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子供時代の思い出と [雑感]

5人兄弟の末っ子だったせいか,かなり変な子供だったようです。いわば「協調性なし」の続編です。

今どき3人以上の兄弟だって少数派でしょう。
そこへ行くと5人,もっとも9歳年上の長姉は白血病で10歳で死去したので,姉の顔は写真でしか知りません。ものごころついた頃兄弟は4人でしたが,兄や姉たちの影響を受けて育っていました。文字の読み書きなども独学していたらしく,幼稚園で自分の名前を漢字で書いては叱られていました。お絵描きとは良いのですが,お遊戯とか面白くないので,良くさぼっていました。体もあまり丈夫でなかったせいか,自分の意志でサボるというよりも,具合よく何か面白くない行事があるとかそういう時に決まって熱が出るので,上手く休めたようです。

幼稚園であった餅つきの時とかは,本当に気分が悪くなって殆ど気を失って,気がついたら家に戻っていた記憶があります。もちや蒸し上がった米のもうもうとした湯気の中で目の前が真っ白になって気を失ったような記憶があります。当時は実家でも餅つきはしていましたので,そういう環境に慣れていなかった事も無いとは思うのですが。

現在幼稚園には3年間行きますが,私は小学校に上がる前の1年だけでした。しかもそんなこんなでサボっていましたので,絵を描いてその裏に名前を漢字で書いては先生に叱られるのと,それ以外の余り面白くない行事,知能検査で四角いタイヤの自転車を〇にしたとか,小学校の1日入学でベートーベンのトルコ行進曲に合わせてお遊戯をしたとか…くらいしか記憶にありません。もっとも姉たちは保育園から昼寝がイヤだと言って逃亡していたらしいので,きっと親は「この子くらいは幼稚園に入れてやれ」と1年間だけは通わせたのでしょう。

その1年間というのも子供にとっては無限のような長さに感じたのでしょう,「ほんとうの学校」に行きたいと兄や姉たちを羨ましく思って,教科書などを盗み読みしていました。学年ひとつ上の姉と遊ぶ以外は,一人で本を読んだり工作したりしていたせいか,小学校に上がっても話す言語が幼児語で「ちぇんちぇい」,「でんちゃ」とかと言い,しかも母親に服まで着せてもらっていたようで,「この子はどうしようもない子」だと,先生に匙を投げられていたようです。

小学校に上がってあまり熱は出さなくなりましたが,忘れ物はする,宿題はしない,協調性無し,リーダーシップなどみじんも無い。それでも体育以外の勉強は出来るものだから(幼稚園の頃から兄姉たちの教科書を読んでいたので当然の事です),よせばいいのに学級委員をさせられていました。3年生くらいの学級会の司会の最中,気が向かなくなったので,私が教卓の中に隠れていると,S先生(その先生は1年から3年まで担任でした)は,「まあ,何て子かしら,どこかに逃げちゃった」と,よほど腹に据えかねたのでしょう。私の事をボロクソに非難し始めました。「お姉さんたちはしっかりしているのに,この子ときたら・・・」と散々私の親から聞いた上述の恥ずかしい話を暴露し出しました。当方はどのタイミングで現れたか忘れましたが,何とも気まずい思い出です。ただその先生とはその後ずっと交流はありましたので,どちらも別に根に持ったわけではありません。

後年,北杜夫の「楡家の人々」を読んだ時,ちょうど似た立場(兄弟構成がほぼ同じ)の二男「米国」を自分になぞらえていました。兄弟のポジションが同じ上に,似た名前まで付けられそうになっていたらしいので尚の事です。医院ではありませんが,商家でしたので人の出入りもありました。5人兄弟の末ともなると,親も完全に慣れっこになっていて,手もかけませんし,手抜きなところもあったのでしょう。例えば,よく靴を反対に履いていましたが,そもそも靴に左右があって足の形に履く事を知らなかったからなので,意味が分かったらすぐに治りました。トイレの仕方などでも,何分人のを見て学ぶのはおしっこしか分かりません。子供には,ちゃんと意味を教えて注意しないと分からないものだと悟った次第です。親の手抜きのせいで,変なところだけのびのびと育ったのかもしれません。

「三つ子の魂百まで。」変な子供がまともな大人になっているわけがありません。
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