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ヘルムホルツ共鳴器と楽器のウルフトーンについて [楽器音響]

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ヘルムホルツはドイツの19世紀の物理学者・生理学者です。彼の業績は多岐にわたりますが,音響に関連する業績として,ヘルムホルツ共鳴器があります。

ヘルムホルツ共鳴とは何かと言うと,瓶を吹いた時に鳴る音です。
これを空洞共鳴音と呼ぶことにします。通常これが最も低いギターボディの共鳴音すなわちウルフトーンに相当します。ウルフトーンは共鳴胴を持つ楽器特有のものですが,ウルフトーンとぶつかる音が大きく詰まった音になりますので,これが重要な音,特に開放弦の音程にぶつからないように設定されます。なお,ヘルムホルツ共鳴器の固有周波数は,瓶の容積と口の大きさおよび首の長さで決まります。

最も単純な振動モデルは,質量とバネです。振動は基本的には何が質量に相当し,何がばねに相当するかで決まります。一般化すれば慣性力と復元力のせめぎ合いで起こります。電気振動ならインダクタンスと静電容量,電磁波なら透磁率と誘電率と言った具合です。

ヘルムホルツ共鳴器では,質量に相当するのが,空気の負荷で,瓶の口の大きさと首の長さで決まります。
バネは瓶の容積で決まる空気ばねです。口の面積が狭く長いほど質量に相当する空気負荷が大きく,体積が大きいほど空気バネは柔らかくなるので,共鳴周波数は下がります。

通常のギターでは,首の長さは殆ど無く穴があいているだけですから,同じボディ・サイズならサウンド・ホールが小さいほどウルフトーンは下がり,逆では上がります。

ウルフトーンを調整するのに一番簡単なのは,サウンドホールの大きさでしょう。首の長さは殆ど無いと言いましたが,明示的に付けることも可能です。トルナボスです。あるいはカマラと呼ばれる,ボディ内の仕切り板も空気負荷を増やすことになります。これらの付加は,他の条件が同じならば,ウルフトーンの音程を下げることになります。

具体的に計算してみましょう。
基本式は偏微分方程式で表されて,その扱いは難しいですから,解の式のみ示します。図で示す様な典型的なヘルムホルツ共鳴器の共鳴周波数*は,


(1) 

ここで,Lは首の長さで,通常のギターの場合はこの長さは殆ど0ですが,空気が感じる首の長さはあるわけで,それを縁端補正というそうです。ギターのようにフランジ付き(表面板があるので)の場合は,

(2) 

となり,サウンドホールの半径の1.7倍の長さの首があるのと等価という事です(実際に首があれば,またその首の縁端補正が必要ですからこの言い方は不正確ですが)。ともあれ,クラシック・ギターの場合を計算してみましょう。

(1)式のLを(2)式のL'に置き換え((2)式のL=0とします),サウンド・ホールを円形として,S円の面積Sa2を代入し,ω0は角周波数[rad/s]ですから,2πで割り算して通常の周波数f0[Hz]にしますと,(1)式は以下のようになります。



(3) 


最後の(3)式に値を入れてみます。
音速c=330 m/s,私の楽器のサウンドホールの半径を0.0425m,ボディの体積を0.012m3とします。
もちろん,この数値はきちんと測る必要がありますが,ボディの体積は正確に測るのが面倒です。コメでも入れてみれば良いかもしれません。

私の楽器のヘルムホルツ共鳴周波数を上式で計算すると約134Hz。この音は,⑤弦のC音とC#音の間くらいに相当します。実際に測ってみると,もう少し低い感じがします。実際のウルフトーンを⑥弦のG#音とA音の間くらいとすしますと約107Hzです。計算で体積を1Lくらい大きめに見積もっても127Hzくらいですから,その不一致は体積の見積もり誤差では無く,首の長さのようです。おそらく,等価的な首の長さを補正前は0として等価的な首の長さを1.7aとしましたが,もとの首の長さが0というのは極端な仮定のようです。首の長さが0というのは,空気負荷が全く掛からず,共鳴周波数が∞となってしまうからです。逆に補正前の首の長さがいくらならば実測値に合うか(1)式で逆算してみると,0.04mでほぼ合います。縁端補正を含めた等価的な首の長さは11.2cmほどということになります。ギターのボディをヘルムホルツ共鳴器とみなす場合,等価的な首の長さの見積もりがポイントのようです。ともあれ,体積とサウンドホールの大きさでウルフは決まります。


