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高校教員を辞めたわけ [ストレス蓄積と発散の日々]

曖昧な位置づけの部活指導はやはりストレスでした。むろん自分の得意分野・興味を持てるジャンルならば,本業にもプラスになり打ち込めます。しかし,そうでなければ,無駄に時間を取られ精神を擦り減らすだけです。

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音楽系をやりたいと思っていましたが,初年度はサッカー部でした。初年度は人員配置の都合なのでしょう。仕方ありません。音楽系は吹奏楽と軽音しかなく,2年目はめでたく軽音部の顧問になりましたが,様子は前記事で書いたとおり。

むろん吹奏楽の方が安泰ですが,敢えて選びませんでした。
何がイヤかって,セレモニー時の校歌演奏での指揮。如何にも部活指導頑張っています!という感じがダメです。演奏に指示が必要なのは開始と終了くらいのもので,これみよがしの格好悪い指揮は「恥ずかしい」以外の何ものでもありません。

校歌の指揮をするのが恥ずかしいので高校教員を辞めた。と言えばシンプルで良いですが,むろんそんな事だけではありません。


色々あったと思いますが,一つのきっかけは,そこのOBの一言。
「エンリケ,お前は何をしにこの学校に来たのだ?」
と聞かれたので,当方の教育の抱負などを述べましたが,にべもなく一蹴されました。

彼は部活の指導こそが第一なのだと。
しかし私は,何も好き好んでこの学校に来たわけでもなく,県教委から3月末に通知されて赴任したのみです。むろん自分の意志で教員となり,配属先では最善を尽くすつもりでしたが,部活で何をやらされるかなども全く分かりませんでした。

しかし彼の考え方は部活を頑張らせるのが教員の務めだと。正課の教育など二の次三の次。むろん進学校ならば大学進学を競わせる。そうでない学校は部活の試合で少しでも勝たせる。そんな「暗黙の」常識をわきまえないお前はバカだと。バカ扱いする人間と話が通じる訳もありませんでした。


それならそうと,なぜはっきりさせないのでしょう?
私は教員になる時もなってからも,任命権者や学校長から,「高校教員は,部活動指導を正課以上に,時に私生活を犠牲にしてでも頑張ってください。」などと命じられた事は一度もありません。むろんそんな事を命じるわけにはいかないわけです。

確かにその辺の事情を十分に把握せず教員になった私がバカだったのでしょう。別にそれは雑音だと無視する事もできたでしょうが,少なくとも一部の人たちの本音はそういうことかと遅まきながら悟った次第でした。むろん,それができる人はご立派で否定はしません。しかしそれはよほどの聖人君主でかつ幸運にも自分の趣味とスキルが合った人でしょう。普通はできっこないことだから,明示的に命ずる事などできない。業務とは認めないが教員の責務だとあやふやにしておくのでしょう。確かに私を罵倒した高校OBの描く教員理想像のように,中には授業などまともにやらず部活指導に精を出す教員もいました。それは建前上はともかく,本音ではむしろ賞賛される事なのでした。

高校野球はその典型でしょう。
甲子園にでも出場すれば,地元も湧き,学校OBも指導者を賞賛します。
甲子園に出した監督など,鼻高々で校長よりも偉くて威張っていると。当方が知る弱い部の監督でさえ,入試の合否判定に口出しをしていました(公立にもかかわらず)。


ただこれは学校の中の閉じた世界の因習というわけでもありません。
件のOBの様な考え方は必ずしも特殊なものではなく,世の中でも是認・容認されているのです。地元だって地元校の活躍で盛り上がりますし,企業の高卒社員の採用では,「甲子園に出た」なんて言えば一発パス。本人の適性やら学校での成績など関係ありません。

それを止めろとは言いません。地元校の活躍で盛り上がって,学校のPR効果はおろか地域おこしにまでなる。大変な業績です。しかし,それは教員の片手間でやらせるような仕事では無いはずです。それを暗黙の了解で,タダ働きでやらせようというのは全くいただけません。むろん野球ほどでないにしろ,他の競技でも大同小異。私にはそいう仕事にもならない仕事はカンベンでした。


本気で強い部を目指すならば,きちんと専門家を付けて合理的な指導をさせるべきです。それをなぜ素人教員の片手間(強制的ボランティア)に任せるのか?基本給に加算されたわずか4%の教員特別手当で1日24時間1年365日拘束されるとすれば,これはタコ部屋同然です。私生活を無にして課外活動に没頭できるそこまでの人格者は多くはないはずです。むろん多数の教員は何とかうまく折り合いを付けて頑張っているはずです。そして真面目な人間ほどやられてしまう。

