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類推思考 [雑感]

当方は,全く関係ないものでも結び付けて考える癖があるようです。

そういう思考をしない方からしたら,奇異に映るらしいです。

「別の事を,さも関連するように言っている」かの様に感じる方もいらっしゃるようです。


ブログ開始初期の頃だったと思いますが,私の記事に対して,「音楽の和音と倍音(高調波と言っていたか忘れましたがこれも同じもの)をごっちゃにしてはダメです。」みたいなコメントをいただいたことがあります。いやいや,それらをどう区別するのですか?と逆に質問をしました。

後に記事にした「芥川也寸志『音楽の基礎』を読む」では,「和音とは自然倍音を大きく弾いたものである。」という定義がみられます。さすがに明快です。


むろん物事と物事を別物と捉えることは時には重要です。無理やり共通点を探ろうとしても徒労に終わったり,異なる性質のものを共通と捉えてしまうと当然有害です。というかそれは単なる間違いです。共通点探しであれ別物との区別であれ,いずれも注意深い洞察によりなされるべきものです。

当方はなるべく統一的に物事を見ようというクセがあるようです。理由は昔別の科目で教わったバラバラの知識が共通の原理で動いている事を知って感動があり理解も深まったからです。


数学で習う微分積分学などは,いろんな分野に共通する基礎言語です。
しかし高校数学での微分積分学は,嫌われるものの筆頭らしいのです。
以前新聞の投書欄に,長年理系の仕事をしてきた公務員の方の意見で,「微分積分学は高校で苦労したが,仕事では使わなかったので,高校で教える必要が無い。」という意味の意見が載っていました。大学の理系を出たらしいこの方のご意見に正直唖然としました。

私は全く反対の意見です。その方は偶々そのお仕事で使わなかったかもしれませんが,数量の捉え方の基本を示しているので,直接使わなくても,その考え方は,定量的に物事をとらえる方には必須だろうと思います。まあ今の世の中なら,大学に回してもよいのかもしれませんが,急速に知性が育つ高校段階で身に着けることは理系に進む人には必須と言って良いと思います。

単に和を簡約に示したΣ記号が嫌われ,高校の物理が嫌われ,大学で習うベクトル解析のdivやrotの記号は宇宙人の言葉?音楽が嫌いな人にしたら階名視唱など大嫌い。音律論や音響学は音楽ではなく数学や物理の話と。


「自分が苦労したから要らない」というのはまずい考え方です。むしろ,苦労して身に着けたから貴重,いや「不幸にして自分には身につかなかったが,先人の賢人たちの築いた学問を大事にしよう」と,なぜ思えないのでしょうか?自分の意に沿わない,理解できないから排斥しようという悪弊が現在特に蔓延ったと思います。これをやると世の中一瞬でおバカになってしまいます。

むろん教わるほうだけでなく,教えるほうにも問題はあるのでしょう。
以前高校で数学を教えている方から,「電気になぜ微分積分学が必要なのでしょう?」と聞かれたことがあります。必要性を聞かれたのではなく「不必要では無いのか?」というニュアンスの聞かれ方だったので驚きました。自分の世界だけで仕事をしているから,他の世界が見えなくなっているのでしょう。せっかく,汎用の学問を教えているのに,そういう意識が無い方もいるようです。この方の頭の中では,電気は単にオンとオフ,つながったかつながらないかだから,数量変化を解析する微分積分学など必要ないと思われたのでしょう。回路理論や電磁気学を学んだ人間からすれば,卒倒するような話です。数学の方は物理を学ばないのでしょうか?でも,まだ聞いてもらったので,問題点が明らかになりました。もし,この方が教育行政を取り仕切る方だったらと思うとぞっとしました。


全然関係無い分野のものを結びつけるほうがずっと面白いのですが,やはり「別の事を,さも関連するように言っている」かの様に感じる方にしたら,「何を出鱈目言ってやがる」となるのかもしれません。わざわざコメントまでされるとしたら,その意識が強いのでしょう。

