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少年の日の想い出~へそ曲がり教育論~ [雑感]

子供の頃の思い出話を書いていますが,イタズラとも科学実験ともつかない思い出は重層的に沢山あって,どれから書いていいか迷います。

そのため,全く音楽系ブログでなく,子供時代の思い出話になっている嫌いがあります。独学で少しピアノにさわっていたので,ピアノを習っていた女の子とは仲が良かった(こちらが一方的に好意を抱いていただけかも)とか,そんな話もあるにはあるのですが,小学生のころは,工作,イタズラ実験,モノの分解などを生きがいにしていました。

しかしそれは男の子全般のことで,成績のよし悪しかかわらず実験だけは好きだとか,そんな子は多かったものです。体力系か自然科学・技術系かの違いはあっても,興味のおもむくまま,めいっぱい遊んでいたものです。それらを思い出すにつけ,今の子供たちは可哀想だと思います。いたずら,火遊び,危険な遊びが出来ません。ゲームだけで満足出来るのでしょうか?工作と言っても,ちょちょっと組み合わせるだけであれではオモシロくないだろうなーと思います。安全第一か,線の接続とかハンダ付けとかもしないですよね。PC組み立てるといっても,出来合いのパーツをコネクタでつないでケースに収めるだけで,プラモデルよりオモシロくありません。しいてやるとすると,プログラミングでしょうか。でも,バーチャルな世界でやるにしても実体験は絶対必要だと思います。

私の年代以上の昔の子供は「肥後の守」という,折込み式のナイフを持っていて,何でもそれで作ったものだといいます。私も使いましたが,確かにアレは携帯用にはスグレモノでしたが,切れ味が良くなくてあまり好きではありませんでした。野山で工作するのは必需品でしたが,私の工作は家の納屋とかでやっていましたから,むしろ,用途に応じて大工道具を使い分けていました。大工道具ではありませんが鉈を使っていて,左手人差し指を切り落としそうになった事がありますが,自分の手の力加減ですから,3針縫っただけで大したことありませんでした。現在ギターで若干セーハに支障が出ているかも知れませんがまあ仕方ありません(それより練習時間のほうが問題です)。

かすりキズや切りキズ,ハチに刺されたりは日常茶飯時でしたから,刃物を使っていればたまにケガをするのも致し方ありません。それによって,道具の正しい安全な使い方,痛みを身をもって学びます。自業自得ですから誰にも文句言えません。致命的なケガは元も子もないですが,少しのケガはむしろ大きな安全教訓になります。よく額や頭や手足,口の中,あらゆるところにけがをしていました。子供が何人もいると親は慣れていて,放っておいても大した事にはならないということをちゃんと学習しているのですね。

とある商売のため家についていた機械装置や電気設備を見たり,シロートの父が時々副業でやっていた建築の現場に行ったり,大工さん(こちらはプロ)の仕事を見るのが好きでした。作業を飽きずに眺めていました。後に曲がりなりにも一軒分の建物が建てられたのも,子供時代に大工さんの仕事を観察していたおかげだと思います。私は家の在来工法の組みあがり方を頭の中でイメージすることができます。一般にはシロートはツーバイフォー工法の方が分かりやすいといわれるのですが,私にはそちらはトンとイメージが湧かないのです。

大人の仕事の観察,あれやこれや危険な遊びもしたものだと思います。現在,体験学習・ものづくり・就業体験などまでが学校での学習対象のようになっていますが,私の経験ではそれらは学校外のものがほとんどでした。しかも,それらは自ら身の危険を賭してであり,家業の手伝いならば真の意味での就業体験です。トラブルに遭ったって自己責任であり誰にも文句言えません。学校では読み書きソロバンなどの基礎の学問や多数との人間関係など学校でしか学べないものをきちんとやらすべきです。いまの学校は余計なものばかり担がされて,学力の補てんは塾でやるのでしょうか?真剣勝負はお受験で?家庭学習の補助は派遣の家庭教師で?変に「モチはモチ屋」が徹底され過ぎていると思います。
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アヨアン・イゴカー

肥後の守、私も持っていました。仰る通り、なまくらで、私もすきではありませんでした。ボンナイフというカミソリのようなものもありましたが、あれは紙を切るのが専門で、枝や板を削ることが出来ませんでした。
もう、大分前(30年以上前)の話ですが、子供達が雑巾を絞れない、と言って嘆いている学校の先生がいたそうです。
危険を回避しすぎることの危険、動物としての人間が生きてゆく能力を奪ってしまうことの危険、昔から私もこの点については、教育方針を大いに疑問視しています。自分で怪我をして痛い思いをしなかった人間が他者の痛みを分かる訳がありません。
by アヨアン・イゴカー (2012-02-26 17:06) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
肥後の守は万能ナイフだったのでしょうが,切れ味は良くありませんでした。上手く砥げば切れたのでしょうが,難しかったと思います。
ボンナイフというのですか?カミソリよりも少し厚いくらいの刃のナイフがありましたね。紙用だったのですね。最初アレで鉛筆削っていましたが,刃が折れそうであぶないので,切り出し小刀に変えました。
>自分で怪我をして痛い思いをしなかった人間が他者の痛みを分かる訳がありません
全く同感です。
by Enrique (2012-02-27 09:38) 

夢笛myu

「少年の日の想い出」シリーズ、楽しく読ませていただきました。
まるで自分の幼少時のことを読んでいるような錯覚に陥りますが、
たぶん昭和30~40年代の男の子はみな似たようなものだったのでしょうね。
私も、板切れ、のこぎり、釘、ナイフ(小刀)はいつも身の回りにあり、
駄菓子屋で売っているスクリューとゴム紐を使って作る、
板切れの船は、夏の定番の遊びでした。
小学校教師をしている娘から先日聞いた話で、
図画の授業のモチーフにヒガンバナを使ったところ、
ある父兄から「毒の有る植物を学校で使うのは危険ではないのか?」
とクレームがあったそうです。嗚呼・・・。
子どもの頃、私は作れませんでしたが、
女の子が作るヒガンバナのネックレス、うらやましかったものです。
by 夢笛myu (2012-02-27 10:39) 

Enrique

夢笛myuさん,コメントありがとうございます。
何かの加減で,急に子供時代の事を思い出しました。思いだすとこれがいくらでもぞろぞろ出てくる状態で,音楽系ブログでは無くなってしまいました(汗)。
小学生などの子供の教育は親と地域と学校の共同作業でしょう。かつては学校ににいる時は学校に任せたと思います。任せた以上クレームつけるなんていうのは,あり得なかったと思うのですが。
こうなってしまった原因の一つに,世の中のヘンな分業制の弊害があると思います。仕事でも日常でもうまくいかないことがあると,担当業者にクレームをつけることが主力になり,親がお客さん状態で学校にクレームをつけていれば教育が良くなるというカン違いでしょうか。小中学校ですと多くが公立校,公務員に対する風当たりも,間違った方向への行動に走らすのでしょうか。不当なクレームをつけた者は罰せられるような法律でも作らないといけないのでしょうかねぇー。上から親から何でもがんじがらめで小中学校の先生も本当に大変だと思います。


by Enrique (2012-02-27 12:15) 

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