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アントニオ・ラウロ [曲目]

LauroValse.jpg四つのベネズエラ・ワルツがつとに有名だが,それ以外に良く弾かれる曲目はそうは多くない。セゴビアもジョン・ウィリアムズも共に評価している作曲家である。

2番(アンドレイナ)は,ショパンの様なロマンチックな音階が印象的。3番(ナタリア)は,クリオロ・ワルツとしても(その名でセゴビアが録音したため)有名。いずれも短いが珠玉の名曲。取り組んだのはこれら2曲のみである。特に3番は楽譜を何種類か有するが,皆すこしづつ違っているようだ。写真のものはアリリオ・ディアス編で最も最近手に入れたもので,装丁紙質とも立派のもの。この中でも3番は2バージョンが採録されている。各バージョンそれぞれにも随所にオシア小節があるので,演奏のバリエーション?が際立つ。セゴビアの演奏も影響しているのかもしれない。

いずれも,3/4と6/8の混合拍子であることが,ベネズエラワルツの特徴。

ラウロの略歴をあまり知らないので,以下に,楽譜の扉の内容を書き留めておく。


アントニオ・ラウロとアリリオ・ディアスの伝説的人物はベネズエラの心の記念碑

アントニオ・ラウロという偉大な作曲家とアリリオ・ディアスというヴィルトォーゾそれぞれの創造性がお互いインスパイアされたことによって生み出された並外れた財産であることを思い起こすべきだ。この相互作用は,この見事な音楽の成功および共通の文化遺産の誕生に生かされ,ラウロのギター曲の最良の演奏者として尋常ならぬアリリオ・ディアスの才能を通して実現された。この関係はセゴビアとポンセ,ブリームとブリテンやウォルトンらとの関係と対比しないわけにはいかない。

アントニオ・ラウロ ベネズエラにガーシュィンがいるなら,それはラウロ。

ベネズエラの作曲家中最も有名な彼は1917にCiudad Bolivarで生まれた。父は北イタリアのCalabria出身,ローカル・バンドでサキソフォンやクラリネット,ギターを演奏し,ワルツやマズルカの作曲もする熱心なアマチュア音楽家だった。

父の死後,1926年に若いアントニオは家族とともにカラカスに住み着く。

1931年,彼はEscuela de Musica y Declamacion (現 Escuela de Musica Jose Angel Lamas) で作曲家Narciso Llamozasについて音楽の勉強を始めた。1933年,ラウロの優れたバスは,偉大なVincente Emilio Sojoによって設立された合唱団"Orfeon Lamas" のバスを担当し,すぐ第一ソリストに抜擢された。

1934年,Raul Borgesについて正式にギターの勉強を開始。すぐにギターの頭角を現し,Radio Caracas放送の専属ギタリストとなる。彼はポピュラー歌手の伴奏をし,彼の好きな楽器であるギターの最初の曲を書いた。

1935年,ボーカル・インストゥルメンタル・グループ”Cantores del Tropico"をEduardo Serrano,Marco Tulio Maristany,Manuel Enrique Perez Diazとともに結成。1938年,Eduardo Serranoがグループから去り,三人組で大変成功することになる南アメリカのツアーを開始した。

ラウロは1941年にカラカスに戻り,1942年Vincente Emilio SojoとJuan Bautista Plazaについて音楽の勉強を続けることを決意した。

1947年,音楽の勉強を終える。このころ作曲への受賞が始まる。 彼は教育省によるAnnual Music Prizeを3回受賞した。1947年に弦楽四重奏"Leonald"に,1948年にはギター曲"Pavana al estilo de los vihuelisytas"に,1949年には彼のピアノ組曲から"Cancion y Bolera al estilo criollo" にである。

1950年代,音楽教師となり,ベネズエラ交響楽団の打楽器奏者も務めた。

マルコス・ペレス・ヒメネス独裁の1951年から1952年の間,民主化運動への参加のため数ヶ月間投獄される。 ギターのためのソナタ,ギターのための組曲,という彼の重要な作品はこの時期につくられる。

ラウロはまた,Vincente Emilio Sojo Prizeも3回受賞した。1948年に交響詩"Cantaclaro"に,1955年には交響組曲"Giros Negroides"に,1956年には作曲家Antonio Estevezの指導の下作曲し,アリリオ・ディアスとベネズエラ交響楽団に献呈したギター協奏曲にである。

1958年ラウロはイタリア・ルネッサンスの曲やベネズエラ民謡,自作曲を歌う合唱団,"Madrigalistas de Venezuela"をつくった。

1959-60年,ラウロはベネズエラ交響楽団の主席となる。

1969年,ギタートリオ,"Trio Raul Borges"を彼のギターの師Flaminia de SolaとAntonio Ochoaの名誉として結成。

ラウロはギター独奏者としていくつかのツアーを行い,1980年と1982年にはパリとロンドンでジョン・ウィリアムズとパコ・ペーニャを招いてコンサートを開催した。

1985年ラウロは国民音楽賞をベネズエラ共和国の大統領から受賞。

アントニオ・ラウロは,変化にとんだオリジナル曲,編曲,ギターのためのトランスクリプション,ギターと声楽,ギターとチェンバロ,ギター2重奏,3重奏,ピアノ曲,合唱とオーケストラ曲などを書いた。彼のギター曲はクラシックになっているが,彼の豊富で重要な多くの作品とともに,彼の母国のポピュラーなリズムに影響されている。彼の国際的評判を確立するのを助けた「ベネズエラ・ワルツ」はいまやアリリオ・ディアス国際ギターコンペなど多くのコンペやフェスティバルにおいて重要かつ課題曲でもある。

アントニオ・ラウロは,非常に重要なギターのための作曲家・音楽家で,彼のギター作品はブラジルにおけるビラ=ロボス,パラグアイにおけるバリオスと比べられる。

アントニオ・ラウロは,1986年68歳で死去。彼はベネズエラとギター界の伝説となった。


ジョンの2003年来日の時は,ベネズエラ音楽にご執心状態であった。
Wiki英語版には,上に無い記述もあり,ジョンはラウロのことを「ギターのシュトラウス」と言ったとある。結構この,「ギターの~」というのが昔から多いような気がする。それに,シュトラウスといっても,有名どころだけでも,ヨハン・シュトラウスとリヒャルド・シュトラウス。さあ,いったいどちらのシュトラウスなのだろう?ウィンナ・ワルツにかけて,ヨハン・シュトラウスか?他の曲を聞いてみればその答えが分かるかもしれない。



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青山秀明

ラウロ、いいですね。私はへたながら、El Negrito, La Gatica, Valse Venezolano No.2 などに取り組んで来ました。今度、La Negra を弾きたいと思っています。適切な譜面のお薦めってないでしょうか?
by 青山秀明 (2015-02-16 08:17) 

Enrique

青山秀明さん,ありがとうございます。
ラウロはキャラクターピースとして極めて人気が高いですが,版で結構違うので,その選択が難しいところだろうと思います。
私はベネズエラ・ワルツのNo.2とNo.3を弾いたのみですが,ここに上げたアリリオ・ディアス編は定評のあるところだと思います。
少し真面目に取り組む曲ですと,版は2つか3つ揃える事をしますが,この版ではオシア小節がありますので,部分的に好みにより選択出来ると思います。
by Enrique (2015-02-17 21:37) 

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