空洞共鳴の解は比較的単純(じっさいには首の長さの見積もりが曖昧)ですが,さらにボディが関与するは表面板の振動モードです。これは,1自由度(単)振動ではなく,板の2次元波動になり,振動体としてはやや複雑になってきますが,その基本共鳴周波数(最も低い共鳴周波数)は,響板を円形とした際,近似的に次式で表されます**。



(4) 


ここで,tは板厚,aは円形響板の半径,Eは板のヤング率,ρ0は板の密度,σはポアソン比です。じっさいの楽器のボディ形状は円形では無いですし,穴が開いています(周囲固定穴開き円板の解析解もある事はありますが,実際の楽器では穴あき部分は殆ど振動せず体積をかせぐのとダクトとしての役目を担っています)。それに木材のヤング率やポアソン比は等方的ではありませんので,これはごく大ざっぱな評価式です(周辺が自由な円板では,上式の0.467の係数が0.412となります。周辺の固定がゆるいと共鳴周波数は下がるという事です)。しかし,このような解析解(式)は,コンピュータ・シミュレーション結果などとは違って見通しが効きます。ボディの表面板の共鳴周波数は,板厚に比例し,面積に反比例することが一目で分かります。ただ形の見積もりが大雑把な上,入れる材質定数の精度も余り良くないでしょうから,上のヘルムホルツの空洞共鳴周波数より更に不正確でしょうから,実際の楽器で調べた方が早いでしょう。ここで示したのは,表面板の最低次の共振周波数(ファンダメンタル・モード)です(実際には,その上に弦の振動などと異なる非調和な高次モードが現れます。これらが楽器の中音から高音の音質を決定付けます。楽器製作家は表面板裏のブレーシングを工夫してコントロールしています)。

現在では,円形などの単純な形状を仮定しなくても実際の形状に基づいて,基本の偏微分方程式から数値的に解くコンピュータ・シミュレーションが容易に出来る様になっています。空洞共鳴と表面板の振動を連成して解けるのかどうかは知りませんが,少なくとも表面板のみの振動解析ならば,現在コンピュータ・シミュレーションで十分可能でしょう。木材はヤング率やポアソン比に極端な異方性を持ちますがそれも取り込みは可能でしょう。ただ材料定数のムラに関しては,シミュレーションでは平均的な数値を入れて計算する事になります。そうしますと,平均的な材料定数が同じなら,手造り無垢材使用の楽器であっても量産楽器であっても結果は同じということになります。さらには,響き具合に寄与する木材の内部損失の取り扱いは,測定もシミュレーションへの取り込みも難しいはずです。

楽器としての大雑把な性質をつかんでブレーシング構造などを決定するには,膨大なカットアンドトライを節約する意味でコンピュータ・シミュレーションも有効でしょうが,演奏家の求めるレベルの音質差の解析までとなると,どうでしょうか。楽器職人が現物をコツコツと叩いてみるのが評価としてけっこう鋭敏な面があると思います。ともあれ,ギター製作者がコントロールできるのは,胴のヘルムホルツ共鳴ならば,響胴の体積とサウンドホールの面積,表面板の様々なゆれに対応するモード周波数ならば,表面板の面積と板厚,そしてブレイシングだという事です。

