演奏の基礎~その4~ [演奏技術]
当方なりの演奏の基礎について考えています。4回目になります。
前回は,拍節の感じ方と和音のレガート奏法についてでした。
ごく基本的な事すぎるからか,指導書等には取り上げられない内容について書いてみました。
2回に分けようかなとも思いましたが,くどいのも何かと思い一緒にしました。
もし一遍に出来ない場合は,無理にやろうとしない方が良いと思います。これに限らず,課題は最小単位に分けて解決するのが鉄則です。いっぺんに改善できるならば,とうに出来ていた筈ですから。
今後段階的に練習のコツを書いていこうとも思いましたが,良い指導書がありますし,当方の長年の課題「ステージでのあがり」に関してもそこで取り上げられていますので,それを改めて受け売りする気もありません。気になる方は直接参照されるのが一番だと思います。
強いてまとめれば,脱力,無理のないフォーム,合理的な練習法を用いて演奏すれば,確実な上達にもつながり,自ずと「あがり」に対しても,あまり気にならなくなるということだと思います。
実際の演奏の練習に関しては,一般の教室で使われる標準の教本で良いと思います。
という事で,「練習の基礎」はこのへんでやめようと思います。
具体的な練習法等は指導書がありますし,上達を望むならば,やはり個人レッスンを受けるのが一番です。長年やってきてプロレベルに達していると自負している人でも,上には上がいますから,プロの指摘は真摯に聞いて技術や音楽の改善向上に取り組むべきです。
「長年やってきたが改善しない」というのは,やり方がまずいからです。いくら言われても自分のやり方を変えないからです。むしろ,「長年自分流のやり方でやってきたので,改善するわけがない」のです。改善しない事実がそれを物語っています。まずは課題に気づくことが先決。そして問題点に関する他人の指摘を真摯に聞く事です。「大事なことはタダで教わるものだ。」とかつての私の師は言いました。師のタイプにもよると思いますが,ビジネスが絡むと却って本質的な問題を指摘しない様です。余りズバズバ言って教室を辞められてしまっては元も子もありませんので。
有償無償に関わらず,「こうした方が良いですよ」と言われても,それをやらずにただ弾き続けることほど有害なことはありません。むしろ問題点を抱えたままの演奏は封印して弾かないのが一番です。その辺の事は何度も書いていますが,お構いなしに弾き続けるのは,むしろ問題点がどんどん固定化するだけです。上達を望むならば,お楽しみモードと練習モードとを峻別するべきです。何も職業演奏家を目指すわけではないにしても,高い目標を持って自分の課題と真摯に向き合わなければ上達はあり得ません。
何度も書きますが,有名人気曲をばりばり弾きこなす人でも,まずはカルカッシOp60は良い課題です。難しい曲が弾けてこれが弾けないわけがないのですが,上達課題満載です。「カルカッシなんぞ」と舐める人もいますが,当方はこれの25曲を数年間で2・3回やりました。当方がギター再開後ついた先生も,あなたには必要ないというスタンスで,ソルの易し目の練習曲やメヌエットなどをかじった後,直ぐにセゴビア編のソルの20の練習曲をやって希望曲に突入しました。当方も希望どおりだったと思います。どんどん難しい曲を弾いて行きましたが,直面した問題が,ステージ上での異常なあがり,異常な緊張,演奏への力みなどだったでしょうか。
指導者をかわって,基本からやり直しました。演奏フォームの矯正,演奏への取り組み方,かなりのパラダイムシフトがありました。そしてやはり,カルカッシOp60です。これが良いとは聞き,独学で25曲弾き通してはいましたが,結果的には全然ダメでした。一つは「舐めモード」で,1日1曲くらいのペースで弾いていたせいでした。
NHK「ギターをひこう」で独学を開始した年の74年下期の荘村さんのテキストにはカルカッシOp60内の練習曲は「初級編」の終わりに取り上げられていましたので,そのイメージがあったのかもしれません。
荘村さんの時は,今から思えば,かなり難しい課題曲が「初級編」の終わりに取り上げられている印象です。前期分のテキストは今手元にありませんが,第19番なども載っていた記憶があります。
