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「息子に楽典を教える」の総括 [雑感]

今回シリーズもので,楽典(広く音楽リテラシー)を高校生の息子に教える過程を書いてきました。 ブログに上げたものを上の娘に見てもらい,意見をもらうという形にしました。メールで直接私に意見が来ます。彼女は高校時代一時期音大を目指していましたが(どちらかと言えば楽典が嫌いということもあり)やめて一般大にしました。私の感覚では,もう少しつっこまないと,使えないレベルかなと思っていたのですが,娘の意見は,「難しすぎる。あいつのレベルではドレミファからやらないとダメだ。」とか言っていました。そういうこともあって,レベルを調整しつつ,適当なところで切り上げたのでした(もっとも,これ以上レベルを上げても実用性よりも私の趣味に走るだけかもしれませんが)。

上の娘は小さい時からピアノをやり,先生の数だけはこなしてきました。クラシックでは以前発表会レベルでショパンのバラードやラフマニノフの鐘などを弾いていたのですが,大学のサークルではポピュラー系のオケに入り,今はピアノで弾くジャズにハマっているようです。ジャズで使うコードなんて,結構ムズカシイのを使う気がするので,コードの事もずいぶん分かっているのかと思いきや,彼女が言うには「セブンスなど自分のレベルで辛うじて分かるので,あいつにはムリだ。」と,「こういうコードはこういう押さえ方でこういう音がするんだ!」と教え込んだ方が良いとのアドヴァイスでした。

なるべく系統的にリクツからと思っていた私には,冷水を浴びせかけられたようなものでした。覚えこんで使うだけでは気持ちが悪いので,それよりも,「なぜそうなるのか」,とか「体系がどうなっているか」とかの方が面白いし,ゆくゆくは応用も利くのではないかと思っていたわけですが,どうもそうでもないと。。。私の記憶では,中学で楽譜を読み書きするのに困らない程度の楽典に加え,ソナタ形式などの楽式も習いました。ソナタ形式をやるのですから,2部形式や3部形式,ロンド形式だってやったはずです(確かやりました)。ピアノなどを習っている子は,バカバカしいから聞いていない(と妻が言っていました)し,受験には関係ないとやはり聞かない子もいる。真面目に聞いていたのは損得勘定の出来ないバカなワタシくらいだったのか?!と。学校の音楽や美術って,いったい何なんでしょう?!

ということで,私の音楽的基礎は中学までに学んだことですが,義務教育では,音楽に限らず,結構な事を教えていると思います。音楽や美術はとうに受験科目にも無くなった(私の兄などの年代ではあった様です)ので,余程興味を持つ子ども以外はスルーしてしまうのが残念なところですが,義務教育って結構すごいなと思ったのでした。しかし,とある女流作家の「私は2次方程式など使った事が無い」とかのご意見で,義務教育から2次方程式が消え去り,どの科目も,いわゆる「ゆとり」路線まっしぐらだったのはつい最近。ウチの娘・息子の時代です。高校受験に関わる主要5教科の内容が大幅減になったのですから,わざわざ音楽で面倒な楽典などもやらないでしょう。音楽は楽しく。それはそれで音楽の側面ですから良いのですが。ただより良く楽しむためには,ある程度のリテラシーも必要なのではと思う訳です。

日本人って平均的教養が高いのがウリだったのではないでしょうか?それは義務教育で結構なことが教えられていたのが大きいんだと思います。逆に,「ゆとり」にだってそれなりの思想があったはずでしょう。だから批判を押し切って大々的に実行したのではなかったのですか。即転換されましたが,何かの総括や反省はあったのでしょうか。塾などでは,中学受験で小学生のうちからずいぶんと難しい内容を教え込むそうです。どうやら難しいことをやるのは,受験を突破するためだけのもののようです。ムズカシそうなものを考えるのは止めて,結果だけありがたく頂戴しようというのも一つの行き方ではあります。むしろ,世の中それで動いています。「思考の経済」という考え方もあります。しかし,物事の原理や仕組みが分かる楽しさというのは他に代えられないものだと思うのですが,おじさんの戯言でしょうか。