ヘルムホルツの空洞共鳴にしろ,表面板の低次モードの振動にしろ,大きな共振モードは特定の音程にぶつからないようにする必要があります。ウルフが強く出ない様にするには共振鋭度を下げるのが有効ですが,ロスを増加して共振鋭度を下げたのでは,響きの悪い楽器になってしまいます。ロスを増やさずに(響きの良い材質と構造で)ウルフをうまく分散させるというのが,楽器職人の腕の見せ所だろうと思います。

なお,ウルフトーン近辺では特定の音が強く出る代わりに余韻が少なくなる訳ですが,これは弦の運動エネルギーを迅速に消費してしまうためです。この事は,弦の振動を殆ど空気振動に変換しないエレキ楽器の余韻が長い事からも容易に想像がつきます。ロスの少ない材質や構造は追求されなければなりませんが,アコースティック楽器では音量と余韻の長さとは両立しないという事が言えます。

* ヘルムホルツ共鳴器
**「板とシェルの理論」は,チモシェンコのものが有名ですが,ここでは,西巻,「電気音響振動学」p.74,コロナ社(1978)より引用。

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シロクマ

>>同じボディ・サイズならサウンド・ホールが大きいほどウルフトーンは下がり,逆では上がります。

ここの記述は(1)式からすると逆では??すみません、気になったので、

私の楽器は弾き始めから長くおかないとスイッチが入りません、ロングスリーパーの自分に似たのかな(笑)。体温で楽器及び楽器内部の温度湿度?、弦のテンション含めた「鳴りどころ」に入る瞬間はいつも不思議な感じです。
バランスのいい色んな意味で「理想的な」ギターは欲しいですが、あんまり楽器が完璧になると自分の技量と音楽性が丸裸になりそうで怖いかもです(笑)。
by シロクマ (2016-05-27 22:50) 

Enrique

シロクマさん,ご指摘ありがとうございます。
サウンドホールが「小さい」ほど下がるの間違いでした。まとめ的に書いたつもりでしたが不注意で前後の記述とも不一致でした。本文訂正しました。

楽器の鳴り易さの時間変化に関しては,ここに挙げた様な胴の共鳴周波数のみからは説明出来ない事です。弾き込みや楽器の枯れは,樹脂の結晶化による木材の低ロス化だと言われ,ある程度当たっていると思います。拍子木を打ち鳴らしていると,どんどん澄んだ音になってきます。時間が経つだけではなく,響かせる周波数で振動させなければならない(鳴らない)。楽器は十分寝かせた木で作りますが,楽器になってからも弾き込んでやらないとダメだということですね。

金属なら疲労しそうなところ,木材は更に強くしなやかになるのでしょう。弾いてなかった楽器の短時間での鳴り出し現象も確かにあります。木材の変化には長期間成分と短期間成分があるのだろうと思います。

楽器はシンプルに見れば単なる箱ですが,細かく見れば様々な要素が見えてきます。その完成度にはある到達点というのがあるのだろうとは思います。

by Enrique (2016-05-28 06:23) 

シロクマ

そうですね、ロスが無くなっていくのは納得です。音の勢いあるパワフル感は減ってますね。
楽器的には照明器具の初期照度補正みたいな概念は求められているのかな?なんて思いました。買った時と趣きが違う、、って嘆く人が減るのかなって思いまして。

拍子木もその拍子木の鳴りどころを狙って打たないと響かないのは面白いですね。年を取ると許容が無くなるんでしょうかね、私も年を取るにつれて悲しいかな、周囲の雑音にはそんなに響かなくなっているようですし(笑)
by シロクマ (2016-05-29 15:35) 

Enrique

シロクマさん,私は古い楽器の方が好きですね。パワフル感は減っても,枯れた乾燥した感じの音の方がヨイです。拍子木でも,びんびん響き易いということはコントロールが難しいということでしょうね。
あと,第1次近似的にはサイドや裏板は支えるだけ(固定境界条件)で何の影響も無いとするわけですが,当然音質への影響もありますね。ハカランダの音が良いというのも,振動学的には微妙なところで,第2次近似以降のところで効いているわけですね。

by Enrique (2016-05-29 16:52) 

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