むしろ,「その分野個別の事情」だとしたら,それは大して重要なことではなくて,さほど理解する価値もない事柄だろうと思います。密接に関連しているものを別物と捉えていると,まるで理解が広がりません。共通点は一瞬で理解できますから,相違点だけをチェックすればいいので,「思考の経済」になります。


こうやってブログ記事を書いたり読んだりできるのも,0と1の役に立たない算術とバカにされたブール代数を創始したブールさんのお陰であり,今日ネットで画像や音楽が楽しめるのもその基礎のフーリエ解析を創始したフーリエさんのお陰であり,半導体の製造に役立ったのはチョフラルスキさんの単結晶生成法であり,当の本人も図り知らないところで後世応用されて人類の進歩に役立っています。直接的には全く役に立たない殆ど学問的興味だけの研究成果が基礎的に最も重要な役割を果たしている事は,科学では常識事項なのです。
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たこやきおやじ

Enriqueさん

人は自分の知識と経験の範囲でしか物事を見ない傾向がありますね。歳をとればさらにその傾向が強くなります。Enriqueさんの言われる様な考え方は、物事を正しく捉えたり、新しい発想のために大切な事だと思います。しかし、人間は自己中心的な動物ですから、自分の知識や経験の枠からなかなか出られないのだと思います。(^^;

by たこやきおやじ (2020-12-14 13:13) 

REIKO

学校の授業でテストのため(だけ?)に勉強する…になってしまうと、「これが何の役に立つのだ、自分には関係ない(なかった)から必要ない」になりがちですね。
中学の時に理科で、コイルに電気を流すと磁石になるとか、コイルと磁石を近づけたり離したりすると電流が流れる…というのを学びましたが、その時は「だから何?」でしかありませんでした。

しかしだいぶ後になって、それがレコードが鳴る仕組みに使われていることを知りました。
カートリッジのMM型とMC型も、磁石とコイルのどちらが針に連動して動くかの違いなんですね!
まだCDなんて無い時代、音楽好きの人なら毎日のようにお世話になっている仕組みだったわけです。
学校の授業で、先生が一言そう教えてくれれば随分違ったのになあ…と今でも思います。
by REIKO (2020-12-14 17:03) 

Enrique

たこやきおやじさん,
量子論ではド・ブロイの物質波の仮説が当時としては大胆な類推でしたが,現在では当初極微の世界を対象にすると考えられた量子論が宇宙論と結びついているようですね。類推の破壊力は物理の世界だけでなくて,あらゆる場面で有効と思いますが,仰る様に「自己中心的」で自分の世界に篭るためか,なかなか難しい思考のようですね。直接結びつかなくても広い世界のどこかで結びついているのでは?という想像だけでも出来ればと思います。
by Enrique (2020-12-14 21:22) 

Enrique

REIKOさん,
確かに,「こんなところに使われているよ」と言われれば興味は湧いたと思います。当方の場合は,応用面を知っていたのでその原理の再確認でした。確かに何に使われているか分からないものは興味湧きません。基本的な応用が分かれば,その後学問が拡張されてもついていけますが,最初から抽象的では面白く無いですね。
電磁誘導現象は割と抽象化して習い,「発生する電流は動きを妨げる方向に流れる。」とかいうのが大事な知識だったようです。しかし,「なぜそうなるか?」という疑問の解答はない。高校の理科の先生から,「なぜ邪魔する方向に流れるのか?」と質問された事があります(慣性だと言ったら納得されていました)。
それよりも,発電機だとか,ダイナミック・マイクだとか,レコードカートリッジの原理だよと言って貰えば,たしかに興味がまるで違ったでしょう。アメリカの小中学生向けの本などでは,電磁誘導ならいろんな応用がしっかり書いてありますね。日本の基礎科学では応用は卑しいものという意識があったものと思われます。
by Enrique (2020-12-14 21:49) 