76年の芳志戸さんの時には,カルカッシOp60-が「中級編」の終わりに取り上げられていました(この時はさらに「上級編」がありました)。「アヒルの子は最初に見た動くものを母親と思う」そうですが,最初に見たものでイメージが出来てしまうのは人間の初心者でも同様の様です。
Op.60の第1番はスケールで,この第2番はアルペジオです。嫌いな人は,この辺からダメなのでしょうが,あくまで技術の練習曲で,これを「一生弾き続けなさい」と言っているわけでないのです。この様な単純なパターンを綺麗正確に表情豊かに弾きあげられたら,上達必定です。
Op.60の第6番を芳志戸さんは中級編の終わりに持ってきています。一見ハ長調の単調な曲で,嫌いな人にとってはツマラナサの極致の様な曲かもしれません。しかし,これをツマラナクぷつぷつと音を途切れさせながら弾いたのでは,はっきりいって何の意味もありません。2声の対位法的書法で書かれており,おそらくカルカッシを忌諱する人でも弾きたがるであろうバッハなどの多声曲を弾く際の基礎になります。上下の音のバランスと2声の音の動き表現するのはかなり難しい曲です。特にCとかFとか現代の楽器ではよく響かない音が二分音符で伸ばされ,八分音符とバランスを取るのはかなり難しく,初級者にはまず無理なレベルです。最後は,IVm-Iの「アーメン終止」であること,ここを「極力音を途切れさせずレガートに弾くこと」が重要であると指摘していました。実に音楽的なレッスンだった記憶があります。IV-IではなくIVm-Iであるところがまた実にお洒落なのですが,ダメな人にとっては,クソ面白くもないのでしょう。
Op.60の24番は実に劇的な曲でショパンの様です。しかしカルカッシの方が18歳年上ですから,当然カルカッシのオリジナルな楽興です。真っ当な曲になっています。最終曲第25番の様な派手さはないですが,内容的にはコンサートピースに載せても良い曲だと思います。
カルカッシのOp.60を「つまらないからやりたくない。」という人も少なからずいるようです。弾きたい曲だけ弾いて上手くなるなら誰でもそうしますし,それができる天才的な人は必要ないでしょうが,滅多にいるものではありません。高度な曲を弾きこなせる人は,カルカッシOp.60は全曲楽勝で弾きこなせるはずです。しっかりやった人は,皆必須と考えるはずです。「好きな曲をラクに楽しく弾く手段」としてやるのであって,「これは弾きたくないが,好きな曲をラクに楽しく弾きたい」というのは,いわゆる「ないものねだり」です。好きな曲1曲弾くのに何年何十年掛けられる人が,カルカッシOp.60の25曲にわずか1,2年もかけられないというのも不思議です。むろん,これだけやる必要もなく,レベルに応じた好きな曲をやりながら取り組めば良いだけなのです。カルカッシに音楽的内容は無いとは断言しませんが,むしろ大して音楽的内容はない方が良いのです。それが技術練習になるのです。つまらないから良いのです。それをどう音楽的に仕上げるかが練習なのです。例えばソルの練習曲はなまじ音楽的内容があるので,却って技術練習にはならないと言われます。
今回の要点:
・課題は最小単位に分けて解決する
・合理的な無理のない練習法にこころがける
・練習モードとお楽しみモードを峻別する
・プロについて個人レッスンを受けるのは必要
・長年やっても上達しないのは,他人の指摘を理解せず練習方針を変えないから
・難しい曲をむやみにやるよりカルカッシOp.60を仕上げるのは最も良い練習になる
前回は,拍節の感じ方と和音のレガート奏法についてでした。
ごく基本的な事すぎるからか,指導書等には取り上げられない内容について書いてみました。
2回に分けようかなとも思いましたが,くどいのも何かと思い一緒にしました。
もし一遍に出来ない場合は,無理にやろうとしない方が良いと思います。これに限らず,課題は最小単位に分けて解決するのが鉄則です。いっぺんに改善できるならば,とうに出来ていた筈ですから。
今後段階的に練習のコツを書いていこうとも思いましたが,良い指導書がありますし,当方の長年の課題「ステージでのあがり」に関してもそこで取り上げられていますので,それを改めて受け売りする気もありません。気になる方は直接参照されるのが一番だと思います。
