SSブログ

曲が弾けるプロセスと忘却曲線について [演奏技術]

さっぱり弾けなくなった昔弾いた曲を,効率よく引っ張り出す方法を考えていましたら,一体「曲が弾けるようになる」というのは,どういう状態を指すのだろうか?という基本的な疑問に当たりました。まずそれがはっきりしないと,雲をつかむような話だと。

そのことがある程度分析できれば,効率よく引っ張り出す手がかりになるかもしれませんし,仮にそれが今まで行ってきたことに対して否定的な結論であっても,今後の練習方法の改善にはつながると思われます。

新曲を弾く際の譜読みというのは,視覚情報を音情報に替える作業をする事になります。この際に,聞いたことのある曲であれば譜読みが早いということはよく経験することです。ということは,別の情報が相互に結びついて演奏を作っていることになります。情報を複数入れることは,単独の情報よりも演奏しやすさに対して相乗効果があるという事でしょう。視覚情報には指板の情報もありますし,両者にはさらに上声・下声・和声などの情報,曲の構造,むろん曲の背景情報なども含まれる事でしょう。記憶の観点から見れば,別の情報が相互に結びついて記憶を強固にしているものと想像されます。演奏行為を一括りに言ってしまえば,さまざまな記憶の集合体だということでしょう。

記憶に関しては,古くから「忘却曲線」というものが考えられています。
1885年に発行されたヘルマン・エビングハウス(Hermann Ebbinghaus)という人の著書[1]に現れる忘却曲線は,最も著名なもので,以下の様に表されるそうです。
\[b = \frac{1.84}{({\log_{10}{t})^{1.25}}+1.84} \] ここで,\(b\)は節約率[%],\(t\)は時間[分]です。節約率とは,一度学習した内容を復習する際に,最初に学習に要した時間や回数よりもどれだけ減るかという比率です。例えば,60%の節約率というのは,元の学習量に対して再学習に要する時間や回数が残り40%ぶん必要だということです。確かに忘却の一側面を捉えているのでしょうが,正確には忘却曲線というよりは,復習効率低減曲線とでもいったほうが良さそうです。

まあ,もとの数量じたいが定量化の難しいものな上に,マジックナンバー満載の実験式ですが,2015年に発表された論文[2]でもこの結果は再確認されているのだそうです。研究者により色んなカーブがある様で,最もシンプルなものは,単に指数関数で表したものもある様ですが,エビングハウスのカーブとはだいぶ様相が異なります。指数関数では一定の低減率で0に向かいますが,エビングハウスのカーブは当初は急激に低下しますが,以降結構しぶといことが分かります。ここでは定説?に従ってこちらのカーブを考察することにします。

カーブを図示すると以下の様になります。
忘却曲線1.png

横軸が経過時間[分]で縦軸が節約率です。節約率は最初の60分程度で急激に半減したのち,以降緩やかな低減を示すのが特徴的です。横軸を長い時間に取るとその特徴は更にはっきりします。何十年の時間幅を取ることをこの式は想定していないかもしれませんが,敢えてやるために横軸を対数目盛にしてみます。 忘却曲線2.png

忘却曲線は,記憶量そのものの低減を表しているわけではなく,元の学習状態を再現するための,いわば学習効率の低下を示しています。また,意味の無いランダムな文字の羅列の記憶状況を調べているので,学習効率の低下は速いものと思われます。ただそう言っても60分以内などの初期の低下は激しいものの,その後の低下は随分とゆっくりです。この事は,たとえ無意味な文字の羅列の記憶であってさえも完全に学習効果が消えるものでは無いということを示しています。この曲線は数十年の長期間まで想定しているとも思えないのですが,Fig.2のグラフの右端は107分,すなわち20年ほどに相当するわけですが,それでも十数%の学習効果が残っているということは驚きです。そしてそれは50年でも100年でも大差なさそうです。

