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ギター開始40年 [日常]

子供時代から始めた昆虫採集の方が古い趣味かもしれませんし,一時期釣りにハマっていたこともあったので,そうそう一途にやって来た訳ではないですが,はっきりと記憶にある時期からの通算でクラシックギターを開始して丸40年になりました。期間の長さと言うのは誇れるものではなくて,アキラメの悪さの象徴のようなものです。止めなければ年数というのは延びる道理です。

ギターを入手したのが1973年の夏くらいで,教則本を買って来て音階を覚えたり,基本的なコードを覚えたりしていました。フォークソングの伴奏とかはすぐ出来るようになったので,すこし本格的なものもやりたいと思っていました。当時はNHK教育テレビで,ギターの教室をやっており,阿部保夫さんの終わりのころから見出しました。たしか,小学生の子がソルのアルペジオの練習曲を弾いていました。後に気づいたのですが,Op29‐13変ロ長調(セゴビア版曲集の19番)でした。難しそうには聞こえないので,フォークソングのアルペジオと大差ないくらいに思っていたのですが,とんでもなかったというのはだいぶ後になってから気がつきました。

テキストも買って,自分も弾きながら見出したのは,1974年4月の荘村清志さん担当の時からでした。この時のテキストの前期分は後に知人に貸したままになってしまい,今残っているのは74年後期分のみですが,記憶では一番最後が「アルハンブラ宮殿の想い出」でした。後期分ではリセットされてアルハンブラの後にアラビア風奇想曲が追加されていました。このブロク開始初期にも書きましたが,荘村さんはそれまでの阿部さんのスタイルをかなり変えて,テーマ曲のペルナンブーコ(当時はヴィラ=ロボス作と紹介されていました)の「鐘の音」を毎回生演奏,さらに曲の最後にミニミニコンサートをやるといったものでした。ビデオも無い当時,本放送と再放送がとを,何とか見逃さないように必死に見ていました。若い颯爽とした日本人離れした風貌も手伝って,姉たちはおろか,母親までが参ってしまいました。

現在では信じられない事だろうと思いますが,当時の放送は白黒でした。さすがにウチのテレビも機械はカラーになっていましたが,放送が白黒だったのです。渡辺範彦さんの頃までそうだったと思います。その10年も前の東京五輪のころから,ぼちぼちカラー放送が出てきていて,当時は一般の放送はすべてカラーでしたが,「ギターをひこう」のような教育テレビの番組はまだ白黒だったのです。とは言え,画像を見ながらでしたので,教則本だけの全くの独学よりはだいぶ良かったのだろうとは思います。この番組を見て始めた方は多いと思います。お決まりのパターンで,テキストの曲をいくつかやり,「禁じられた遊び」,「アルハンブラ」,「アラビア風」,「魔笛変奏曲」などにチャレンジしていきます。

翌75年の渡辺範彦さんの時のテキスト(これは前後期分とも行き先不明)に,アンナマグダレーナ音楽帳の「メヌエット」が載っていました。それからBWV996のブーレ。それから,テーマ曲でもあったヴァイスのファンタジー。バロック音楽もギターでやれるのだという,ある意味オドロキでした。さらに,76年の芳志戸幹雄さんの時は,ルネサンスなどのごく古い音楽が,ギターでやれるのだという刺激を受けました。ダウランドという作曲家とリュート曲を初めて知りました。いわば,荘村さんの時はスペインものなど,クラシックギターのスタンダードを,渡辺さんの時はバッハを含むバロックを,芳志戸さんの時はルネサンスや中世の音楽をギターで原体験したことになります。三者三様の個性で,ギター始めたばかりの少年(青年?)からみても,そのスタイルや音楽,ギターの音までもがかなり違うものだと衝撃を受けました。

その後もこの番組はけっこう続いていて,鈴木巌さん,聖子さん,松田晃演さんらの記憶があり,テキストも買ったりもしていたのですが,その後はこちらの事情であまり見なくなりました。平行してそのころから「現代ギター」や当時あった「ギターミュージック」という雑誌を購読し出し,ハマりつつありました。77年には,山下和仁さんのセンセーショナルな記事がギター雑誌を賑わしました。16歳で当時の3大ギターコンクール制覇。そして,その後の活躍はご承知の通りで,一般のギタリストとは一線を画すものでした。