強いてまとめれば,脱力,無理のないフォーム,合理的な練習法を用いて演奏すれば,確実な上達にもつながり,自ずと「あがり」に対しても,あまり気にならなくなるということだと思います。
実際の演奏の練習に関しては,一般の教室で使われる標準の教本で良いと思います。
という事で,「練習の基礎」はこのへんでやめようと思います。
具体的な練習法等は指導書がありますし,上達を望むならば,やはり個人レッスンを受けるのが一番です。長年やってきてプロレベルに達していると自負している人でも,上には上がいますから,プロの指摘は真摯に聞いて技術や音楽の改善向上に取り組むべきです。
「長年やってきたが改善しない」というのは,やり方がまずいからです。いくら言われても自分のやり方を変えないからです。むしろ,「長年自分流のやり方でやってきたので,改善するわけがない」のです。改善しない事実がそれを物語っています。まずは課題に気づくことが先決。そして問題点に関する他人の指摘を真摯に聞く事です。「大事なことはタダで教わるものだ。」とかつての私の師は言いました。師のタイプにもよると思いますが,ビジネスが絡むと却って本質的な問題を指摘しない様です。余りズバズバ言って教室を辞められてしまっては元も子もありませんので。
有償無償に関わらず,「こうした方が良いですよ」と言われても,それをやらずにただ弾き続けることほど有害なことはありません。むしろ問題点を抱えたままの演奏は封印して弾かないのが一番です。その辺の事は何度も書いていますが,お構いなしに弾き続けるのは,むしろ問題点がどんどん固定化するだけです。上達を望むならば,お楽しみモードと練習モードとを峻別するべきです。何も職業演奏家を目指すわけではないにしても,高い目標を持って自分の課題と真摯に向き合わなければ上達はあり得ません。
何度も書きますが,有名人気曲をばりばり弾きこなす人でも,まずはカルカッシOp60は良い課題です。難しい曲が弾けてこれが弾けないわけがないのですが,上達課題満載です。「カルカッシなんぞ」と舐める人もいますが,当方はこれの25曲を数年間で2・3回やりました。当方がギター再開後ついた先生も,あなたには必要ないというスタンスで,ソルの易し目の練習曲やメヌエットなどをかじった後,直ぐにセゴビア編のソルの20の練習曲をやって希望曲に突入しました。当方も希望どおりだったと思います。どんどん難しい曲を弾いて行きましたが,直面した問題が,ステージ上での異常なあがり,異常な緊張,演奏への力みなどだったでしょうか。
NHK「ギターをひこう」74年下期の荘村さんのテキスト。 |
指導者をかわって,基本からやり直しました。演奏フォームの矯正,演奏への取り組み方,かなりのパラダイムシフトがありました。そしてやはり,カルカッシOp60です。これが良いとは聞き,独学で25曲弾き通してはいましたが,結果的には全然ダメでした。一つは「舐めモード」で,1日1曲くらいのペースで弾いていたせいでした。
NHK「ギターをひこう」で独学を開始した年の74年下期の荘村さんのテキストにはカルカッシOp60内の練習曲は「初級編」の終わりに取り上げられていましたので,そのイメージがあったのかもしれません。
NHK「ギターをひこう」76年上期の芳志戸さんのテキスト。 |
荘村さんの時は,今から思えば,かなり難しい課題曲が「初級編」の終わりに取り上げられている印象です。前期分のテキストは今手元にありませんが,第19番なども載っていた記憶があります。
76年の芳志戸さんの時には,カルカッシOp60-が「中級編」の終わりに取り上げられていました(この時はさらに「上級編」がありました)。「アヒルの子は最初に見た動くものを母親と思う」そうですが,最初に見たものでイメージが出来てしまうのは人間の初心者でも同様の様です。
Op.60の第1番はスケールで,この第2番はアルペジオです。嫌いな人は,この辺からダメなのでしょうが,あくまで技術の練習曲で,これを「一生弾き続けなさい」と言っているわけでないのです。この様な単純なパターンを綺麗正確に表情豊かに弾きあげられたら,上達必定です。
