SSブログ

綱吉の功績 [日常]

人よりも犬を大事にしたということで,大変な暗君といわれている綱吉が,実は国際的に見ても画期的な名君だったのではないかという主旨のTV番組を見ました(16日金曜夜9:00,NHK-BSプレミアム,再放送が9月21日0:00時〔9/20深夜〕にあるようです)。

歴史を知らない私でも,五代将軍綱吉は良く知っているくらい家康に次いで最も知名度が高い将軍なのではないでしょうか?その原因は,もちろん「生類憐れみの令」です。しかし,教科書で習った「生類憐れみの令」なる法令は実際には無く,綱吉在位中の一連のそれぞれ異なった主旨の動物の管理登録制度や対象が人間の病人や老人子供にも及ぶ「お触れ」を総称してそう呼んだものだそうです。

犬の管理制度に関しては,当時の江戸の街は凶暴化した野犬が多く危険なため,きわめて真っ当な施策だったようです。大規模な犬小屋を作って収容したというのも,愛玩したというよりも危険だから隔離した面も大きいようです。

当時は戦国時代のなごりや前近代的な風習が多く残っていたようです。旅籠で病人が出るとメンドウだから捨てられたり,捨て子が横行したりしたそうです。綱吉はこれらをことごとく禁止しています。

政策の行き過ぎた面は,綱吉の意図を誤解した役人が功を焦ってやったことではないかとも分析していました。しかし彼のやったことは実は福祉や動物愛護の精神を先取りした施策だったと。動物愛護の精神が定着したのはアメリカで19世紀だそうで,彼は17世紀にこれをやったわけです。

生類憐れみの令ばかり目が行きますが,在位するや,それまで家督で実権を握っていた家臣達を排斥して徹底的な能力制度をとり,将軍自らの力を強めたようです。逆説的ですが,だからこそこの手の画期的?な政策を強行できたとも言えるわけです。当然恨みも買ったことでしょう。

画期的な政策にも拘らずボロクソに言われて来た理由には,在位中2度にわたる大地震や富士山噴火,そして世を騒がせた忠臣蔵事件も尾をひいている様です。無茶な政策をやるから天が怒るといった非論理的な批判をするものもいたようですし,刃傷敵討ち事件の裁定も難しいながら当時として真っ当なものであっても,ヨノナカには評判が良くなかった可能性があります。

将軍綱吉はボロクソの評価の内に世を去り,「生類憐れみ」に関する法令は撤廃されました。しかし,この時代に出来上がった習慣がいまだに残っているようです。当時まで普通だった犬肉を食す習慣はこの時に途絶えたのだそうです。喪に服すと言ったような習慣もこの頃から始まったとか。江戸で綱吉に謁見したドイツ人医師ケンペルは,人々が秩序正しく平和に生活していることに感嘆し,将軍綱吉を激賞しているようです。

私達が学校時代習ったのは,綱吉のやることなすこと全て彼のアタマがオカシかったのでこんなオカシナことをやった,という文脈で語られることが殆どだったと思います。なぜアタマのオカシい人が将軍になったのかも不思議でしたが,彼のオカシナ人物像が先にあり,全てそれにツジツマを合わせられたのでしょう。番組では取り上げられなかったと思いますが,貨幣を改鋳して純度を落としてインフレにして幕府財政にダメージを与えた?とも。すぐれた元禄文化が開花し,経済が活性化したというのは全く別扱いでボロクソでした。

今の小学校で習う日本史部分は卑弥呼が有名で聖徳太子は教わらないのだそうです。私たちが習った頃は卑弥呼はほとんど伝説上の人物,聖徳太子は17条憲法を制定したり疑い様の無い実在の人物だという認識でした。わずか30年40年で千年二千年の歴史がひっくり返るというのも驚きですが,時々チェックしておかないといけないと思いました。

もっとも,他の分野の認識もこの30年40年どころか10年20年でも大きく変わっています。クラシック音楽分野ではやはりバロック音楽など古楽の研究とその隆盛でしょうか?バロック音楽の評価なども,綱吉の再評価ともシンクロしていると考えるのは無茶なアナロジーでしょうか?それから,現在の私たちの社会が本質的には当時とさして変わっていない,部分的には場合によっては精神面では後退している面もあるのかも?などと妄想しました。よくもわるくも歴史の教訓をわたしたちの生き方に生かそうとした際,正しい(かどうかも各人のアタマで判断しないといけませんが)認識は重要なことでしょう。
nice!(4)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 4

コメント 4

夢笛myu

たしかに江戸時代は、その後に続いた明治維新との対比からか、悪く言われることが多い気がします。が、実際にはそうでもなかったようですね。幕末期から入って来るようになった西欧人の旅行記などを読むと、日本の風景や清潔さを褒めている記述に頻繁に出くわします。おそらく、自分の(西欧の)出身地とくらべてそう感じたのでしょう。また江戸時代に6年あまりかけて諸国を巡礼した僧の日記(「日本九峰修行日記」泉光院野田成亮)があるのですが、これを読むと、なんと平和な世の中であったのかと感嘆します。
by 夢笛myu (2011-09-19 17:48) 

Enrique

夢笛myuさん,コメント有り難うございます。
たしかに江戸時代の日本人は,当時世界的に見ても生活・文化のレベルは高かったのでしょうね。それはすでに綱吉の頃に確立していたのかも知れません。農村部などでは飢饉などで悲惨なこともあったでしょうが,その辺は近代化したはずの明治以降でも大差なかったようにも思います。むしろ気候が悪く主食が生産性の低い小麦だった西欧ではもっと悲惨だったでしょうし,他国からの侵略殺戮の連続に比べると,江戸時代の日本はずいぶん恵まれていたと見るべきでしょうね。「日本九峰修行日記」という書は存在も知りませんでしたが,機会あれば読んで見たいと思います。
by Enrique (2011-09-19 19:02) 

Cecilia

>無茶な政策をやるから天が怒るといった非論理的な批判

今でもよく言われますよね。震災後は顕著な感じがします。

私の中学高校のころ綱吉が頭がおかしいというのは聞いたことはなかったですけれど、良くない為政者だったと思っていました。
それにしても今は聖徳太子は習わないのですか!
by Cecilia (2011-09-25 09:40) 

Enrique

Ceciliaさん,こちらにもnice&コメント有り難うございます。
このような批判の体を成さない批判が今の震災がらみでもありますね。私たちの精神構造が江戸時代よりも進歩しているのかどうかナゾですね。
学校で教わる歴史の内容も異なっていてびっくりすることがあります。私は歴史音痴なので,たまにこういうことも書いてみました。
by Enrique (2011-09-25 11:52) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。