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糸巻き一回転でどれだけ音程変化するか(上げ下げで異なる理由) [楽器音響]

ギターの糸巻き一回転でおよそ半音変わるという記事を書きましたら,Hagiさんが測定して下さいました(こちらの記事とコメント)。おおよそとの断りつきですが,ぴったり半音の弦もあれば,そうでない(全音近く下がる弦もある)という結果でした。高分子特有の変形の応答の遅れもあるのだろうと思いますが,弦による差があるというのは,糸巻きの機構には弦毎の差はない訳ですから,弦ごとに張力の発生具合が異なるという事です。

物体の変形を扱う材料力学では,殆どの場合微小変形というものを前提にしています。これは変形によって形状や材料特性が変わらないとするもので,現実問題として実際には変わっても,それはごく僅少であり,それを考慮することで解析が複雑化するよりも,式が単純明確で見通しがつき,応用範囲が広いという特長があります。先日の計算も,この考え方で,定常状態で張られた弦の上げ下げでは,形状も弾性率も変化しないと考えて単純化しましたが,残る実際とのずれはどう理解したらいいのでしょうか。

ずれの犯人は弾性率(伸び/ひずみ)です。ナイロン弦を構成する高分子と言うのは一筋縄でいかないようです。やはり先日取り上げた,外力に対して変形が遅れるという時間的な問題に加え,Hagiさんが指摘しておられたヒステリシス現象の発生が大きいようです。この現象が調弦時などに感じる実感に関わるようです。機械的なガタも一種のヒステリシスであり,糸巻きの機構的な問題もあるかなと思っていましたが,どうも弦の要因の方が大きそうです。糸巻きはいくらでも精密に作れるわけですし,ライシェルは悪い糸巻きではありません。調弦時の上げ下げのヒステリシス現象は,弦の高分子の変形の複雑さにあるようです。これを精密に解析するのはなかなか厄介そうですので,ここではその機構には立ち入らず,なるべく単純に直感的に考えてみたいと思います。幸いなことに弦というのは,形状がこれ以上ないくらい単純ですから,ある程度理想的な議論が出来ると思います。

ひずみ(弦の巻き取り長さ/弦長)を横軸に,張力[N]を縦軸にとります。ふつう材料特性を議論する場合は縦軸に応力[Pa]を使います。これは単位断面積あたり内部に発生する力[N/m2]ということで,流体で使う圧力でおなじみの単位です。しかし,弦の議論をする際には張力[N]を用いて問題ありません。というのは,材料試験で用いる応力には,「公称応力」と「真応力」というものがあって,引っ張る事による素材の痩せ分を考慮する(本来の定義である)真応力を使うならば,張力とは別物になりますが,痩せ分を考慮しない(引っ張る前の断面積で考える)公称応力を使うことが多く,こちらは張力の単に定数倍になるだけでそのまま対応するからです。そして,弦の議論で用いる値は張力なので,むしろこちらを使ったほうが合理的です。ただし,弦の場合,ピッチ(音の周波数)には,伸びによる痩せ分は弦の線密度の低下に考慮しないといけません。要はどちらを使っても太さの変化を正しく考慮すれば良いだけの事なのですが,分かりやすい方にすると言う事です。

材料の変形を調べる基本は,「応力-ひずみ線図」というものですが,上で挙げた様に,ここでは弦バージョンとして「張力-ひずみ」にします。ただしそこで述べた様に,「公称応力」を使う限り,形は同じものです。スチールなど金属系の材料の場合は,以下の様になります。スチール弦の場合だと,大体これで議論できるのではないでしょうか。
Tension-strain.png
Schematic view of tension curves as a function of strain.

