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続?危ない危ない [日常]


あぶない話は終わったはずなのですが,過去の事は,なんぼでも思い出してきます。このブログは同好の人に見てもらえば良い楽しい趣味のものなので,余分な事を書かない方が良いと思います。例えば宗教の話も,しない方が良いものの一つです。「口は災いの元」,「触らぬ神に祟りなし」。

あぶない事を書く気はないのですが,私が若いころ,とある宗教の人たちの勉強会に参加していたと言うと,妻が驚いて,「そんな人だったのか」と,いたく毛嫌いされました。


独身時代住んでいた4世帯の古アパートには2種類の宗教の方がいました。仏教系とキリスト教系です。そのアパートでギターと電子ピアノを弾いていたので,前者の方は,私の様な音楽をやる人は,人を楽しませ愉快にする人だから,菩薩に近い階位の人だと持ち上げてくれました。勧誘はありましたが,丁寧にお断りしました。もう一方の方も,ソフトにですが熱心に勧めてくれました。

私が特に毛嫌いする風でもないせいか,勉強会をしようと言う事になり,私も聖書の勉強ならと受け入れました。何度かの勉強会の後,お誘いがありましたが,「あなた方の活動は尊重するが,私自身が信じるものは科学的合理性なので,それが無いところがある以上,残念ながら私には意味がない」のでと,お断りをしました。


人間が生きて行く上で,科学が万能というわけでもないので,宗教の力も必要です。お互い相補的な役割を果たせれば良いと思います。科学が万能でないからと言ってそれを否定してしまっては何も残りませんし,どの宗教も科学を否定しているものでは無いと思います。方法論が違うのですから,どっちがどうというものでもありません。

多くの宗教は他の宗教や教義を否定します。多くの宗教は生物と同じように,生まれ落ちた瞬間から,その種の存続が重要なことなのでしょう。存続出来なければ,各宗教がそれぞれの教義に基づいて多くの人を救う事もまた出来ないわけですから,それは良くも悪くも無くもなく宗教の宗教たる属性でしょう。


私は,良心的な科学者の,間違いを間違いと認める精神が尊いと思います。それはドグマティズムとは正反対のものです。こころの問題に科学はさほど良い解を見つけていないかもしれませんが,それを調べて行くにも科学的方法論が最も良いものだと思っています。したがって,科学的方法論,その基礎となる論理をすっ飛ばしたような話は到底理解できませんし,すべきものでもないと思っています。ですから,例えばスピリチュアリティとかいうものを私はネグっています。それがどうだこうだという以前に,科学的方法論をとらないものに関わるのは全くの時間の無駄だと思うからです。
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アヨアン・イゴカー

宗教には興味はありますが、自分では特定の宗教を信仰することはできないことも分かっています。昨年のことでしたか、代々木上原の近くにあるトルコの寺院に行って見ました。イスラムの寺院に入ることは初めてでした。しかし、全く歓迎もされず、冷遇もされず、無視されました。イスラム教を熱心に説明されたら少し迷惑かもしれないが、でも少しはして欲しかった、と言う、都合の好い自分勝手な人間なのであります。そこに置いてあった冊子『イスラーム-正しい理解のために-』(宗教法人東京・トルコ・ディヤーナト・ジャーミィ)を頂いてきて読みましたが、その中に次のような説明がありました。

クルアーンに『宗教は強制があってはならない』(第2章第256節)とあるように、イスラーム宗教の選択に関し、人々に完全な自由を与えています。そして、ムスリム(イスラーム教徒)は誰に対しても宗教を強制してはいけないということ、そして自分たちに害が及ばない限り原則としてムスリムでない人々とも友好関係を築くようにと説いています。pp7-8

この説明にあるように実際に寛大であれば、非常によい宗教の一つであると思います。それでも、自分には合わないだろうという直感があります。
私は、むしろ汎神論的な考え方に共感します。万物は仏(=神)であり、その集合体が仏(=神)である、と言うような考え方です。そして、それは宇宙が無限であり同時に有限であると言う考え方と同根です。
by アヨアン・イゴカー (2014-10-06 23:24) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice!&コメントありがとうございます。
本文で,ある宗教は他の宗教を受け入れないと書きましたが,教義的には他の宗教との共存共栄が可能なものもあるのでしょうが,私が勧められた宗教では「宗教が全て良いというものではない」と教えていました。そして,その宗派の解釈に信徒は全て従う,というその辺の独善性も合わなかったのだと思います。どの大宗教にも宗派があり原理主義的なものや現実的なものなどがあると思います。神の御心に従うとは言え,それが人の営みである以上仕方が無いのかなと思います。
世界の人々を理解するには,その宗教を理解する事が必要でしょうが,分からない場合は触れないのが得策なのでしょう。他の宗教と共存共栄できるのが理想だとは思います。私自身は,宗派を越えた仏教的な教えがすんなり入って来ます。
by Enrique (2014-10-07 06:03) 

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