地方では昔は教員の子供は教員をすることも多かったと思います。私の兄弟は全てそれぞれの分野の教育に関わりましたが,結局教員をしている子供たちはいません。教員は決して悪い職業ではないと思いますが,近年は割に合わない仕事として敬遠されるのでしょう。ただでさえ,近年本来の教員の仕事以外の業務が多いところに,野放し無限責任の半強制的な部活指導が重なったらかないません。。。


これでは教員の志望者が増えるわけがありません。一時期教員叩きが流行り,イメージが悪くなったことも要因でしょう。部活の指導を外部者に依頼しようにもなかなか見つからない様です。仕事として依頼するならば当然しっかりとした報酬を出すべきですが,予算の問題もあるのでしょう。それができないなら,部活そのものを止めれば良いし,それでも続けさせたいなら,学校OBなどの「部活・命」の熱心な人がボランティアで指導すれば良いのです。


教員の志望者が減って来たら,免許取得などの障壁を下げるのが順当です。しかし政策当局は何を考えたか大学での取得必要単位数などを増やして障壁を上げました。おまけに,廃止にはなりましたが現役教員に対する悪名高い免許更新制まで施行していました。志望者を減らすアベコベ政策でした。当方はとうに高校教員をやめていたので,心おきなく失効させました。


当方は10年余の社会経験と最高学位を得て(むろん教員免許さえあれば高校教員には無用で)教員になりましたが,ずっと教員の人よりも給与はかなり減じられていました。当方の社会経験はMaxに見てもらって8年。一方10年間教員やっていた人にはオマケが付いて12年分のキャリアとされましたので,4年余のハンディをいただいていました。生活には困らない額ではあるにしろ,始めから差を付けられるのも余り気分のよろしいものではありませんでした。
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アヨアン・イゴカー

>彼は部活の指導こそが第一なのだと。
驚きですね。こういう職場では、私もとても耐えられないと思います。
教員免許もとりましたが、結局最後まで勤務したのは、残業が少なく、出勤時刻が地獄のようなラッシュアワーに重ならない会社でした^^;
by アヨアン・イゴカー (2023-08-25 09:52) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
長年の慣習でそうなっていたのだろうと思います。日本社会には暗黙の掟のようなものがあちこちにあります。幸い勤務校は労務管理はしっかりしていたので,全く無茶なことはなく,それまでの民間よりはずっとラクだったと思います。給与も決して悪くはなかったですが,ただ,その後の事も考え,ガマンして不本意な仕事をするよりも,結局少しでも自分の好きな事をやる方が得だと思いました。むろんその後も決してラクではありませんでしたが。

by Enrique (2023-08-25 15:23) 

kazg

今や教職現場はブラック産業の代表のように、世間、特に若者にインプットされているようですし、裁量権も自由度も削られっぱなしですから、「やりがい」や「達成感」を見つけることがなかなか難しい、というのが常識になってきているようですね。専門教科の分野でもそうですから、押し付けられ感の強い部活動や、保護者対応、校務などの負担感はなおさらと思えます。
>むろん自分の得意分野・興味を持てるジャンルならば,本業にもプラスになり打ち込めます。しかし,そうでなければ,無駄に時間を取られ精神を擦り減らすだけです。
よく理解できます。究極的には、いくらかでも「生徒が喜んでくれている」「生徒の成長に貢献している」という思いが、ほとんど唯一支えになると思いますが、教育環境・社会環境の変化で、それがだんだん味わいにくくされてきているようで、現代の教師の皆さんが健全なモチベーションを保つことができるためにはどうあるべきか、、、、悩ましいことです。
by kazg (2023-08-26 12:12) 

Enrique

kazgさん,
なにやら教員は悪者の様に言われた時期がありました。
指導不適格教員がいると言うことで,研修を受けさせないとダメだとかいうことで,免許更新制度が実施されましたが,現場を知らない人たちの勝手な暴走でむしろ教育現場をブラック化させました。そしてその責任もとろうともしません。部活指導の位置付けなどをあやふやにした上で,アベコベの対策を取るから,ますますおかしくしました。悪い教育政策は色々あろうかと思いますが,教育基本法の改悪もその一つでしょう。

by Enrique (2023-08-26 20:15) 

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