弦のひずみと張力が弾性範囲内で使用されていれば,上げる時も下げる時も同じ様に変化します(可逆的)。先日の巻き取り量と音程の議論はこの範囲という仮定でした。しかし,塑性変形領域に入って使われていると,上げる時と下げる時で弾性率がかなり異なって来ます(非可逆的)。決して同じ道すじを戻りません。ヒステリシスの発生です。弦をある張力にした状態から,上げる時と下げる時で傾きが異なります。すなわち同じひずみを与えても,張力の増減量が異なる事になります。張力の増減量が異なれば,音の上昇分と下降分は異なる事になります。図中で模式的に拡大して示しましたが,A点からスタートして,ひずみを一定量Δε増加させたとする(一定量ペグを巻いたとします)と,A点からB点に変化して,それに応じて張力が増加しますが,そこから同量のひずみを戻してもA点に戻らずC点となります。再度同量のひずみを増加させても,やはり同じ点には戻らず,D点に行きます。

本命のナイロン弦の場合ですが,こちらは伸びが大きく,よりヒステリシスも激しいと思われますが,定性的には上のスチール弦の場合と同様に理解出来ると思います。弦の素材を調べて,その素材の力学的データが入手出来ればもう少し正確な事が書けるかも知れませんが,弦の巻き取り量と張力に関しては,下手な試験データよりも案外ギタリストの方が実感体感的に把握している気もしてきました。理由は,ヒステリシス特性は上昇時と下降時で代表的なものは測定は出来ますが,細かな上げ下げで無限に発生するので,あらゆる場合を測定しきる事は困難だからです。

ナイロン弦の挙動は複雑だと思いますが,案外引っ張られて伸びが落ちつくと,ほぼ線形的な挙動を示しているのではないかと想像します。先日Hagiさんの測定にあった様に,①弦や④弦といった細い弦がより線形的なのがその事を示唆しているように思います。



後注: ひずみが線形であっても,ひずみと音程との関係が平方根なので,常に上げ側のより下げ側の方が音程変化が大きいと言えます。ヒステリシスの発生に関しては,この議論の様なことだと考えます。

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アヨアン・イゴカー

>ギタリストの方が実感体感的に把握している
これが実際なのでしょうが、それでも分析による予測によって、勘だけに頼ることによって起りうる間違いを防ぐこともできますから、何でも、分析したり考えたりすることがとても大事だと思います。(バイオリンの弦を適当に巻いていたら巻きすぎて切ってしまったことがあります。←これは勘以前の愚行でしたが・・・)
by アヨアン・イゴカー (2014-06-08 11:49) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
私もバイオリンのスチール弦を切ってしまった事があります。ナイロン弦はまず切れませんが,せめて応力(この場合は張力)-ひずみ曲線のどの辺で使っているのかが分かれば,巻き過ぎて切る心配も無い訳です。
ギターではギア式の糸巻きなので,捲く量は結構精密に把握出来ますので,捲く回数を数えれば測定出来ます。そしてテンションは,音の高さで分かりますから,これをチューナーなり耳の感覚で測っても良いかなと思います。現物の方が学術的な測定よりも感度が高いと思います。もちろんハイテク測定機器を使えば別ですが。
by Enrique (2014-06-08 20:55) 

Hagi

Eniqueさんの話が面白いので(たぶん男のだけだと思いますが)、何か口を挟めることがないかいつも狙ってます。(笑)
さすがに、名前をリピートされると、こっぱずかしいです。
「塑性変形領域」・・・経験的に感じますし、怪しいとは思っていました。
張られた時から捨てられる運命にある弦、愛おしく思います。
by Hagi (2014-06-08 22:30) 

Enrique

Hagiさん,ご愛顧ありがとうございます。
可逆的な要素と塑性変形的な非可逆的な要素が混ざっていると思います。ナイロンなどの高分子では金属とは変形機構が全く異なる様ではあります。張らせて捨てられる運命の弦を私はなるべく長く使う様にしていますが,詩的なHagiさんとは異なり,単なるケチと張替えのメンドウさという理由かも知れません。
by Enrique (2014-06-09 07:03) 

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