SSブログ

真似ると学ぶと [演奏技術]

人に着いて学ぶ以上,一旦は言われた通りにやってみるという事も必要な事だろうと思います。

その事は,当ブログの初期に,ピアニストのダン・タイ・ソンの例を引いて記事にしました。

セゴビアは自分の流儀に従う人しか受け付けませんでした。
沢山の証言がありますし,公開レッスンの途中に,数小節も弾かせず出ていけと追い出してしまった動画があります。人に教えるというのは,自分のスタイルをそのままコピーさせることだったのでしょう。ほぼ独学で大成した人だから,それは無理もない事でしょう。大家が考え抜いて決めた運指を,生徒が変えて弾いていたりしたら,それはもう教えるところもないということなのでしょう。セゴビアの姿勢を見て,彼に気に入られるよう努力する人達も大勢いました。一例として,パークニングがセゴビアに気に入られるよう色々画策したという話がありました。むろん心酔するプレイヤーのスタイルを真似る事をどうこう批判する事も出来ません。


ブリームは逆で,生徒がブリームの弾き方を真似して行くと叱られたのだそうです。
さもありなんでしょう。ブリームのスタイルだって,ややくせのあるものです。ブリームはそれが自分にとって一番良いと思ってそうしていたわけで,人間それぞれ個性があり長所も短所もあります。技術面だって音楽の嗜好面だって違って当然のことです。

真似ることが出来るのはかなりの技術だろうと思います。
ただし,それは先生の演奏をそのままコピーするのとは大違いの事で,巧みに真似るのは本家並み以上の技術を持っていないと出来ない事だろうと思います。往々にして素人が大家の演奏を真似すると,悪いところばかり真似してしまう傾向になります。音楽の基本やそれに対する姿勢なりプロセスなりを端折って,出て来た音だけ聴くとそういう事になると思われます。


基本的な技術を要する芸術面において,いきなりオリジナリティなど出てくるものではありませんが,それを重視する姿勢が無いと永久に出てこないはずです。「オリジナリティなどくそくらえ。シロートだから,先生や大家のコピーをしてそこそこ上手くなれば良い」という考え方もかなりありそうです。むろんほんの一握りトッププロのレベルに,素人が肉薄できる訳もなく,コピー演奏の上手な人を目指すというのも有りでしょう。

当方の嗜好は異なっていて,プロの演奏を聴いて参考にすることは余りしません。
プロの演奏には遠く及ばないものであっても,ほんの一握りのオリジナリティを発揮できれば自分は満足できます。逆にいくら上手な演奏であっても,コピー演奏は録音機に近い事で,それに貴重な時間を費やす事に価値を感じられないのです。むろん,コピーでも本家より優れている面があれば別ですが,それは既にコピーとは言えないものでしょう。通常のコピーは必ず劣化するものです。


個別にこの演奏家がどうとか,この曲のこの部分はこう弾くんだという,ケーススタディも必要でしょう。しかし,そればかりで原理面の裏付けのないものは困ってしまいます。そういう学習法ですと,先生のスタイル通りに曲を習うしかなくなってしまい,新曲を自分の演奏として組み立てられません。この曲のこの部分はこう弾くんだと言う教え方では,それが音楽的・普遍的に正しいのか単なる嗜好なのか区別がつきません。

むろん,本人の好みが合えばそれもどうこう言う事ではなく,学び方もまた嗜好の問題です。基礎基本の学習はしつつ,古今東西弾き古された曲であっても,常に自分で音楽を作るという姿勢が当方の好みだと言うだけの事で,他のスタンスの人にどうこう言う積りは全くありません。
nice!(28)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

nice! 28

コメント 6

風神

独自独学でやる場合は、真似るから入ればいいと思うし、学ぶは教えを請う訳ですから、最初は言われた通りですね。
どちらにしても、才能ある人はやがてはオリジナルを創りだすのでしょうね。
そしてどちらも、基礎基本は必須ですね。
by 風神 (2022-02-14 15:02) 

