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ギターの技術に関する回想 [雑感]

永年やっていて,わずかに進歩があるとすると,それは力が抜けてきたことでしょうか。
力を抜くというのは最も重要なことでありながら,なかなか難しい事です。この事を言うと,必ず出る反論が,「力が抜けたら弾けないじゃないか」という事です。もちろんギターを弾くにはある程度の力が必要です。ここで言うのはムダな力が抜けて,必要最小限の力で弾くと言う事です。もちろん,すでに必要最小限ぎりぎりまで脱力出来ている人はそれ以上脱力すると弾けなくなるでしょう。しかしこの必要最小限の力というのは,かなり小さいと思います。

左手で言えば,左手の重さ程度で十分押えられるものだと思います。それがなかなか出来ないのは,押弦の不正確さを力でカバーしているからだと思います。新曲に取り組んで,譜読み段階から段々スムーズに弾けていく過程で,だんだん手の負担が減っていくことが分かります。これはその曲を弾くためのムダな力が抜けていく過程だと言ってもいいでしょう。

ムダな力を抜くためには演奏の精度を上げないといけません。しかし,必要以上に精度を上げると今度はそれがムダな力みになりかねません。それから同じ技術の人が精度を上げるためにはムダな動きを極力排除しなければなりません。

もちろん,フォロースルーのように,正しい動作をするための動作もあります。その瞬間だけをムダとして取り去る事は出来ません。もしそれを取り去ろうとしたら,正しい動作が阻害されてしまいます。また,例えばピアニッシモでは使う物理的な力は小さいはずですが,緊張が高まらないとコントロール出来ません。だからそこでの緊張も無駄な力みではありません。

脱力の重要性は,良く切れる刃物を使った方がケガが少ないように,小さい力でコントロールが容易だからです。逆に紙などを切るならばハサミやペーパーナイフのように切れ味が鈍い方が良いように,楽な部分は少し余分な力を使ってもコントローラブルな方が良いでしょう。

技術面を言葉で書いても中々わかりません。むしろ,気負いやてらいを捨てて真摯に音楽に向き合う精神面も重要な気がします。若い時の独学でやっていたころも,真摯ではあったと思いますが,音楽に向き合う面ではどうだったでしょうか?とりあえず好きな曲弾ければいい?憧れの曲が弾けたらかっこいい?女のコにもてたい?最後の動機もよく言われますが,自分に関してはあまり無かったと思います。しかし,他大学の女子との合同発表(練習)会の後,詳細は忘れましたが友人のアパートでクダを巻いていた記憶もありますので,あまりオダヤカでもなかったのかも知れませんね。

若い時の特徴は,一足飛びに弾きたい曲をやりたいと思ってしまうことでしょうか。段階踏んでやればいいのに,それでも,やみくもに練習しますから,何となく弾けてしまいます。今から思えば無茶な運指ででも無理やり弾いていました。そして,ずるい(と思う)事はキライ。全然ずるくない事でも自分でずるいと思って阻害してしまうのですね。例えば,音を楽譜の音価よりも短く切ってしまうとか,テンポを崩して弾くとかはずるいと思っていました。今なら,技術面と音楽面勘案して,場合によりそれもありかなと思えますが,そのために全く弾けなかった曲もあったと思います。アルベニスのグラナダやトローバのソナチネなどは冒頭でひっかかってしまって,手が出ませんでした。

また,予め指を用意しておいて次の押弦に備える技術。これは知らなかっただけだったかも知れませんが,少なくとも当時は,どんな複雑な押弦でもその場その場で瞬時に押えなければならないと思っていましたので,それが出来ないのは,技術が足りない,練習が足りないのだと思っていました。ガイド指が使えても故意に離していたのですから,今から思えばおバカです。それに加え楽器の調整面です。だいぶ後に気づいたのですが,私が最初に入手した手工ギターは,弦幅が0フレットで44mm以上あり,また弦高もすこぶる高かったのです。これは技術面の進歩を阻害していたと思います。とある専門店に訴えても,それは練習が足りないのだと一蹴されたのものでした。これは,楽器店に問題があったわけですが。

楽器面の課題も含め,ちゃんとしかるべき人に習えば,OKだったのです。しかし,そういう思い込みのハゲしい若者が,しかるべき人に師事したとして,反発せずにそれが出来たかどうかは分からないですね。若い頃は,そういった技術面の折り合いも,なぜか「ずるい」と感じてしまうのでした。

脱力は肉体的物理的なものだけでなくて,どうも分別が付くかどうかという精神的なものも大きいと思います。むしろ自我が芽生える前に,余計な力を入れないとか,ガイド指を使うとかいった,良い基礎技術を身につけてしまえば,無駄な努力は少なかっただろうと思います。

それから何よりも,より良いものに自分で気づくことが上達の第一歩でしょう。誰だって一流プロのように美しい音で鮮やかな技術で弾きたいと思っています。しかし,具体的にどの部分をどうすれば近づけるかは,なかなか分かりません。バリバリ弾ける人をマネても,まずそのようにはなりません。自分に欠けているものが何かを具体的に気付き,それを得るための努力が必要です。それが自分で出来る人には師匠はいらないでしょう。しかし普通は,師匠から指摘はされても,なかなか改善しないこともあります。

それはそのことの重要性に本人が気づいていないことがまず大きいのではないでしょうか?逆に言えば熟達した師は,生徒にはまず気づかせることが重要と考えるでしょう。本人が気づかないまま,あるいは良いと思わないままに特定の要求をしても反発を招くだけですから。

脱力の話を書いていたら,いつのまにやら師弟関係の話になってしまいました。最後に但し書きです。脱力や動作の極少化,あるいは学ぶ上での心の分別といったものも,目的ではなくて,より良い演奏を実現するための手段だということです。脱力をあまり気にせず弾ける人はとうに克服して技術に余裕がある人でしょうし,師のアドヴァイスに耳を傾ける必要のない人は師の要らない人でしょう。

タグ:脱力
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Cecilia

お忙しい中こつこつと練習されているのでしょうね。
私ももっとこつこつ練習しなければと思うのですが、いつも思いつきみたいになっています。
次女が新たに軽音楽部に入り、エレキギターを購入しました。(バイトをしていますので自力で。)
楽しそうです。
by Cecilia (2011-06-06 16:48) 

Enrique

Ceciliaさん,nice&コメントありがとうございます。
練習量はどうしても少ないので,脱力とか,難しい手の動きを回避するとか,「あまり練習していなくても弾ける技術」を身につけたいと思っています。年の功というか,若いとき弾けなかったところが弾けてきたりするのも不思議なものです。
クラシックギターはマイナーですが,エレキギターはポピュラーでは花形楽器ですから,楽しいでしょうね。お嬢さんバイトとはエライです。ウチのも多少はしているようですが,全くおっつきません。
by Enrique (2011-06-06 17:31) 

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