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体力と体の使い方と [雑感]

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スポーツの記録は伸び,平均寿命は伸びています。
人々の体力は上昇したのでしょうか?

昔のセメント袋は50kgでした。それが重すぎるということで,40kgになり,ついに現在では25kg。往時の半分です。スポーツの進歩とは反比例する様です。

セメント袋に限らず,様々な原材料などの袋詰め製品も25kgになっているようです。詳しくは知りませんが,企業の工場にいた時,確か1人で持ち上げる荷物は30kgまでという作業指針があったように記憶します。

昭和30年頃の様子。仙南村合併45周年記念写真集稲源郷より。
ぼっかさんは100kg程度の荷物をしょって3000mの山に荷物を運び上げたものでした。
信じられない怪力の様に思われかも知れません。むろん体力は必要ですが,力以上に技術だと思います。
私は運動体力は全く無いですが,10代の頃に60kgのコメを数十袋運ぶ作業をやっていました。60kgはネットウェイトですから,風袋込みトータルウェイトは61.3kgか61.4kgありました。それでも昔の藁俵よりは運びやすいのだと言われました。

ある日,私よりも遥かに体育の成績も良い少林寺拳法をやっている友人がたまたま遊びに来ている時にそれを運ぶ事になりました。手伝ってくれるととりついた彼にはにっちもさっちも行かず,危険なので遠慮してもらいました。60kgの人間をおぶるのは大抵の男子なら出来ますが,60kgの麻袋入りのコメを力ずくで動かすのは大変のようでした。私が父とすいすい運んでいるのを見て驚嘆していました。

しかし,コツさえつかめば軽いのです。短い「ひょうかぎ」を使っていました。一本かぎは怖いので三本かぎを使っていました。これを使って,コメ俵を腰に入れてひょいとやると,ごく小さな力で腰に乗り,そのまま平行移動させるには余り体力は要りません。柔道の背負い投げの要領ですが,腰までなので背負う必要もありません。普通コメは何段かに積んであるので,2段目3段目あたりならば,殆ど体力は要りません。材木屋さんならば,材木を軽々と運びます。あれも,てこの原理と重力バランスを利用しているので,無駄な力を使う必要が無いのです。恐らく,いろんな業種で荷物の運びのコツがあるのでしょう。今の私には25kgのセメント袋でも重いですが,これの運びにもコツはあるのでしょう。30kgの紙袋入りのコメならば肩に載せていた記憶があります(上の昔の写真では60kgの米俵を肩に乗せています)。

ひるがえって,ギターの演奏です。演奏にはある程度力が要りますが,そう大した力ではありません。むしろ体の使い方です。そうでなければ演奏家は1時間も2時間も弾き続けられません。

いい歳になって,人力でピアノを運んだり,小規模な建物ながら人力で棟上げをしたりしたので,腰を悪くしたのではないかと最近検査をしましたが,腰は悪くなっていませんでした。背骨の間隔は十分にあり,大丈夫だと言われました。妻はピアノしか弾いていないのにヘルニアの手術をしました。

必要がない技術として忘れ去られるロストテクノロジーならぬ肉体作業に伴うロストスキルですが,体の使い方として役だっているのだと思った次第です。
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シロクマ

負荷を分散させるコツは楽器演奏でも上手い人なんてことないかのようにやってのけて舌を巻くばかりですよね。身のこなしは今風のスポーツ用語でいうとコーディネーションということになるでしょうか。

スポーツでも特定の競技で酷使されることを見越して、必要な部位を特に鍛えパフォーマンスを上げようとするファンクショナルトレーニングや鍛えたことによって関節角度とかのアンバランスが起こらないようにアライメントを気をつけていこうとしているそうです。

ヘルニアも、筋量が少ないと桶のタガが緩んでしまっている様な状態で生じたのかも知れませんね。座ると使える関節の数も減りますし、これは内骨格で、脊椎を持つ人間の宿命かもしませんね。
画像には映らない神経線維以外の身体の肉体からのフィードバックもつぶさに拾っていくしかないのかも知れませんね。(←言ってはみるもののどうやるんでしょうね(笑))
by シロクマ (2017-12-28 21:21) 

Enrique

シロクマさん,
トレーニングをやっている野生動物を見た事がありませんので,私はトレーニングには懐疑的です。と言うかそれは口実であまり好きではありません。好きな方は大いに楽しめば良いと思います。
筋肉は使わなければ退化しますが,それも自然の摂理でしょう。鍛えるよりもムリが掛からない体の使い方の方が重要と思います。
スポーツ科学ではいろんな事が言われているのですね。ただ整形外科医がいるのに整骨院があるのも常々不思議に感じています。
昔は腰の曲がった老人が沢山いたものですが今は余り見かけません。体への負担は減っているのでしょうね。
by Enrique (2017-12-29 04:56) 

kazg

60kgの米は、とても運べません。半分の30kgでも、四苦八苦です。方ではなく、腹に乗せてヨロヨロ運びます(笑)

by kazg (2017-12-29 07:28) 

シロクマ

enriqueさんのおっしゃる通り正しくそうなんですよ。パフォーマンスを上げようと鍛えて、 元の「バランスをわざわざ乱して」強くなるつもりが、逆に怪我のリスクを上げてしまう。たいそう小賢しく鍛えていかないと自然には抗えない感じです。筋肉は発達すると可動域を逆に狭めますし、重く、硬くもなる、それこそ多面的に考えるゆとりがないと閉塞してしまう世界です。
by シロクマ (2017-12-29 18:04) 

Enrique

kazgさん,
かつては60kgが人の持てる標準だった様ですが,セメント袋の例でもわかる通り30kg以下になっている様です。
今の私を含め現代人は力がなくなっているわけではないのに持てないということは体の使い方が出来ていないようです。
30kgで言えば,肩に上げたほうが却って楽だと思います。
どこぞの国の女性が重い水瓶などを頭にのせて運んでいますが,おそらくあれが一番楽なのです。手で抱えると筋力が必要となり,とても長距離・長時間持ちません。
by Enrique (2017-12-30 07:22) 

Enrique

シロクマさん,
極論してしまうと,トレーニングって体を保っているのか壊しているのか分かりませんね。スポーツをして故障してしまうのも何とも痛ましい話です。
by Enrique (2017-12-30 07:25) 

アヨアン・イゴカー

人間には、動物としての本来の力が相当に備わっていると思います。
雑巾を絞れない、ナイフで鉛筆を削れない小学生が話題になったのは随分昔で、30年以上前ではなかったかと思います。できないのではなく、経験がない。そういうことは無数にあります。経験がないだけなのに、或いは練習時間が不足しているだけなのに、自分は苦手だ、向いていない、自分にはできない、などと諦めてしまうことの方が多いような気がします。
by アヨアン・イゴカー (2017-12-31 00:07) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,
物を人力で運ぶ事自体がなくなっていますので,重いものが運べなくて当然でしょう。重いものを持つ際,筋力を使ってしまいます。
おっしゃるように,経験が無いだけなのでしょうが,必要性がなければ練習する必要もありません。自転車に乗ったり,スキーに乗ったりと同じなんでしょうが。原体験が無いものはどうしようもありません。
雑巾絞りやナイフでの鉛筆削りは,出来ないのが当たり前の現在では話題にもならないのではないでしょうか(たいがいの先生も出来ない?)。
by Enrique (2017-12-31 06:45) 

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