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曲の難所について考える(5)~具体例その4~ [演奏技術]

実際の曲の難所について,具体例を見ています。

具体例第四回目は,カタロニア民謡,M. リョベート編の「聖母の御子」です。M. リョベート編のカタロニア民謡集は絶妙の編曲で,全くリョベートのオリジナル作品といって良いくらいの完成度を持っていると思います。幾つもあるなかでも人気の高いのがこれです。これから年末に掛けて,弾く機会の多い曲かも知れません。

この曲も前回のマイヤーズの「カヴァティーナ」同様,「易しく聞こえるが技術大変な曲」の一つです。

では反対の「難しく聞こえるが技術それほどでもない曲」とは何か?といえば,「演奏効果指数」とか「ギター曲2Dマップ」の記事で書きました。当然というかそういう曲は超人気曲になっています。


さて,この曲,ミゲル・リョベートの...

誰ですか?「めげる・リョベート」とか言っているのは?

確かに,リョベートの編曲というのは,ギタリストゆえ奏法を熟知したものですが,タレガの高弟だけあってギターのロマンティシズムを高度に発揮したもので,変な妥協がありません。このカタロニア民謡曲集は,元の民謡も素晴らしいのですが,リョベートの名編曲によるところも大きいと思いますので,リョベートのオリジナル作品といっても良いくらいのものです。しかし,さすがにこの曲は他楽器でも有名なので,リョベートの名編曲としておきましょう。

冒頭何気なく始まります。⑥弦レに下げられたベースがオルガン・ポイントとして打ち鳴らされ,強拍に和音が入るシンプルな編曲ですが,非常に効果的です。しかし,旋律の美しさや譜ずらのやさしさとは裏腹の左手のきつい押弦が待ち構えています。3小節目の2拍目で旋律を生かすと,すでにベースのド♯が音価どおり持続できなくなっています。
聖母の御子冒頭.png

譜面どおり弾くとすると,ド♯音を⑥弦でとるという手も考えられますが,前後関係にムリが出るので,二つ目の四分音符のド♯音は,スタカートになるのはいたしかたないことでしょう。むしろ,ベース音は切った方が強調になりますので,それによって高音のメロディに意識が移るといっても良いのかも知れません。

続く第4小節目で,早くも大セーハで山場を作ります。ここの押さえもさることながら,ここへの移動も大変です。しかし何事も無いかのようにすっと持っていかないといけません。ここの内声のレ・ファ#音は楽譜通り持続することは不可能です。気持ちとしてこのように弾く,もしくは記譜上このようになるということなのでしょう。リョベート自身これらの音を持続することは望んではいないはずです。むしろ,ベース音含むシ・レ・ファ#和音を消して打たれる次のミ・レ・ソ#和音への動きの美しさは絶妙で,良く出来ているものだと思います。
聖母の御子2.png

試しにこのミ・レ・ソ#和音を省いて今までの3小節と同じパターンでやってみると,これは全く魅力激減です。この辺からも,この曲は,メロディは必須だがベースは出来れば持続,メロディにつく和音は適宜消えて良いということがわかると思います。

同じ4小節目の2拍目もキビシいです。むしろ前小節のセーハよりも厳しい運指ですが,やはりメロディ優先の原則で処理です。

和音に含まれる旋律を際立たせるために旋律以外を消音するというのはセゴビアの得意技ですが,この曲ではその技を使っても良いのではないかと思います。メロディ優先で,付随する和音はムリに持続させない。持続しないベースは離す。この曲はそのような見切りが重要だと思います。


いくつか有名曲を見てきましたが,中級以上の曲には難所があるのが普通で,それを如何に乗り越えるか?がポイントだというのは最初に書いたとおりです。曲の数×何倍かの大中小の難所がありそうです。近現代の作曲家では,一部のギタリスト作曲家を除いて,ギターを弾けない人の作品が多いですが,これらはいわゆるギタリスティックな弾きやすさとは全く裏腹の,「最初から最後まで難所だらけ」という曲が多いです。「難所だらけ」だと,「ここが難所」と特定することすらナンセンスになってきます。それまで取り組んだ難所対策を総動員してやってもまだムツカシイという状態の曲を解説するのもホネが折れますので,このシリーズ?この辺で終了にします。また気が向いたとき再開します。
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黒板六郎