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lequiche

楽典の連載、面白かったです。
でも現実には、音楽的知識というのは一般的には高くないと思います。
たとえば4分音符とか8分音符くらいの、
よく使う音符の音価程度ならわかるのですが、
2分音符とか全音符あたりになると
「?」となってしまうのが
平均的な人々のレヴェルのような気がします。

私は高校生の時、音大を受験する同級生に、
長3度とか短6度みたいな音の間隔の見分け方を
レクチャーしたことがあります。
その程度の知識でも音大合格してました。

理論より実践というのは演奏者自身がそういう教え方をしていますね。
これはジャズ・サックスを習っていた知人から聞いたのですが、
コードに対するチャーチスケールを学ぶ場合、
たとえばドリアスケールだったらそれを各調毎に繰り返して吹き、
ドリアのスケールは隣同士の音がこんな感じ、
というふうに身体に覚えこませるみたいです。
by lequiche (2014-04-23 02:05) 

Enrique

lequicheさん,nice&コメントありがとうございます。
「理論より実践」という持って行き方は,どの分野でも良くあるようです。音程の長短・増減はメンドウで嫌われるツボのようです。さすがにそれの付いたものは中学まででは習いませんでした。
特にプレイヤー系はリクツはなるべく早くスルーして実技に入りたいという欲望はあるのでしょう。理屈よりも感情優先の方が人の心は捉えやすいですし,音楽の一面ではあります。絶対的な原理でもなく人間の活動を体系化したものにすぎないですし。プレーヤーは,一応かじってみるという態度で十分なのかも知れません。
リクツが分った上で,それを感じさせない様な自然な演奏というのが理想ですが,なかなか難しい事です。凡人はリクツを知ると振り回したくなるし,そうすると嫌う人も出て来ます。
by Enrique (2014-04-23 07:53) 

Tommy

初心者の今の私には正直少々難しき感じましたが、これからギターを続けて行くうちに必要になってくる知識だろうと思っております。何か理解に苦しむときは今回の内容を参考にさせていただきます。ありがとうございました。
by Tommy (2014-04-23 09:35) 

Enrique

Tommyさん,コメントありがとうございます。
楽典を全く知らなくても演奏は可能ですし,却ってハートのある演奏だったりします。知ってしまうとそれに縛られることもあるかもしれません。
しかし,クラシック音楽やる上では曲の解析というのが結構重要事項だと思います。私などでも,面倒なのでただ楽譜見て弾きっぱの曲が殆どですが,きちんと解析すれば曲のすみずみまで配慮が行き演奏自体も良くなると思います。そのツールが面倒な楽典なわけですが,どこまでやればよいかという基準も無いので,殆ど必要ないという立場もあれば,いくらでも研究課題はあるということかもしれません。楽曲解析が出来る人にとってはアタリマエのことですし,そうでない人にとっては必要ない知識となるのだろうと思います。
どの分野にも実務家と理論家はいるものですが,それぞれの立場でどれだけ反対側の立場にも踏み込めるかがその立場にとっても深みだろうと思います。
by Enrique (2014-04-23 12:20) 

玉野井徹

楽しく拝見しております。ありがとうございます。
私は13才でギターに出会って幾星霜、59才になりました。音楽がもっと地味に生活に根差すことを百年のスパンで願う者ですが、3.11を持ち出すまでもなく、百年先があるんだろうかという思いが日増しに強くなる事態で、還暦を前に何てこったい…と途方に暮れています。
by 玉野井徹 (2014-04-23 19:05) 