ギター熱は大学のサークルで頂点に達しますが,気の迷いも出ます。渡辺範彦さんの時にギターで弾くバッハの美しさに惹かれた私は,無謀にも取り組みます。当時現代ギター社から出た臨時増刊のリュート曲全集や無伴奏ヴァイオリン曲全集を買い込み,片っ端から弾いてみますが,そうそうは弾けません。やはり現代ギターに載った擬似バロックのポンセの組曲イ短調などもやりました。組曲の中から何とか弾きやすそうな曲をとり出して必死に練習してやっとこさ弾けるという状態で,「こんなのでいいのかしら?」と疑問にも感じてきます。

そんなこんなで,一時期ギターを放棄して,ピアノでバッハを弾いていた時期があります。鍵盤では弾きやすいとは言っても私の技量では,「アンナマグダレーナ」や,やっとこさ「2声のインヴェンション」のレヴェルでしたが,それでも,ギターでは表現が困難な対位法の綾なす世界に酔ったのでした。しかし,その後就職でギターも鍵盤もアウトでした。研修時期の数カ月,鍵盤はおろかギターも持ち込み出来ません。暮れのボーナスでヤマハのpf15を買い,最近壊れるまで使っていたのでした。

就職後,多少余裕がある時に楽器をとり出して弾いて見ても,学生時代に必死に覚えたような曲は,うその様に弾けませんでした。弾けるのは初見で弾く様な初級レベルの曲のみ。ソルの「月光」もひっかかって良く弾けませんでした。ギターでバッハなんて夢の夢。。。

それでも40年間右手のツメは切りませんでした。当然鍵盤弾く時は切った方がいいのですが,それほど気合いが入っていなかったのでしょう。学校時代に困ったのはバレーボールなどの球技で,就職後は職場のボーリング大会でした。まともに右手を使ってツメをやっちゃってからは,サウスポーのふりで左手投球してブービー賞を狙いました。


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黒板六郎

Enriqueさんを3回りくらい小規模にしたのが私のギター歴ですね。もっとも私の場合、就職して即爪切りしました。7~8年前ですか荘村さんのコンサート見て久しぶりに復活して今に至るです。ギターは古い中出輝明のまんまですが、楽譜をネットやアマゾンで探しまくり、技術では永遠に追い付けないボリュームの楽譜を抱える事態になっています。家人の冷たい視線にひたすら耐える日々はいつまで続くのでしょうか。つづく。
by 黒板六郎 (2014-04-06 09:40) 

Enrique

黒板六郎さん,コメントありがとうございます。
40年間1回もツメを切っていないと言う事は無くて,事故で折った際などに切った事もあったと思います。その際,指先がくすぐったいような妙な感覚になりますが,すぐに定常状態に達したと思います。
ギターは手工品で気に入ったものならば,一生モノだと思いますし,楽譜も財産ですね。女性が着ない着物でも箪笥に入っている事で満足感を得る様なものですので奥様にもご理解得られるのではないでしょうか?
by Enrique (2014-04-06 09:53) 

Tommy

Enriqueさんのギターの歴史、興味深く読ませていただきました。
社会に出てからギターの音色に魅せられて自分で弾けるようになったら、何時かは練習をしたい、そしていつの間にか定年退職。そして願いかない今は初心者です。7か月を過ぎて少しずつ練習曲に取組んでいます。何かわからないことがある度にこちらのブログで手がかりを探しています。これからもよろしくお願いいたします。
by Tommy (2014-04-06 10:07) 

アグアド

なんだかとっても懐かしいお話でほっこりとさせられました。
本棚をかき回したらNHKギター教室(講師阿部保夫71年10月から72年4月)、NHKギターをひこう(講師芳志戸幹雄79年4月から9月)が出てきました。
阿部さんは最後の方に「アルハンブラの思い出」が載っていますが、芳志戸さんはなんと「アランフェス協奏曲第2楽章(ピアノ伴奏付)」が載っています。
当時は東京音楽アカデミーの通信講座なども購入し、独学でしたが、大学のサークルで誤りを指摘され、ショックでした。
教室通いも今からでも遅くないかなと思いながら未だに独学を続けています。
by アグアド (2014-04-06 10:54) 