楽譜を忠実に再現するのが演奏ではないと、へたれ横好きギタリストであるわたくしメは常に思ってました。というか自分に言い聞かせていました。というか開き直っていました。Enriqueさんの今回の解説に、我が意を得たり!と思わず膝を打ちました。もちろんEnriqueさんのレベルと横好きのレベルでは、比較にならんでしょうが、それでもなんかうれしいです。
いつの日かまた再開されることを切に望みます。
by 黒板六郎 (2013-11-09 08:14) 

Enrique

黒板六郎さん,コメントありがとうございます。
「楽譜を忠実に」というのはまず基本だとは思いますが,それ以上に作編曲者の意図を良く見抜く事だと思います。そう言う意味で,良い楽譜を使うことが重要だと思います(安易に簡略化したものでは全く意図が分かりませんので)。物理的に不可能な事を目指しても演奏不能となるだけです。独学時代は弾きたくても演奏不能な曲が沢山ありましたが,今考えると,譜面通りに弾けないという事も多かったと思います。技術不足で弾けないのか,本当に弾けないのか見極める必要があると思います。運指を考えたり,この曲の様に繋がらない音を優先順位つけて見切ることなどの処理も技術の一部だと思います。

by Enrique (2013-11-09 12:12) 

黒板六郎

手持ちの楽譜が数十冊、ネットで集めた楽譜なら数えきれないくらい「所有」しておりますが、ほんとに読み込めているか(弾けるかどうかは無視)と言われると、まったく自信ありません。てゆうか買ったままいっぺんこっきりしか開いてない楽譜がいいっぱい。家人からも白眼視されていますがそれはともかく、一曲をじっくり読みこなすことができません。たいせつなことは曲のつながりなんでしょうね。ここ数年オトナ買いして楽譜まみれになってますが、学生時代に買った阿部版のバッハ・アルベニス・70選なんかの手垢にまみれた表紙をついつい懐かしくながめてしまいます。
良い楽譜、見極めることが難しいですね。
by 黒板六郎 (2013-11-09 13:28) 

Enrique

黒板六郎さん,再コメありがとうございます。
特に有名曲は異版・変版が多いので,要注意ですね。オリジナル版,定評のある版などと考えていますが,どれが良いか分からない場合もありますので,幾つか併せ持つことも必要でしょう。私はマジメに取り組む場合は少なくとも2種類は用意します。
折角時間掛けて取り組むので,時間のムダをしない為ですが,最終的には自家版を作る事になると思います。わたしも最近はネットのデータでも入手していますが,整理が大変ですね。
by Enrique (2013-11-09 15:32) 

アヨアン・イゴカー

>近現代の作曲家では,一部のギタリスト作曲家を除いて,ギターを弾けない人の作品が多いですが,これらはいわゆるギタリスティックな弾きやすさとは全く裏腹の,「最初から最後まで難所だらけ」という曲が多いです。「

これはいつも気にしている部分です。「きっと名人なら弾けるだろう」と言う安易な考えは禁物ですね。
それにしても、ギタリスティックでない難所と言うのは、不勉強をさらけ出しているようで恥ずかしいことです。充分に注意したいと思います。
by アヨアン・イゴカー (2013-11-10 14:33) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
ギターの曲は面白そうですが,一般の作曲の人にはむずかしいようです。ギター弾く人の作品は弾き易いもののパターンにはまりがちですし,弾かない人の曲は目新しくても演奏困難になりがちです。弾き易くて独創的なヴィラ=ロボスのような例は希有です。
20世紀,セゴビアの為に沢山の曲が作られましたが,彼が弾いたのはその一部です。ロドリーゴの独奏曲に至ってはセゴビアは1曲しか弾いていません。有名なアランフェス協奏曲ですら,音域が高過ぎると言って一度も弾きませんでした。セゴビアに献呈された「ある貴紳のための幻想曲」はアランフェスにまけず名曲と思いますが,今度は単純なサンスの曲の編曲でつまんないとか言っていたようです。
by Enrique (2013-11-10 17:38) 

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