アヨアン・イゴカー

>「自分が苦労したから要らない」というのはまずい考え方です。

本当に危険な考え方ですらあります。養老孟司が「人は嫌いなこと、苦手なことから学ぶ」と言っていますが全くその通りだと思います。学校に行かなくとも学ぶことは可能ですが、先人の英知・経験に基づいて作成されるカリキュラムとは異なり、独学の場合、自分の好きなこと、興味のあることだけに偏る危険が大です。学校教育が素晴らしいとは必ずしも思いませんが、嫌いなものに接すること、自分が嫌いだと思っているものが実際どのようなものであるのかは、是非知る必要があります。一方的に、偏見を持っていた相手が実は素晴らしい能力をもっている、知識を持っている、新しい価値観を教えてくれることはいくらでもあります。
by アヨアン・イゴカー (2020-12-18 15:45) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
このような考え方が臆面も無く蔓延って来た様に思います。
特にネットが普及してからは,容易に理解できる気に入った情報しか入れないという人も増えた様に見えますので,注意が必要です。
かつては無知は恥でしたが,今はそれを威張る人がいます。
苦手なものへの想像力と敬意が特に必要な時代だと思います。
by Enrique (2020-12-20 10:14) 

Ujiki.oO --> 公開スクリプトを定義するだけの簡単さで全ての記事のリンクを改良しよう!

 NHKにも問題は多いとは言え、素敵な番組もあり、2013/09/21(土)午後9時と2日間にわたり放送されたNHKスペシャル「神の数式 この世は何からできているのか~天才たちの苦悩」~「神の数式 宇宙はなぜ生まれたのか~最後の疑問に挑む天才たち」を思い出しました。録画しており故意に消す予定はありません(笑) スイスにあるヨーロッパ合同原子核研究機構CERNの敷地内に、過去の歴史的な(不完全な)神の数式に積み上げる形で、現代までの最先端「神の数式」を刻印した記念碑があるそうです。 宇宙人が来訪したなら、真っ先に案内するべき場所だなと個人的に思います。
 ある意味において無知無能はおおいに結構だと思います。好きなことを見付けて、好きなことを全身全霊を傾けて集中すれば良いのだと存じます。ただただ不幸なこととは「好きなこと」を見付けられない人です。好きなことに出会って、好きなことに集中できれば、例え分野が異なっても、自分とは全く異なる分野で集中している方々の意見を感動しながら聞けることを幸せに思えるはずですよね。
 問題は「好きなことを見いだせない人間」の存在です。村祭りの太鼓でも良いし、独りよがりの旅でも良いし、図書館通いの読書だって、絵画に、作曲だって、漫才でも良い。好きなことを見付けないで、集中できないで、極めようと努力しない脳の神経細胞に対して、ほんとうに醜く脳の神経経路が出来てしまっている族が、大手を振ってインターネットの世界で暴れていることは不幸過ぎる現代の病です。
 インターネットが無かった時代では、近所で「気が狂った人間が刃物を振り回す」わけで、近所での犯罪に留まっていました。どこにでも入り込んでいる中国共産党員の尖兵が、分断を意図して、平和をかき乱しておりますが、それでもインターネットが無かった時代では新聞で知るだけの遠い地の不幸でしかありませんでした。それが、インターネットの普及で、認め合うよりも反発し、攻撃的な行動を行うと言う過激な行為の乱立には、新たな防衛手段を個人個人が養うしかありません。それでもインターネットのお陰で、みんな利口になれるもので、マスメディアが偏向していることも、SNS辺りで政治的に利用されてしまうボタンがあることも、徐々に国民は理解を深めています。
 あらゆる個性を認め合えるのか、それとも殺しあうのか、人類は無知との戦いだとも思えてきます。 若者の柔軟な脳の神経経路のニュートラルな発達と、飽くなき探求心への発達に期待したいものです。
by Ujiki.oO --> 公開スクリプトを定義するだけの簡単さで全ての記事のリンクを改良しよう! (2020-12-25 10:00) 

Enrique

Ujiki.oOさん,

当方この頃TVは見ないですが,かつては教養番組などに良い番組もありましたね。

おっしゃる通り,技術の進歩は諸刃の剣です。ネット環境は必需になってしまいましたが,良貨悪貨を駆逐するのが問題です。

こちらは,良い歳になってからのネット環境ですが,若者たちは生まれながらの環境です。彼彼女らがどの様に使って社会を築いていくかロートルは見守るだけかもしれません。
by Enrique (2020-12-26 07:20) 

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