Enrique

玉野井徹さん,コメントありがとうございます。
13歳〜59歳ですか!何年も先輩でいらっしゃいますね。
おっしゃるように,音楽が特別なものではなくて,普通に生活の中で楽しめれば良いと思います。あせらず,ゆっくりというのも必要なことでしょうが,世の中の方が持つのかですね。
by Enrique (2014-04-23 20:02) 

REIKO

このシリーズ、面白く拝見していました。
自分は大体知っていることかな…レベルでしたが、ゼロから順序立て、言葉で説明するのはとても難しいですよね。
(ある程度分かっている人に、少し難しいことをプラスアルファで説明する方がずっと簡単)

それで「こういうコードはこういう押さえ方でこういう音がするんだ!」的な身につけ方は、とりあえず楽器がある程度弾けるようになるまではよくても、ずっとそれではやはりマズいんではないかと思います。
Youtubeでアマチュアの動画を見てると、演奏が「楽譜→身体動作→音」の繰り返しだけで、難しい曲をホイホイ弾いてるのに、全く中身のない演奏をする人が時々いるんですよね。
ただ音が正確に並んでいるだけで、音楽を感じ取っていないまま演奏してるので、聴き手に訴えかけるものが何もないのです。

非常に音楽的感性の優れた人なら、理屈がゼロでも和声の変化から作曲家の意図や音楽の流れを読み取り、それを演奏に反映できますが、それほどでもない普通の人は、理論から学んで気づくことも多いのではないでしょうか。
自分の場合は感覚先行で、それを後から本など読んで勉強し「これでいいんだな」と確認していった感じでした。
「何となく気づく→理論で確認」の繰り返しですね。
だから両方必要だと思います。
by REIKO (2014-04-27 20:15) 

Enrique

REIKOさん,コメントありがとうございます。
自分で分かると言うのと,分からせるというのでは何倍か手間が異なると思います。ましてやゼロからだと特にそうですね。
理屈と実際面は,車の両輪のようなものだろうと思います。
音楽の場合は実際的な感覚先行でよいのだろうと思いますが,確認して先に進むという事はとても大事なことだと思います。音楽の理論なんて感覚先行で出来て来たのだろうと思います。ですので,仰る通り,非常に感覚の優れた人ならば,それに頼って素晴らしい演奏もできるでしょうが,そうでない場合はいくら手が動いてもただそれだけで,残念な事になると思います。言語でネイティブには文法は要らないが,そうでない人には文法が必須の様なものだと思います。理論には長年の人類の英知が込められていますので,それを無視出来る人は余程の才能だろうと思います。
奏法優先のコードブックとかでは,勝手に転回してあったりして却って分かりにくくなっていることも多いと思いますが,実際的でそれが良いという人もいるので何とも言えません(需要があるから供給がある)。「音楽が何か」というのも人によって違いますので,感覚が異なる人に分かってもらうのも難しいところですね。感覚を越えた普遍的な言語として理論の存在理由もあるのだろうと思うのですが。
by Enrique (2014-04-27 22:13) 

アヨアン・イゴカー

>学校の音楽や美術って,いったい何なんでしょう?!
私はこれらの科目があったから、学校で生き残れたのかもしれない、とふと思いました。この2科目が本当に、嘘偽りなく好きな科目でした。この2科目も勉強も求められはしませんでしたし、勉強もしませんでしたが。親友は優等生でしたから、楽典もしっかりできました。
by アヨアン・イゴカー (2014-04-27 23:00) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
この答えは,なかなか一言では難しいのですが,「一部の人には無くてはならないし,芸術文化に触れる本来重要なもの」でしょうか。学習指導要領にはタテマエが書かれているのでしょうが,子供たちにしたら,息抜き,勉強しないで楽しめる科目と言ったところで,それはそれでもいいのでしょう。むしろ主要教科よりも本来の姿かも知れません。私も美術・音楽・技術家庭は大好きで,体育は無い方が良いと思っていました。
by Enrique (2014-04-28 07:35) 

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