十分練習を積んで曲を弾けると言う状態は,1時間やそこらで学習効果が低減するものでもなさそうです。むろん,細かな指の運びなど個々の記憶は無意味な記憶と大差ないかもしれませんが,弾けると言う状態は細かで単純な学習効果の残余分の集積だと言えるかもしれません。あるいは,様々な意味のある記憶の有機的結合の結果,学習効果の低減は遅くなっているとも考えられます。ただそれを定量的に評価する事は難しいので,エビングハウスのカーブを最悪パターンとして見ておくことも無意味ではないでしょう。

その様な性格もしくは限界を踏まえた上で想像を交えた定性的結論(独断とも言います)を述べてみます。
・前後関係は新しいものでは大きいが,古いものではその差は僅か。20年前でも50年前でも大差なさそう
・学習効果の初期低下は激しいが,残余分はかなり長時間保持。繰り返し復習したものが長期記憶として定着するのでは
・良くも悪くも,学習効果は部分的にかなり長時間残余していそう

その上で対応を考えてみます。
・発表会等で弾いた曲は,早めに復習してメンテしておくのが良さそう
・一定期間すぎたものはあまり前後関係を気にする必要はなさそう
・遅かれ早かれ学習効果の低減は起こりそうなので,時々弾いて必要に応じメンテ
・なるべく良い状態のものをメンテ。古い悪い記憶は処分(弾かない。あえて悪い記憶をメンテしない)
・実際の演奏に関する定量的評価は実験をしてみる必要あり
などでしょうか。

References:

[1]"Memory: A Contribution to Experimental Psychology -- Ebbinghaus (1885/1913)"
[2] Murre J.M.J., Dros J., "Replication and Analysis of Ebbinghaus’ Forgetting Curve", PLOS ONE 10(7), (2015) .

数式の記述にはMathJaxというスクリプトを利用させていただき,具体的な記述には以下のページを利用して確認しました。 http://genkuroki.web.fc2.com/MathJax/LivePreviewMathJax-jquery.html
nice!(7)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽

nice! 7

コメント 4

たこやきおやじ

Enriqueさん

「曲が弾けるようになる」という事の前に、「何のために音楽をするのか」という「哲学的命題」があるように思います。(^^;
アマチュアは人それぞれに色々な思いがあると思います。私もまたギターを弾き始めて、もう誰に聞かせるわけでもない曲を何故練習しているのだろうと思うことがあります。(^^;


by たこやきおやじ (2019-12-05 11:16) 

Enrique

たこやきおやじさん,
「何のために音楽をするのか」と問われれば,生存に必要だからと答えます(あるいは単に好きだから)。当方はそこにあまり議論の余地を感じません。もちろん,プロが生活のためというのとは違う,お金に換えられない価値を得るためといえましょうか。
従って,よりよく生きるために,よりよく音楽をする方法論を探っています。
by Enrique (2019-12-05 17:13) 

シロクマ

久しぶりにコメントさせて頂きます。
楽器演奏は生身のヒトなので、たとえ曲や運指を覚えていても、それなりの時間が経ってしまうと身体が固くなってしまったり、爪の感触がチグハグといった身体的な制約で思った様に再現できないと悩む事がずっと多い気もします。
だからと言ってずっと休まず練習を根詰めて続けても腰痛その他の労災が起こったり、、、生活を取られすぎたり(笑)。
生活に織り込ませつつパフォーマンスを人様にそれなりに魅せられる状態を維持するのは至難の技だなぁといつも思ってます。
楽器も人も曲も時も生き物だと思うように心がけてトントンくらいでしょうか。


by シロクマ (2019-12-06 21:57) 

Enrique

シロクマさん,お久しぶりです。
演奏を記憶の変化にのみ単純化した話を書きましたが,確かに身体の変化も大きいですね。部分的故障で影響が大きい場合もあれば余り無いこともあれば。。。
よりムリのない弾き方に心がけるべきと思っています。リラックスはあらゆる面に良い様に思います。かつては弾きにくい箇所があると「頑張って弾こう」と思っていましたが,今はそう言う箇所があると,何とかラクに弾けないかと構えや運指等を検討します。
by Enrique (2019-12-08 05:26) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。