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こう弾きたい [演奏技術]

新曲に取り組む前に,演奏を聞くことを余りしません。「聞くのも練習のうち」と師からもよく言われたのですが,イメージが固定してしまうので余り好きではありません。過去に他の演奏を一度も聞かずに発表会で弾いた曲もあります。

自己流であれ一応弾いてみて,時間があれば,他の人どう弾いているのだろう?とYouTubeなどで探してみることは最近はあります。そうすると,自分の演奏の良し悪しも良く分かり,アチラの演奏,さすがプロだと舌を巻くことも多く,勉強点も多い一方,「自分はこう弾きたい」という部分も明確になります。

たとえそれが大家の演奏で自分の演奏よりも千倍良くても,自分はこう弾きたいんだというのがイチバンです。しかし,そのためには自分の演奏も録音するなどして,客観的に聞いてみる必要があります。

以前は録音した自分の演奏を聞くのが嫌で嫌で仕方が無かったのですが,齢とって少しずぶとくなってきたのか,ブログにアップするなどで少し慣れたせいか。さほど何とも思わなくなってきました。良いのか悪いのか分かりませんが。

似たような経験として,企業時代受けたR社の研修を思い出しました。普段の職場でのふるまいなど数十項目につき上司・同僚部下の評価と自己採点したものを突きつけられてディスカッションです。当然ポイントが低ければダメ,高くても認識がズレていればダメ。高くて認識がズレてなければ良いかと言うとそうでもなくて,今度は自信過剰で周りにもそれを押し付けていると。指摘点を反省して自己の改善案などを作って発表,その様子をビデオで撮影されてまた自己反省です。「角を矯めて牛を殺す」作業ではないかと批判しましたが,「この程度で変わるあなたでは無いでしょう」とも言われました。ならばなぜこんなことやるのか?と疑問に感じましたが,自己を客観的に見る機会になっただろうとは思っています。

昨今若い人たちは「就活」に大変です。企業のほうにしても数十人の枠に数万人も押し掛けられたらかないませんから足切りします。学生にしたら優秀でも埒外に振り落とされたらかないませんから,一生懸命就活対策をやります。適性検査含め「素の自分」では振り落とされるので,「企業が求める自分」を演ずるわけです。もちろんそれが「こう有りたい自分」と一致すればシアワセです。企業も,受験エリートは要らないはずですが,難関受験を突破する学生なら就活だって上手に立ち回れます。企業が求める人材は現実的なのでしょうか?何千倍もの倍率から理想的な学生は採れているのでしょうか?採用側・採られる側どちらにしても,結局は各自がどうしたいのか,どう生きたいのかという事でしょう。

話が拡大してしまいました。話を演奏に戻しますと,「こう弾きたい」というのは,「こう生きたい」というのと同じ事なのでしょう。
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glennmie

前の記事とも合わせて、とても参考になりました。
今の私には非常にありがたい内容です。
どうもありがとうございます。

ブログに自分の演奏を上げるようになって、自分なりに随分変わってきたと思います。
ブログは、自分の演奏を客観的に判断できるとても良い場となっています。
でも、他の人にどう受け止めて欲しいかを模索することはありません。
あくまでも自分中心の身勝手な演奏です^^

「こう弾きたい」は「こう生きたい」・・・良い言葉ですね!
せっかく生まれてきたのだから、自分が納得できる弾き方、生き方を貫きたいと思っています。
自分が好きな自分に成長できたら、幸せな人生だと思います。
by glennmie (2012-10-07 01:55) 

Enrique

glennmieさん,nice&コメントありがとうございます。
人に好まれる演奏をしようとしても,自分は他人でないので結局は分かりません。そうしようと思っても却って一人よがりになるかも知れません。
少しでも自分が良いと思ってする行為の方が尊いと思います。
人にどう思われるか?と思った瞬間,生きづらくなってしまいますね。
by Enrique (2012-10-07 07:58) 

