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自分の音を聴くと言う事 [雑感]

自分の演奏を録音して聞いてみると言うのは客観的視点から大事な事です。
そして,そこで色んな課題を発見するということは,演奏時には聴いている積りでも如何に聴いていないかと言う事の証左でもあります。さらに,そこで「弾くのに気をとられて音を聴いていない」という,何とも本末転倒なジレンマに陥っている自分を発見します。

実は,「よく聴けば上手く弾ける事もあるのに,聴かずに弾こう」として音をダメにしている事があるというのが私の実情です。漱石の言葉をもじるならば,「技に働けば音が死ぬ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角にわが腕は上がりにくい 。」ような心境です。

技術は音のためにあるのですから,技術が先で音が二の次状態ではまずいわけです。かと言って技術がなければまともな音は出せません。むしろ,音を聴いて,それに必要最小限の動きやら,力やらを動員させることが肝要だろうかと,ふと思ったのでした。例えば,レガートさ,音をどこまで延ばすか,消音,などは,音を聞きながら,何気なくコントロールできれば理想です。往々にして,技術的余裕が出れば,音質も音のコントロールも良くなるだろうと一生懸命練習するわけですが,むしろそうではなく,最初から音質も音のコントロールも良くしようと,耳を皿にして良く聞き,力まずに練習することが大事ではなかろうかと。

そうでなければ,いくら練習曲等で「弾ける技術」を身につけても,その技術がじっさいの曲の音を良くする為に使われないというヘンな事になります。というか自分の演奏にそういうところを感じています。余り耳を使わずに演奏していると,練習曲は練習曲,技術練習は技術練習となってしまい,曲の改善につながりません。そうならないためには,曲の理想のイメージを持ち,如何にそれに近づけるか,耳を使って(自分の演奏を注意深く聞きながら)演奏することだろうと思います。

ここの運指をどうしよう,ここにこういう技術を使おうと言うのではなく(それも必要ですが),こういう音を出すためにはどうしたら良いか考え・感じながら練習するのです。そうすれば,ムダに頑張ったり,オーバーアクションしたりの,いわば音につながらないムダな技術(動作)を防げると思います。分かっている方には当たり前過ぎて「今さら何を言っているのだろう?」と思われるかも知れません。案外と聴かずに弾いているものだという,私のお恥ずかしい反省に過ぎません。
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黒板六郎

目ウロコです。
聞いてるけど聴いてない。私はそうです。指ありきになってしまってます。
ただ身の丈にあわない曲だと、どうしても音より技術になってしまいます。技術もおいついていませんが。
弾けるレベルの曲をきれいな音で演奏することが、上達の近道なのかもしれませんね。

by 黒板六郎 (2015-04-13 23:21) 

REIKO

電子ピアノを買ってから、だいたい良いテンポで通して弾けるようになったら録音して練習の参考にするようになりました。
ただ私の場合は、演奏しながら「やたら良く聴いている」みたいで、録音を聴いても、良くも悪くも「やっぱり」で、あまり印象が変わりません。
Youtubeにアップする録音では、何テイクか録って一番良いのを選ぶわけですが、演奏しながら「これがベストだな」と思ったものが、やはり後で録音を聴いてもベストの場合がほとんどです。
で、聴きすぎるとミスが増えます(笑)。
一番ガッカリするのは、録音していて「あそこもいい感じだった、ここもバッチリ決まった、サイコーの演奏でここまで来たぞ、後はもう楽勝…」と思った瞬間に、ど~でもいいミスをすることです。
耳は少しサボってもいイイから、もっと弾くことに集中しろ自分!といつも思ってるんですが、これがなかなかできません。
聴くのも手を動かすのも結局は脳ミソの仕事なので、配分を上手くするか、脳のキャパシティを上げる必要があるんでしょうね。
by REIKO (2015-04-14 00:12) 

Enrique

黒板六郎さん,ありがとうございます。
技術を先に考えると,音に関係ないところで力んでいたり,ちょっとした配慮で改善するのがしなかったりします。私の個人的事情かも知れませんが,音を良く聴いた方が弾く技術もラクになるのでは無いかとも感じています。それにより弾けなかったところが割合スムーズに行くこともあるのではないかとも思います。
by Enrique (2015-04-14 03:07) 

