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演奏とアカデミズム [雑感]

「アカデミズム」というと,権威臭があっていやだと言う人もいよう。
アカデミックな教育以前にすでに才能を発揮する天才はいる。ギターでは藤元高輝くん,ピアノなら小林愛美さんなどがそうだろう。彼らも,これから羽ばたくためには,さらなる音楽一般の基礎教育も必要であろう。

楽式論.jpgアカデミックな音楽基礎教育にはどのようなものがあるのだろうか?
聴音,ソルフェージュ,楽典,その発展として和声論,楽式論,等々,他に音楽をやるに必ずしも必要でなさそうなものも含まれる。ドイツに留学した知り合いが,Akustikがわからなくていやだと言っていた。(音響学は研究対象としては工学部の範疇だが,日本の音大でもやるようだ。むしろ,建築学では重要。建築は日本では工学部だが,欧米では芸術分野に入るのは承知のとおり。)絵画をやるのに解剖学が必要なように,音楽の基礎も内容は文理の壁を越える。

最近はやらなくなったようだが,小中学校での移動ドによる階名視唱。これは,音感のない指導者(失礼)が音感のある子も無い子もいじめた。これで,どれだけの音楽嫌いを輩出したか?合唱などをやる人たちには必要なのだろうが,全国民になぜそのような変則的ソルフェージュが必要だったのだろうか?

階名視唱は怪しいが,私の基礎音楽レベルは中学高校の音楽授業レベルくらいかなと思う。趣味で音楽をやるには十分かもしれないが,旋法や対位法等が分かれば曲の解釈の上でよいだろうなとは思っている。もちろんプロならば大学レベルの基礎は必要であろう。「ギターは好きだけど,音楽一般は嫌い(あるいはよく知らない)」と言う人がいる。ギターは音楽でないのか?と突っ込みたくなるが,多分そうではなくて,日本では音楽一般は勉強,もしくは教養なのである。幸か不幸か,ギター分野では勉強部分よりも,音楽の楽しい部分がとりあげられた結果の現象だろう。

音楽の道に進もうとしても,楽典などで挫折する子がいる。独学者から見れば,好きな道に進むのに,基礎を身につける多少の辛抱がなぜ出来ないのだろう,何てもったいない,と思う。しかし一方,様々な才能を持った子らに一律に硬直化した教育体制を押し付けるなら,これも批判されてしかるべきだろう。

アカデミズムはいろんな形で演奏に現れる。プロのそれに関しては聴衆が判断すべきことだろう。
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