~のようなもの [雑感]
年を経てくると,どうしても物事を自分の経験の範囲内で量るクセがついている。だから,目新しい事柄でも,「~のようなもの」と言われたり,そう自分で納得すると,一瞬で分かった気になる。まあこれには,落とし穴もあろうが,仕方が無い。
いちいち「~のようなもの」というのがめんどくさい場合,「~の~」と,断定的な比喩が用いられる。暗喩とかメタファと言うやつで,ギター界には昔からこれが多い気がする。曰く,ソルのことを「ギターのベートーベン」。タルレガのことを「ギターのサラサーテ」。前にも書いたが,ジョンがA.ラウロの事を,「ギターのシュトラウス(ヨハンかヨーゼフかリヒャルドか知らないが)」といったとかの記述があった。楽器そのものに関しても,「小さなオーケストラ」,「表情のあるクラブサン」等々。
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演奏家でも,他の楽器の有名演奏家の名前を借りてこの表現を使う。昔ブリームのことをギターのポリーニとか書いているのを見た事がある。言う人は賛辞を込めて言うのだろうが,これは比較された人に大変失礼な事だ。まるで亜流だと言われているようなもの。実際はブリームの方がかなり年長だし,ある面ブリームのほうが大物では無いのか?書く人がギターを一段下に見ている,あるいは良く知らない証拠だった。ブロガー当人も,職場のクロード・チアリだとの賛辞?を受けた事があるが,それを言うならシロート・チアリだとかわして冗談にした。これの数は,ギター認識度のバロメータのようなもの。少ない方が正当に理解されている可能性がある反面,全く無いとどう理解されているのかすら分からないこわさはある。
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