものを持っている人が評価される社会が良いとは思いますが,振り落とす社会ならどんどん弱点で落とすのが効率的でしょう。残った人がどういう人かは別として。

by Enrique (2018-11-20 06:31) 

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