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夏が来れば思い出す [雑感]

夏休みのシーズンになると,子供時代の記憶が蘇って来ることがあります。

最初の夏の記憶とすれば,池に転落して母親にすぐに助け出されたことでしょうか。
ぶくぶくと目の前に水の泡が出たことを覚えています。
後年姉たちが,その事件を振り返って,母親がものすごい勢いで走って行って私を救出したと,面白そうに話していました。幼稚園に上がる前の,3・4歳の頃のことでしょうか。もっと小さかったかも知れません。金魚に興味を持って池を覗き込んだところ,幼児体型のため頭から転落したのでしょう。

学年一つ上ながら約2歳年上の姉とは飽きずに外でよく遊んでいました。
姉は体がきいて木登りが得意でしたので,良く木に登って遊んでいました。私は無理ですので,下から眺めているだけでした。ある日,上から空き缶が落ちて来ました。500ccくらいの四角い天ぷら油の空き缶が落ちて来て私の額を直撃,顔面出血をしました。後から聞いた話では,朝顔に水をやるために空き缶に水を入れてチューブをつけたものを木の上に吊るしていて,吊るし損ねて落とした缶が,下から眺めていた私の顔面を直撃したようです。空き缶ならいざしらず,水の入ったものだったのでした。現在も大学教員をする姉は,小学校も中高学年になるといっぺんに勉強家になり(朝顔に水を遣るために木に登るというのもかなり実践的な学習ではありましたが),私との遊びはしなくなった様です。私の方はと言えば,学校の勉強は宿題も含めて一切せずに,一人で遊んだり本や雑誌を読み漁っていたようです。

いい歳になってから,あまり本を読まなくなりましたが,物心つく頃から読書が好きでした。何でもかんでも手当たり次第でした。幼稚園の頃から見ていた,国際情報社の「こども科学館」が記憶している最も古いものでしょうか。「キンダーブック」も見ていたと思うのですが,全く記憶にありません。「こども科学館」はかなり刺激的でよく見ていました。「おそろしい台風」と言った様な,おどろおどろしい様な絵が多くて,すぐ見終わってしまうのですが,何度もためすすがめつ眺めていたと思います。飛行機の記事の時は,発明されて60年とありましたので,1963年の頃の話のはずです。

幼稚園には1年通っただけでしたが,させられることがつまらないので,時々サボっていました。多分全員にしたのでしょうが,IQ検査をされて,四角い車輪の自転車の絵があったのを良く覚えています。当然 × の絵としないといけなかったのでしょうが,妙に安定して見えましたので,○をつけた記憶があります。問題児だと見られていたことでしょう。

小学校高学年になると,誠文堂新光社の「子供の科学」を読みだしました。
以外でも身の回りの読み物(親の雑誌などまで)を,手当たり次第に読んでいましたが,読み終わってしまうと,同じものを読み返したりもしたものでした。新聞は毎日内容が変わりますので,読むのが楽しみでした。今よりも小学高学年の頃の方が新聞を真面目に読んでいたのではないかと思います。

今でも記憶しているのが,小学生の時に読んだ兄の技術家庭の教科書に載っていたギアの説明でした。歯数の多い大きな歯車で歯数の少ない小さな歯車を回せば速く回るというのが妙に気に入って,ギヤを使えばいくらでも速度を出せると勘違いして理解していました。トルクを知らず,誤った理解だったというのはだいぶ後になってから気がつくことになりました。機械系のものは見ればわかるという誤解を持ってしまったのかもしれません。建設・建築もそうです。見ればわかると。自宅の建設は地鎮祭から見ていました。後に大工について一夏かけて家を建てたこともあります。それに対して,見ても分からないものに電磁気現象があります。電気を学ぶことになったというのは,見えないものへの憧れや畏怖があったのかも知れませんが,直接的には「子供の科学」の影響でしょう。紙ヒコーキはそのまんまのものですし,様々な分野の科学記事も読んでしまえばそれまでですが,電子工作は,毎回回路図が載っていて,いつも見ているうちにトランジスタや真空管は,そんなふうに使うのだということは何となく理解しましたが,hfeだとか,gmだとかいう記号や数字が出ていても理屈がわかりません。半田付けすれば出来上がるが,どうやって設計するんだろうか?といつも疑問に思っていました。
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プー太の父

お母さんに産んでいただいたうえ、今度は
危ういところを救っていただき感謝感謝ですね。
だいたいは子供の頃、何度か危険な目に会いながらも
親は一生懸命子供を守ってくれたと思いますが
最近は子供を死に至るまでの虐待を繰り返したりする
事件も多くなり、世の中だいぶおかしくなりましたね。

by プー太の父 (2019-08-04 16:01) 

Enrique

プー太の父さん,
母は亡くなりましたが,一昨年だったか,墓の草刈りをしていてつる草に足を取られて転倒し,墓石の角に頭をぶつける間一髪のところで事なきを得ました。勢いよくこけたので,ぶつけていたらかなり危なかったはずです。また母に助けられたかなと思いました。
by Enrique (2019-08-04 21:57) 

アヨアン・イゴカー

>四角い車輪の自転車
上下動があって、駱駝にでも跨っているようで、おもしろいかもしれませんね。

>見えないものへの憧れや畏怖

見えていると思っている物も、実は見えていない(認識できていない)部分が必ずありますので、見えないものへの畏敬の念は重要だろうと思っています。
by アヨアン・イゴカー (2019-08-11 09:47) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,コメントいただき,ありがとうございます。
そうなんですね,なんて思ったかよく記憶に無いのですが,四角でも角張って無くて滑らかになっていたので,それも良いかなと思ったのでした。走行中の絵では無く,とまって見えたので,四角いほうが安定して良いかなと思ったのかも知れません。
尻取りでも抽象名詞を言うものだから,おかしな子供として先生からパスされていました。「犬」とか「石」とかが無くなったので,「意味」とか言ったら,ポカンとされてしまいました。
by Enrique (2019-08-13 05:19) 

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