Enrique

REIKOさん,ありがとうございます。
確かに聴き過ぎも良くないですが,良く聴いている演奏の方がただ手が動いている演奏よりも良いとは思います。REIKOさんの演奏には良く聴いている感はあります。技術的余裕があるからだとも思います。
確かに聴きすぎていると,私の場合暗譜演奏の際の忘れやとちりにつながりました。集中して良く聴いて演奏しつつ技術面にも配慮する必要はあるのでしょう。弾く自分と聴く自分の配分,どちらかに転んでしまうとまずいというのはあると思います。
by Enrique (2015-04-14 03:20) 

Hagi

自分(修行中の身です)の場合ですが、
録音した自分の演奏を聞くと、弾いている時に聞いているのとは違っていることが多いです。特に「間」が。
スムーズに弾いているつもり(感覚)だったのに、録音したものには
不要な間(音楽が流れない)があることに気付かされます。
難しい箇所やポジション移動時など。
楽譜にある音形によってテンポが歪むことにも気付かされます。
単音の繋がり(技術:容易)では速くなり、
重音が連続する(技術:難)ところは遅くなります。
フォルテや重音部は少し遅くした方が自然である。ということもあるでしょうが、私の場合は意識の多くが弾くこと(技術)に向かっていて、テンポ感覚が置き去りにされるのだろうと思います。
客観的に聴いている人が自然だと感じる流れと、弾き手が必死になって弾いている時の流れ(本人は自然と思っている流れ)が違うのでは、やはり独りよがりな残念な演奏になってしまうと思います。
ですので、曲の演奏時は、音の質・流れが設計図(イメージ)通りに進んでいるかに、出来るだけ多くの意識を注ぐぎたいと考えています。
演奏中にミスなく弾くことに意識が引き戻されてしまう箇所は、
技術不足なんだと思っています。
そういう箇所は部分練習をするのですが、1曲の多くの箇所がそんな状態なので、曲を弾いているやら練習曲をやっているやら、もう分からないですね。(笑)
※話題と少しずれてしまったかも。


by Hagi (2015-04-14 18:37) 

夢笛myu

技術的に余裕がないと、どうしても「演奏する」ことに気をとられ、「聴く」ことが疎かになります。技術的に余裕があれば、演奏しながらでも「聴く」ことが容易になり、聴いて快感を感じると、それがまた演奏にフィードバックされよい結果を生むと思います。そういう好循環を体験・学習するためには易しい曲を、楽しんで・快感を得ながら、弾くのが効果的かも。
また「聴く」時の自分の感受性も案外重要かも。その意味では、歌やギター以外の管楽器を楽しむことが非常にプラスになるような気がしています。
by 夢笛myu (2015-04-15 01:29) 

Enrique

Hagiさん,ありがとうございます。
かりに弾きこなす技術があったにしても,音を良く聴いていないとサボってしまうと思いますし,何とかやっつけようと弾く事に気を取られますと,必要以上に力んだりして,自縄自縛に陥っていることがある様にも思います。練習過程で時々チェックすることが大切の様に思います。
演奏の緩急に関しても聴く事は大事の様に思います。もちろん拍節を良く感じている事は重要でしょう。ついつい技術さえ身に付けば上手く行くと思いがちですが,拍節感プラス自分はこうしたいという指針があれば,それに技術がついて来る面も大きいと思います。車の両輪の様なものだと思います。
自分の演奏の場合も緩急は課題です。フレーズの切れ目とか間があいて良いところであかず,そうでない時にあいたりしています。
by Enrique (2015-04-15 06:46) 

Enrique

夢笛myuさん,ありがとうございます。
具体的ご提案ですね。全くその通りだと思います。フィードバックが上手く行っている演奏を多く体験するには易し目の曲をやることが重要でしょう。苦行の様に曲を弾くというのは音楽とは別のところに行ってしまいますので。いい状態を経験するには重奏も良いのかも知れませんし,音の持続する楽器でメロディやハーモニーを体験することは大事な事ですね。
by Enrique (2015-04-15 06:59) 

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