Enrique

Tommyさん,コメントありがとうございます。
御ブログも拝見させていただいて,定年後の初心からのスタートで驚異的だと思います。もっとも若い時の筋力や記憶力は無くても,理解力や分析力は向上しているはずですので,それで可能になるのだろうなと感じています。そして現在は圧倒的に情報量が多いので,合理的なフォームでムリ無く確実にやれば演奏技術はきちんと身につくものと思われます。私は今,新しいフォームに切り替えているところです。
by Enrique (2014-04-06 12:18) 

Enrique

アグアドさん,コメントありがとうございます。
71年のをお持ちだと言う事は,私より少なくとも2・3年は先輩ですね。芳志戸さんの1回目(後期)の時もたしか,アランフェスの第2楽章のさわりをテーマにしていて,上手い生徒が伴奏をしていました。芳志戸さんだったか荘村さんだったかのミニミニコンサートではやはりピアノ伴奏のアランフェス第2楽章の実演がありました。「東京音楽アカデミーの通信講座」も懐かしいですね。私はやっていなかったですが友人の教材などを弾かせてもらいました。
大学のギターサークルは今以上に盛んだったのではないでしょうか。確かに独学だと自分で良いと思っていても,間違いを指摘されることが無いので,その点ギターサークルは教え合いの場だったのでしょう。自分の弾き方が根本的に間違っていたりすると大ショックで,しばらく立ち直れないものですが,好きで上手くなりたいと思っていると何とか立ち直っているものでしたが。教室通いの方がメリットは大きいと思いますが,独学とはそれぞれ特徴はあると思います。
by Enrique (2014-04-06 12:31) 

アヨアン・イゴカー

40年の歴史、大変興味深く拝見しました。
球技と言えば、高校時代にフルートを始めた私は、指を守るために極力球技をしないようにしていました。傍から見れば変な少年でした。
by アヨアン・イゴカー (2014-04-06 15:36) 

REIKO

とても面白く読ませていただきました。70年代のあの時間帯(笑)はひと通り見ていたので、とても懐かしいです。
自分のメインは「ピアノのおけいこ」でしたが、家庭での録画が一般的でない時代、食入るように見ていたのは同じで、昭和46年(1971年)前期のテキストから持っています。その年の後期テキストは表紙が取れてボロボロ、書き込みもたくさんありますね。
ギターの番組ではやはり「ソル」を知ったのが収穫で、クラシックの他の分野では全然聞かないのに、ギター界では超?大家ということが、子供心にも印象的でした。
番組が白黒だった…と言われて、あ~~そういえばそうだったかな?という感じです。でも内容が音楽なので、あまり気になりませんでしたね。
(教育テレビではまず理科の番組などがカラーになったと記憶しています)
by REIKO (2014-04-06 17:32) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
私もギター始める前から球技,特にバレーボールが最もダメでした。どうしてもボールに触らないといけない場合は,げんこでテキトーに打つだけで,勝敗無関係に指を守っていました。突き指なんかしたら,目の前真っ暗ですので。大学時代,テニスは結構やりました。道具を使って手が痛まないのは優れた球技だと思いました。
by Enrique (2014-04-06 19:59) 

Enrique

REIKOさん,コメントありがとうございます。
そーすると,REIKOさんは本格ピアノ歴43年,幼稚園の頃も入れると××年ですね。あの番組,白黒NTSCだろうがモノラルだろうが全然ノープロブレムでしたね。番組はコンテンツだというのが良くわかります。私もやや遅れてピアノ,ヴァイオリン,フルートも時々視聴していました。名番組だといえますね。先生と生徒のレッスン,素材ありのままが良いのに,変に作り込もうとするとロクな事がないのでしょうね。
私もギターではやたらソルの曲が多いなと思いました。カルカッシ,カルリ,アグアド聞いた事がなく,有名作曲家の曲が無かったので,渡辺範彦さんの時にバッハの名を見つけた時は感動しました。
ダウランドやヴァイスも知らない名前でしたが,リュートの大家だというのを知りました。
by Enrique (2014-04-06 20:18) 

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