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マヌエル・ベラスケス(5) [楽器音響]

 「マヌエル・ベラスケス(4)」より続く。 

「私はその同じ木のスクラップから私の最初のギターを作った。それは1942年であった。」彼の木工知識は,すでにプエルトリコで彼の兄の家具店で働いていた思春期の若者として最初に得られていた。彼の兄弟は同じくクアトロ(注:ラテンアメリカの4弦の弦楽器)を製造していた。「それは虫が私をかんだ所だ。」「私は最近まで「Cipres Canadiense」(我々に西洋の赤い杉として知られているカナダの糸杉,ウェスタン・レッドシダー,Thuja plicata)を使っていた。その結果は,人々に好まれる,よりはっきりとより活気のあるものだ。けれども「Pino Aleman」(ババリアン・スプルース,Picea excelsa)は長い期間ではずっと良い。」 質問されて彼が答えた。「私はシダーでスプルースと同様の結果とするには少し重い状態にしておきます。それは強くないので。」と。

響板の厚みはどうするのですか? 彼は彼の人差し指と親指を目の高さに上げて少し目を細め,まるで想像する響板を感じるかのように,それらをこすってジェスチャーで表現した。「私は,カリパスよりむしろこれらを使用を好む。」 「測定が何であるか私には興味がありません。」 彼の親指と人差し指は,手元にかなり大きく,肉のパッドを持っているように思われた。 「これらのタコは私が表面板を扱う方法の結果,出来ました。」 明らかに,彼はマイクロメーターなしでより良く表面板の寸法を計測できると思っている。なぜなら彼はただ指だけが1つの木のすべての必要な質問をすることができると信じるからである。

ちょうどそのとき,私には,残念ながら,その言葉がギター製作の微妙さを客観化する働きとほとんど等しくないという更新された認識があった。ここに噴水があったのに,私は渇望していた。単なる言葉は,この控えめなマスターによって認識されるようにはギターの中の宇宙を理解する燃えるような必要性を静めないだろう。私の長い検索はまだここでは終わらなかった。

しかし,ドン・マヌエル,彼もまた,ずっと昔この同じ道を旅した旅人は宣言した,彼もそうだった。彼もまだ学生であった。まだ旅行者であった。それで私は分かった。彼のユニークな感性は,とらえどころ無いごく単純な何かとして生まれたと。彼の技能は,親しみから,材木に関する学術的感情移入から,工芸への目的と目標の深い理解から得られた。私がそれに固執するのを選び,私がふさわしいなら,それらの賢いタコは,いつの日か私の指にも現れるかもしれない。

どうかそれをこころよく助けてください...ドン・マヌエル。

(ドン・マヌエルが関節炎のための若干の困難を伴ってステージにあがると,沢山の拍手喝采。彼は冗談に彼の杖を傍らにに置き,私がマーティン氏[出席している C.F.マーティン3世]より歩きづらいと述べる。私はほとんど歩けないと。)

(つづく)


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