Op.60の第6番を芳志戸さんは中級編の終わりに持ってきています。一見ハ長調の単調な曲で,嫌いな人にとってはツマラナサの極致の様な曲かもしれません。しかし,これをツマラナクぷつぷつと音を途切れさせながら弾いたのでは,はっきりいって何の意味もありません。2声の対位法的書法で書かれており,おそらくカルカッシを忌諱する人でも弾きたがるであろうバッハなどの多声曲を弾く際の基礎になります。上下の音のバランスと2声の音の動き表現するのはかなり難しい曲です。特にCとかFとか現代の楽器ではよく響かない音が二分音符で伸ばされ,八分音符とバランスを取るのはかなり難しく,初級者にはまず無理なレベルです。最後は,IVm-Iの「アーメン終止」であること,ここを「極力音を途切れさせずレガートに弾くこと」が重要であると指摘していました。実に音楽的なレッスンだった記憶があります。IV-IではなくIVm-Iであるところがまた実にお洒落なのですが,ダメな人にとっては,クソ面白くもないのでしょう。
Op.60の24番は実に劇的な曲でショパンの様です。しかしカルカッシの方が18歳年上ですから,当然カルカッシのオリジナルな楽興です。真っ当な曲になっています。最終曲第25番の様な派手さはないですが,内容的にはコンサートピースに載せても良い曲だと思います。
カルカッシのOp.60を「つまらないからやりたくない。」という人も少なからずいるようです。弾きたい曲だけ弾いて上手くなるなら誰でもそうしますし,それができる天才的な人は必要ないでしょうが,滅多にいるものではありません。高度な曲を弾きこなせる人は,カルカッシOp.60は全曲楽勝で弾きこなせるはずです。しっかりやった人は,皆必須と考えるはずです。「好きな曲をラクに楽しく弾く手段」としてやるのであって,「これは弾きたくないが,好きな曲をラクに楽しく弾きたい」というのは,いわゆる「ないものねだり」です。好きな曲1曲弾くのに何年何十年掛けられる人が,カルカッシOp.60の25曲にわずか1,2年もかけられないというのも不思議です。むろん,これだけやる必要もなく,レベルに応じた好きな曲をやりながら取り組めば良いだけなのです。カルカッシに音楽的内容は無いとは断言しませんが,むしろ大して音楽的内容はない方が良いのです。それが技術練習になるのです。つまらないから良いのです。それをどう音楽的に仕上げるかが練習なのです。例えばソルの練習曲はなまじ音楽的内容があるので,却って技術練習にはならないと言われます。
今回の要点:
・課題は最小単位に分けて解決する
・合理的な無理のない練習法にこころがける
・練習モードとお楽しみモードを峻別する
・プロについて個人レッスンを受けるのは必要
・長年やっても上達しないのは,他人の指摘を理解せず練習方針を変えないから
・難しい曲をむやみにやるよりカルカッシOp.60を仕上げるのは最も良い練習になる
「ギターをひこう」は見ていた覚えはあるのですが、内容は全くおぼえていません。視聴者からの質問で「寒いときに指が動かないのはどうすればよいか」という質問に荘村清志さんが「お風呂に入るのがよい」と答えていたのだけ記憶しています。
数年前からギターを再開しています(レッスンを受けています)。青本の後、カルカッシOp.60をやっていますが、4年かかってやっと24番です。
安上がりの趣味だなとしみじみ思います。
by 上山完 (2022-12-15 10:40)
上山完さん,
私もある質問を覚えています。
「弾きたくない時はどうすればよいか」
と言う質問に対して,「そういう時はなるべく弾かない方がよい」
という回答で「何とシンプルな」と思いました。
カルカッシOp60は,テキトウにやっては余りが効果なくて,時間掛けてじっくりやるのが良いと思います。本来の練習曲ってそういうものですね。当方,1回さらっとやりましたがダメで,結局2度3度とやり直すことになりました。誤解してナメていたのが間違いでした。超一流演奏家を輩出しているマドリー音楽院ではかつてこれが必須課題(現在もそうかもしれません)で,第一学年から第六学年まで掛けてやっていたようです。クラシックギターの基礎に如何に大切かという事です。逆にその重要さを理解できないのは,如何にクラシックギターの基礎を知らず蔑ろにしているかの証明だと思います。
by Enrique (2022-12-15 12:54)