アヨアン・イゴカー

自分の演奏技術は別にして、こう弾きたいと言う思いはあります。
いろいろな演奏をYoutubeで聞き比べてみると、やはり個性的な演奏が、自分は好きであることが分かります。発表会のようなもので演奏している演奏は、楽譜通り弾いているのでしょうが、何かが欠けているように感じられます。
音楽や演劇は、何回も再生(演奏、上演)されること、即ち媒介者が存在することが前提ですから、小説、詩、絵画など一旦発表されると、後は全て読み手、鑑賞者に依存している芸術とは異なります。媒介者(演奏者、指揮者、音響設備、俳優、演出家、舞台美術家、音響担当、照明担当など)は、すでに芸術家そのものであり、芸術がより総合的になっています。そういう観点から捉えた場合、演奏とはどのようにあるべきか、どのような演奏が最もよいものであるかは、大きく異なってくるのではと思います。音楽にも映像や演劇と組み合わされた場合の演奏と、演奏会で音楽単体として演奏される場合とで異なって然るべきではないか、とも思われます。

by アヨアン・イゴカー (2012-10-07 10:14) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさんnice&コメントありがとうございます。
演奏の善し悪しといっても,最後は好みだけのようなものですね。自分の演奏となると自分が良いと思う音を如何に具現化するかですね。
すごく上手だけど何か足りないとか,わざとらしいとか感ずる演奏も有りますので,多少ヘタでも充実した自然な演奏を目指したいものだと思います。
一期一会の演奏と繰り返し聞かれるものとではやはりかなり違うでしょうね。
それから演奏のみか映像や演劇と組み合わされた場合とでも。
そのような場合,音楽は主題ではなくて引き立て役なのでしょうが,逆にそれを聞くと映像が浮かんでくるといった相互作用も発生するのでしょうね。
by Enrique (2012-10-07 12:56) 

黒板六郎

その曲に対するイメージは、最初に聞いた演奏に大きく左右されますね。アストリアスやタンゴなどスペインものはジョン、バッハもほとんどはジョン、アラビア風や朱色はイエペス、などなど学生時代に先輩が録ってくれたテープがいわばすりこみでしたね。なかには後から聞いたほうがよく思えることもありました。(たとえばリュート1番のサラバンドはブリーム)やはりいろいろあちこち聞き出すと、多少変わってきます。しかし最初の印象というか影響はとても大きいですね。あんな風に弾きたい、と切に思いますが、イエペスみたいに朱色の塔はずえったい弾けない。ジョンのアストリが弾けたら死んでもいい。マズルカ=ショーロのブリームの音は奇跡だ。etc・・・
あいつらは世界レベルなんだから、そのまま弾くなんてことはできんですが、少しでも近づきたいもんです。1ミリでもいいから。そんなひそかな思いを胸に今日もギターにさわるわたしでした。
by 黒板六郎 (2012-10-08 22:21) 

Enrique

黒板六郎さん,コメントありがとうございます。
大家の演奏は人間業でないようなものも有りますが,一流プロでもアマチュアの弾く曲があまり上手でない事もあります。逆にアマチュアは特定の曲をいくらでも磨きがかけられますから(飽きさえしなければ)大家並みに弾く事だって夢ではないと思います。実際,コンクール出場などで弾き込んだ特定の曲に関しては,無茶苦茶上手な人がいます。私はダメですね。
沢山の曲をソコソコで弾きたいか,少数のレパートリーを磨き上げるかいずれかの選択ですね。
by Enrique (2012-10-09 07:50) 

黒板六郎

そーなんだ!ソコソコか一点豪華主義か。そーかそーなんだ。
本性浮気もんだから沢ソコが向いてるかな。
by 黒板六郎 (2012-10-09 22:55) 

Enrique

黒板六郎さん,再コメおおきにです。
「これは」という曲を,意味あるスロープラクティスで徹底して磨き上げたら,アマチュアでも相当スバラしいものになるはずですね。
by Enrique (2012-10-10 00:05) 

