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夢のつづき [雑感]

夢のお告げ(笑)が,変なことを言っていました。

「自分は不運な人間だ」
「外食で自分が頼んで来るものがいつも遅い」
「雨男に雨女,晴れ男に晴れ女?」
「くじは当たらないのに,貧乏くじは当たってしまう」
これらのものは全くの思い込みであるというものでした。面白くも何ともありません。そんな事を夢の中で真面目に考えていました。それを誰かに説明しているのですが,真面目に聞いてくれないのを必死になっているところで目が覚めました。

「自分は不運な人間だ」と思い込むのと同様,この手のものには,あまり良く無いことの方が多い様な気がします。「外食で自分が頼んで来るものがいつも遅い」と妻は何時もそう言っています。しかし同じものを頼めば,同時に来ますので,普段の頼み方が手間のかかるものを頼んでいる可能性があります。そこは個人の好みの問題ですので,差が出る可能性は十分あるでしょう。

雨男に雨女に関しては,そうは言っても晴れ男や晴れ女とは余り言わない様に感じます。以前の言及では,雨の降る確率の方が少ないから,何かのイベントでそれが重なると,何かこの人が関わる時は何時も雨が降るなーという感覚になる。そこで雨男の登場となるわけですが,それは試行回数が少ないうちは,たまたま重なる確率は結構あるが,試行回数が増えればそのうち晴れ男になるはずだという結論でした。

たまたま,不運が重なると,なにか自分は運が悪いなーと思い込んでしまう。そうすると,良い事や思い込みに反する事象をフィルターしてしまい,悪いことだけがサンプリングされてしまうということです。確率的にも十分あり得る事をさらに人為的に補強しているのですから,確率ならぬ確立してしまいます。

「くじは当たらないのに,貧乏くじは当たってしまう」
これなどは,宝くじなどの確率は,1000万分の1程度で大変低いものですが,数十人の中で委員を決めるなどのくじは,数10分の1。数人の委員を選ぶなら10分の1程度で,圧倒的高確率ですので,そうなることは自明とも言えます。当方の場合,宝くじは決して買わないので,当たる確率は完全にゼロ,権利のある貧乏くじのみ当たると言う大変不幸な結論です。もっともくじを買ったとしても1000万分の1と10分の1を比較しても100万倍の比較ですから,殆ど起こりえないことと,現実に起こることの違いくらいのものです。確率の数字が全く異なるのに,くじという定性的に同じ性質のものと捉えてしまうから起こるおおいなる錯覚でしょう。

むろん世の中,思った通りになるものではないですし,自らコントロールできることとできないことがあります。占いなどが流行るのも,その手のものだと思います。冗談で済むものは良いのですが,何事に関しても,明らかに確率的なものと決定論的なものを分けて考えなければならないと常々思っています。そのせいで夢に出てきたのでしょうか。
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アヨアン・イゴカー

>「くじは当たらないのに,貧乏くじは当たってしまう」

こちらの記事とは関係がありませんが、貧乏くじと言うのは、結果的によい経験を与えてくれるのだと思います。貧乏くじを引かなければ避けていたことでも、引いてしまったためにその経験が強制されます。そのためにあれこれ準備したりして、結局は、好い経験になります。
但し、悪事を誰がやるか決める時に使うようなくじは、この場合前提にしていません^。^
by アヨアン・イゴカー (2019-05-06 22:24) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
貧乏くじの効用についてですが,確かにその面はあると思います。好まざる事を避けていると,新しい経験を積む事は出来ませんので。
自分のやりたい事が必ずしも最良のものでは無くて,案外いやいやながらもやったものが評価されたり役に立つと言う事もあるものだという事をこの頃考えるようになりました。「してならんものは泥棒と人殺しだ」と,祖母が良く言っていたのが思い出されます。
by Enrique (2019-05-07 10:51) 

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