アヨアン・イゴカー

学習については何でも同じですが、
最初は、好きな演奏を真似る、そこから始まると思います。
自分が感じている、考えを述べさせてもらえば、オリジナリティと言うのは、探し出して見つけるものではないと思います。自分が好きなことをやり続けていれば、それがオリジナリティなのだろうと。オリジナリティは結果にすぎない、そう感じます。誰かの演奏に似ているのなら、その方のオリジナリティと似ているだけで、何の問題もありません。
どんなに良い先生と言われる方に習ったとしても、先生の言いなりになって、その表現と同じように演奏したら、ただの亜流でしかありません。

by アヨアン・イゴカー (2022-02-14 23:01) 

枝動

こんばんは。
この記事への直接のコメントではなく恐縮ですが、
NHKBSPの「クラシック倶楽部」という番組を見ました。
先日番組表を見ていて、Enriqueさんのブログで知った村治佳織さんのお名前が在ったので、録画しておいたんです。
弟さんと二重奏もされていました。手指を見ていますと、Enriqueさんの仰っていた「脱力」力みの無さを素人目にも感じられました。
静寂の中で、クラシックギターの至高の音色だけを聞く、そんな時間でした。
楽譜を見たところで解りませんし、他の人の演奏も知りませんので感想も述べ難いですが、演奏に彼女の品位が出ているようで、これがオリジナリティなんだろうなと思えます。

by 枝動 (2022-02-14 23:06) 

Enrique

風神さん,
基本的にはおしゃる通りだと思います。
才能ある人はどのようにやっても,やがては自立するものだろうと思います。曲の演奏に関しては自分で曲を組み立てられることが最低限のオリジナリティだろうと思います。
by Enrique (2022-02-15 09:36) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
オリジナリティなるもの厄介な存在ですが,これが無いと芸術(に限らず科学でも)は成り立ちませんね。
探し出して見つけるようなものではないというのは全く同感です。誰かと違う事をしようとした時点で,余りオリジナリティある行為とは言えませんから。

演奏芸術におけるオリジナリティというのは,なかなか定義が困難な問題だと思いますので,個々人により解釈がかなり変わると思います。物まねも場合によりオリジナリティある行為と言えますし,デタラメもオリジナリティと紙一重です。

演奏芸術においては,譜面に書かれた情報を音にする時点でほぼ同じものになるはずです。そのように五線譜は作られて来ましたし工夫されてきたと思います。「ほぼ同じ」でない所に個々人の独自性が現れるわけですが,独自性を発揮すればするほど,編曲に近いものになってしまいます。

私の考え方としては,クラシック音楽では,譜面の情報を音にする時点で,奏者の好みや音楽経験が現れるわけですので,新曲を弾く前に人の演奏を聴く(聞き覚えで知っているものは仕方ありませんが敢えて何度も聴く)のは,試験で言えば,事前に答えを見る事になります。事前に聴かない方が,仮に余り良い答えでは無くてもカンニングするよりはマシ(少なくともオリジナリティはあるの)だと思うわけです。むろん自分で弾いてみてから人のものを聴いてみる行為は練習として良いと思います。

どうしてそこをそのように弾くんだろう?「明らかな真似だな」と感じられるのは私の嗜好には合いません。特に大家の演奏はクセが強いので,それをやると見え見えに感じとれてしまいます。

ギター界ではかつては自分の亜流を作る教え方が多かったようですが,現在は生徒のオリジナリティを重視するようです。ギターの場合は,運指が奏者によって変わり,演奏表現に大きく影響しますので,一つ分かりやすいオリジナリティです。セゴビアは自分の指定と異なる運指で弾いてきた受講生を数小節聴いただけでダメだとして追い出したのでした。
by Enrique (2022-02-15 10:19) 

Enrique

枝動さん,
一流プロですと,「あっ,これは誰誰の演奏だ」と分かります。
現代の演奏家は,力みのない演奏をされます。むろん昔でも一流の人はそうだったのですが,「脱力」というキーワードがあらゆる楽器演奏の最優先課題として語られるようになりました。
村治さんの演奏を通してクラシックギターの良さを感じ取っていただいて嬉しいですね。村治さんたちがデビューするまでは,クラシックギターが一般の方の目に触れる事もごく少なかったですから。評論家のようになる必要は無いと思いますので,率直に良いと感じてもらえれば良いと思います。
by Enrique (2022-02-15 10:27) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。