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セルシェルのバッハ [演奏批評]

TranscribedBach.jpgG.セルシェルがパリコンでプレリュード・フーガ・アレグロを弾いたのを良く覚えている。FM放送を通してである(FMから録音したテープが今も残っているが,改めては聞いていない)。山下和仁さんが優勝した翌年の78年であった。山下さんの前には渡辺範彦さんが,その後福田進一さんが優勝している。パリ国際ギターコンクールは,ラジオ・フランス主催の,当時最もレベルの高いギターコンクールと言われていたが,私が本格的に再開した10年前にはすでに終わっていた。セルシェルのパリコンの演奏は,現水準からすれば大したことはないかもしれないが,独学のギター学生に衝撃を与えるには十二分であった。弾いたことは勿論なく,聞いた事も初めて。その後,玖島隆明編のピースを入手して弾いた。プレリュードのみ,その頃レパートリーにしていた。セルシェルは11弦ギターで弾いたわけだが,バロック・リュートの曲であり,これがこの曲を聞いた最初だったので6弦ギターでは無理なような気がしていた。余談ながら,当時この曲はバッハ作ではないのでは?という偽作説があった。確かにバッハ的でない風変わりな雰囲気もあるが,現在日本の音大に原譜があり,真作と証明されているようだ。

「彼の11弦ギターは邪道。オリジナルに忠実に弾きたければリュートを弾けばよい。」という批判もあるようだが,これに私は賛同出来ない。彼の美点はやはりギターで生かされると思う。彼の叙情性や現代性は,オリジナル重視のリュート演奏とは合わないと思う。また,「リュート奏者は調弦ばかりしていて,弾いているのを見たことがない」と,当時からからかい半分に言われるくらい,大変な楽器。やはりリュートは専門家が弾くべき。自分も音とその音楽には興味はあるが,オリジナル楽器で弾くには障壁が高過ぎる。

しかしギターはいつまで経っても誤解の多い楽器である。民族音楽やポピュラー音楽にも広く結びついており,そちらが盛んだったりするので,「ギターでバッハが弾けるんですかぁー?」という質問になってしまう。「バッハはギターでなくリュートで」と言うのは,そのような誤解の裏返しでもあるように思う。リュートを用いることで,確かに正統(正当)性は保たれる。しかしその代償も大きい。かつてN.イエペスは,バッハのリュート組曲の録音の為だけにバロックリュートを習得?し,巷間を驚かせた。しかし,曲によっては調弦を変えて弾いたはずだ。イエペスの10弦の低音は弾くためよりも,音を均等に鳴らすための共鳴弦の役目が大きかったので,バロックリュートの代わりにはならなかったのだ。リュートの正統性を得て,歴史的名演とされた。しかし現代の耳で聞くとあまりそうとは思えない。リュートの当時の演奏水準からすれば格段であったのだろうか?昔のジャケットのバロック・リュートを抱えた誇らしげなイエペスの姿ばかり印象に残る。

セルシェルの11弦は,バロックリュートの曲を完全に再現できる。今後とも彼の美しい音と流麗な演奏を望む。少なからぬ誤解と戦いつつ,クラシック・ギターの正統性を保って欲しい。6弦でないとはいえ,ギターでバロックリュートの曲をこの上なく美しく演奏するセルシェルの姿勢は高く評価したい。グールドのピアノによるバッハ演奏はチェンバロでないからダメと言う人はいないはずである。 

今回(昨秋の来日)の目玉は,11弦でのシャコンヌだった。従来,本人はこの曲は6弦の方に合っているという意見だった。バイオリンからリュートと言う楽器を通さずに直接編曲するとすれば,11弦が6弦の派生楽器するならば,論理的に6弦の方が近い。このことは,論理的にというよりもパフォーマーとしての実感だったのでは無いか。しかし,バッハ自身バイオリンやチェロの曲をリュートに編曲していることから,シャコンヌもリュートで弾いても良いとするなら,その代わりである11弦を用いても良い。6弦で弾くよりもむしろ,論理的には近いことになる。NHKでたびたび放映されたようだが残念ながら時間が合わずYouTubeでの視聴となったが,演奏は円熟の境地。何も言えない。譜面を見ながらの演奏には批判もあるかもしれないが,案外11弦での演奏は暗譜がネックになっていたのではないかとも思う。

チェンバロもそうだが,リュートは一旦途絶えた楽器である。私はいずれの楽器も好きだが,自分で弾きたいとは思わない。仮に十分な時間を持っていても両立は無理だろう。


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