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質問力なるもの [雑感]

その様な書籍もあるようですが,当方読んでいませんので思ったままを書きます。

一時期流行った「何とか力」の一種だと思いますが,多くの日本人に欠乏している能力だと思います。

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最高の結果を引き出す質問力 その問い方が、脳を変える!

最高の結果を引き出す質問力 その問い方が、脳を変える!

  • 作者: 茂木健一郎
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/12/02
  • メディア: Kindle版
講演などで積極的に質問する人は少ない,というのを当方は感じています。

真に質問する意欲が欠乏しているわけではなくて,疑問に感じる事があっても質問しないのが習慣になっているのではないかと思います。

ひょっとしたら,「こんなこと聞いたら恥ずかしい。」とか,今まで変な質問をして叱られた。という苦い経験があるのかもしれません。


よくある「ご理解ください」という文言にも,それが折り込まれている様な気がします。
「ご理解」とは,本当の理解を求めているわけではなくて,「質問するな!」「異論を挟むな!」と言っている様に感じます。もっといえば,お上などの言う事を「忖度しろ」,「我慢しろ」と言っている様です。「ご理解ください」ではなく「(状況を鑑みて)ご辛抱ください」というのが正確な表現だろうと思います。そういう「ご理解」のメンタリティが,質問の少なさにも作用しているように思います。


ネット上にはヘンな質問が溢れています。
ネットの質問箱とか見ないようにしています。酷いものが多くてイライラするからです。
ちょっと調べれば分かるものを訊いている例はまだマシでしょう。調べ方が分からなかったのだろうと,答えが載っているURLでも示せばいいだけです。

回答者も困るだろうと思えるのが,答えようが無いものです。
「誰々はバカですか?」とか。
むしろ質問者の方にその可能性があるでしょう。

よくあるのは,「〇〇は××ですか?」
「〇〇は××」と知っているのなら,ワザワザ人に尋ねなくても良さそうなものです。
「はい,そうです。」という答えだけが欲しいのでしょうか?

ここに実例を示すまでもなく,恥ずかしい質問はあります。答える方にもヘンなものがありますので,恥を捨てれば,質問は出来そうです。


日本人は国際的に見ても平均的な知性は低くないと思いますが,講演などでの質問となると余り出ません。そのため,予めサクラを立てたりもします。

アメリカ(の大学)人は,講演中でも止めて平気で質問をします。
そのせいで当方も帰国直後,しばらくアメリカかぶれで,日本でそれをやってイヤがられました。

彼の国の講演者は,質問をすると,イヤがるどころか,"good question"!と。
的確な(と言うほどでもなくても)質問は,褒められます。

講演者は,聴衆がどれだけ理解しているか気になるものです。
的確な質問が返ってくれば,よく理解してくれたとか,そうでなければ,説明が足りなかったとかが分かります。とんちんかんな質問でも,それなりの意味があります。説明がヘタだったか話が難しすぎて聴衆が理解できなかったとか。それに,聴衆もそのやりとりを聞いて改めて理解が深まるはずです。殆ど一方通行である講演において,どんな反応であれ聴衆からのフィードバックは貴重なものです。


「質問ありますか?」と聞いても,
「しーん」と静まりまりかえってしまうのが一番困ります。
マズい事話したのかな?とチョット心配になります。

講演や講義中,「うんうん」とうなずいてくれる人がいます。
やりやすくて良いです。コミュニケーションが取れている感じがします。

「分かっているのだろう」と当てて聞いてみてもそれほどでも無かったりもしますが,全く反応がない人よりはマシだろうと思います。


「何がどうした,こうした。」には興味持ってもらっても,
「何故そうなっているか?」という原理的なことにはまるで興味がない人もいます。

元々興味が無いか。教育の問題なのか。
先天的なのか,後天的なのか。

日本社会では理屈っぽい人は嫌われます。
理屈じゃ無い!
先輩は絶対!
上司の言うことは絶対!
走りながら考えろ!
気合いだ!

むろん,そういう環境からはまっとうな質問は出ようがありません。

当方が理解できるのは,「こんなこと聞いたら失礼かも?」という情動です。
むろん,それならそうと正直に言えばいいのです。「しーん」と静まり返った中で,「こんなこと聞いて失礼かも知れませんが。」と訊かれて,講演者は悪い気はしません。本当に失礼な内容なら答えなければいいだけですし,「失礼な質問」は案外聴衆の多くが知りたがっている情報かも知れません。


「そうなっているのだから。」
「エライ人がそう言っているから。」
「その原因を探ったってしようがない」
エリートでも,そういう人がいます。

「他人の質問は自分とは関係ないから一切聞かない。」という人もいる様です。こうなると,重要なコミュニケーションの一部が閉ざされ,質問の有無どころか,一対多数の講演や講義の意味すら無くなってしまいます。

講演などにおける質問の意味と,それが少ない背景について述べてみましたが,どんな場面であれ的確な質問やコメントに的確に答えられるのが風通しのよい社会であり,それが出ないのはどこか不自由な社会だと感じます。
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風神

小学校のPTAの役員をしてる時、質問や議題を投げかけるので、帰りが遅くなると嫌がられました。
正論ばかりで、質問力の無さが原因でしょうが、皆さん波風立つのは嫌がりますね。
三顧の礼をもって役員を引き受けた時に、幹部達に「他の役員さんに嫌がれても、自分の正義に照らし合わせて、追求すべきは追求するからな」と、言っておいたんですけどね^^;
by 風神 (2023-09-05 17:26) 

Enrique

当方講演や講義での質問の無さという範囲で感じた事を書きましたが,
風神さんのコメントを頂戴して,もう少し深いところに原因があるような気がしてきました。

会議だとシャンシャンが好まれます。
特にもめそうな議案に関しては事前に根回して,落としどころを探っておく。議長(形式的な場合もあります)ないしは会議責任者には周到な準備と,臨機応変な対応が求められます。正論を突っ込まれて,きちんと対応できるのが会議主催者側の力量でしょう。場合によっては,正論を採用する胆力も必要でしょう。学校のPTAや後援会に町内会,職員会議に教授会,企業の株主総会,村から国までの議会に共通している問題だと思います。真に議論する場なのか,形式的な場なのかはっきりさせておくべきでしょう。国会の形骸化は甚だしく,長らく日本の株主総会もシャンシャンでした。例えば原発事故だって,国会や株主総会で真剣に議論していれば起きなかったはずです。結論が決まっていて,やらされている感でいやいややっている会議がロクな議論になるわけがありませんね。
by Enrique (2023-09-06 11:34) 

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