黒板六郎

再々コメです。
ワタシの場合「これは」が多すぎて、なかなかテッテ的な磨き上げがでけませんです。かなしいかな。
年もトシなんである程度絞り込む必要は十分わかっておるんですが、なかなかなかなか。
それこそシャコンヌ系の超難曲から、ディズニーのかわいらしい編曲まであれもこれも「これは・これは・これはetc・・・・・・・・」
それこそ百八つ以上の煩悩に悩まされています。悩むヒマあったら練習すりゃいいのにねえ。
by 黒板六郎 (2012-10-10 20:56) 

Enrique

黒板六郎さん,再々コメありがとうございます。
まあライフワークにして行く曲と,その場その場で楽しめれば良い曲とがあるかも知れません。ゆっくり仕上げても,弾かないと忘れてしまいますが,後は定年後のお楽しみと言う事でどうでしょう!
by Enrique (2012-10-10 23:32) 

黒板六郎

ありがたいアドバイスありがとうございます。
いろんな「これは」がありますね。長ーく弾き込む曲、今弾きたい曲、いろいろ弾き分けてゆけばいいんですね。こんどはその色分けに悩みそうですが。(笑)
by 黒板六郎 (2012-10-11 21:34) 

黒板六郎

追伸
今週のNHKFMは、日本音楽コンクール最終予選の演奏を放送してましたが、今日はいきなりのシャコンヌでした。
本選決定というだけ、見事な演奏で感動しました。同時にこの見事な音楽を同じ調でギターで表現できる(理論上は)ことに、このうえない幸福感を感じました。それこそ決して一朝一夕ではものになりっこない遥かな高みの存在ですが、その大いなるふもとにたたずんでいられるという喜び。突っ立っているだけではなんにもなりませんが、一歩でも進めばそれだけ頂に近づけるという事実。今日はギターを弾いていることに限りない幸せを感じました。
by 黒板六郎 (2012-10-11 22:09) 

Enrique

黒板六郎さん,それって楽しい悩みではないですか?
やはりバッハは特別で,ずっとレパートリーにして行きたいですが,弾かないと忘れて弾けなくなります。大晦日にでも除夜の鐘と共に取り出して見るというのもどうでしょうかね〜。
私はバッハを除いてはオリジナル主義ですね。やはりオリジナル曲は飽きが来ません。熟成するならしっかりしたオリジナル。その価値はあると思います。
by Enrique (2012-10-11 22:21) 

Enrique

追伸のほうですが,私も2人分くらいききました。もちろんシャコンヌは,オリジナルのヴァイオリンがいいですが,ギターでもかなり良いです。聞きようによってはオリジナルのヴァイオリンよりも押し付けがましくなくて良いです。音は伸びない代わりに和音足せますし,言われるほど難しくないですし。
by Enrique (2012-10-11 22:31) 

カステラミルク

こんにちは。

>「こう弾きたい」というのは,「こう生きたい」というのと同じ

名言です。同感です。

私の先生はYoutubeに批判的で、「ああいうのは、あんまり見たらあかんで」とおっしゃいました。
これには「うちの教室はゆっくり弾くの」と続きます。

「こう弾きたい」は、誰かの演奏そっくりに弾きたいと思ってはいけないのですね。
あくまでも、自分の実力を知った上で、気持ちをこめて弾かなければいけない。
ついつい欲が出てしまいますが…。

若い時の生意気やおごりがギターを演奏するときにだけは出てくるのかもしれません。
Enriqueさまの、過去のお仕事や若い人の就活についてのお話を読み、少し、そんなことも思いました。
by カステラミルク (2012-10-12 09:36) 

Enrique

カステラミルクさん,お久しぶりです。
ここはこうした方が良いというのはあっても,やはり自分の演奏ですね。心酔している演奏家になり切って弾くと言うのもアリかもしれませんが,それはそれでも,本人の演奏ですね。モノマネも名画の模写の様に研究としてはアリだと思いますが,常に模写ではいくら上手でも贋作作家ですよね。たとえ上手くなくても自分らしさではないですかね。音楽の目的・演奏の意味は何であるのでしょうか?多少の生意気やおごりも自分らしさならば,いいのではないでしょうか。
by Enrique (2012-10-12 22:41) 

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