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ピッチと調の正統性(3) [雑感]

用いるピッチが現在よりも約半音低かったバロック時代の曲を現代の楽器で弾く場合,絶対音高尊重か調性(名)尊重かの問題を考えている。前回はギターの編曲でよくある移調奏のことに触れた。今回は本題に戻したい。

Capotasto.JPG
ギターでオリジナルでない曲にはしばしば移調奏が行われる。また,伴奏などの際の調の変更の問題もる。そこに,さらにピッチの半音変化問題が入ってくる。
具体例を挙げれば,リュートの曲をギターで弾く場合が典型事例である。
3弦の半音下げて,3フレット目にカポタストをつければ,リュート調弦になり,たいていのルネサンスリュートの曲は弾ける。複弦と単弦の響きの差など楽器が異なる(直接の先祖ではなく,形はじめ異なったところも多い)が,音色の違いはむしろ直接の親子関係にあるチェンバロとピアノとの差よりも少ないのではないだろうか?ヴィオール族とヴァイオリン族との差異などのようにも議論されるところである。

2フレットにカポタストをつけた状態。
カポはクラシックギターでもたまに使う。

バロック・ピッチのリュートを再現するには,音名どおり3フレットのカポのリュート調弦では半音高いことになる。この状態で,チェンバロとピアノとを比較した状態と同じになる。

まず,ここで2フレットにカポをつける選択があるかどうかと言うことである。nyankomeさんのところで紹介されていた,P.シンドグレンさん弾く「涙のパヴァーヌ」は2フレットにカポタストだ[1]。本来のリュート調弦であれば3フレットが真正であるのに,あえて2フレットにしているところに,バロックピッチの意識が感じられ,絶対音高尊重主義を実行していることがわかる。

では調を半音低くとっているので,響きは変わらないのか?原理的には平均律だからOKなのである。しかし,何らかの古典音律を使っていればこうは行かない。以前示したように[2],[3],[4]ちょっとした不等分律を用いても,フレットは凸凹する[5],[6]。移動ドが出来ず,調ごとにドレミファの音の間隔が少しづつ異なってくることになる。リュートやヴィオラ・ダ・ガンバの人たちがガットの巻きフレットにこだわる理由がここにある。アナログ的な方法で巻きフレットでイントネーション調整を行っている。それが出来ないギターで平均律で割り切るならば絶対音高の方を重視するという選択肢が有ってもよいということだ。というか,そうしないと,音律の違いを無視(古典音律⇒平均律),ピッチの違いも無視(バロック・ピッチ⇒モダン・ピッチ)と,近似の近似になってしまうからだ。だからせめて絶対音高だけでも揃えておこうと言うことになる。

それに,高フレットにカポをつけると響きがどんどん軽くなってくるので,カポをつけるにしてもなるべく低フレットにつけたいという,楽器の事情もある。そのほうが,響き上は有利である。だから,この場合ギターでは原調尊重主義よりも,音高尊重主義のほうがメリットが大きいと思われるのだ。

オリジナル楽器で無い以上,そこに多かれ少なかれ編曲作業が入り絶対的な正解はない。正解に漸近させるべく,なるべくオリジナルに忠実ということで,古い曲は楽器,ピッチ,奏法ともに古いものに近づけるべく努力することになる。現在の古楽の隆盛は,そのような研究努力からもたらされたものだ。

ここまで述べてきたことは,楽器による差を認めた上で,より良い響きを得ようという試みもあっても良いということだ。ダウランドをギターで弾くのに,わずかカポタストを3フレットにつけるか2フレットにつけるかの違いだが,ここにシンドグレンさんの思慮を感じる。もちろん,3フレットにつけるのが間違いとも断定できない。平均律であっても調固有の響きがあると仮定すれば,絶対音高よりも調性の方が重要と考えられるからである。調弦で半音程度上げ下げするのと,カポタストを1フレットずらすことで,大きな響きの差があるとは思えないのだが,何らかの響きの差はあり,それが楽器の響きのムラであっても,これを含めてその調固有の響きなのだとすれば,原調尊重主義も生きるからだ。

さらに,付け加えれば,伴奏などでの調の上げ下げだが,そもそも響きの純正さよりも転調や移調の便利さを求めたのが,12平均律である。これを用いる以上は,音高を重視し,調の違いにはあまり神経質にならなくても良いと思う。ドレミファとソラシドは平均律では絶対音高の差しかないはずだが,そんなことを言うと,「気持ち悪いことを言うな」と妻が怒る。全く別という。これが,絶対音高で違いを感じているのか,音階的な差で感じているのか,不明だが違うものは違うというので仕方がない。しかしこの移動ド問題と,半音程度のピッチの差問題は別かもしれない。

もちろん歌い手やヴァイオリン,管楽器などの楽器の方は自身の音感覚に基づいた音律で演奏するわけだ(厳密にはずれが生じるわけだが,ギターやピアノでは,ずれがわかりにくい)。それに,これは意見が分かれるところだろうが,技術的な楽さも考慮したい。ソリストを盛り立てるはずの伴奏者が弾くこと自体に四苦八苦では,しゃれにならない。

最終的には聞いた感じがよければよいのだが,原調をとるのか音高をとるのか,その辺のジレンマを分かった上でやっているかどうかが重要なのである。我思うゆえに我ありなのである。(おわり)

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nyankome

「オリジナル楽器で無い」、「楽器による差を認めた上で,より良い響きを得ようという試み」、大体その辺りに集約されると私は思います。

仰るように、リュートの巻き(可動)フレットは不便なようで、ジツは便利なことが、実際に弾くようになって分かりました。
by nyankome (2010-02-12 02:20) 

Enrique

nyankomeさんnice!&コメントありがとうございます。

調性尊重の考え方(音感覚)があるわけですが,ギターでは,もちろん出来ればよいが無理してまでやる必要もない(そもそも出来ない)というのが一応の結論です。理屈上「ああでもない,こうでもない」と書いていますが,実際のサウンドで判断するのが最も重要なことでしょう。

リュートやバロックギター,ガンバなどは巻きフレットを調整してイントネーションしていますが,19世紀ギターではメタルフレットということもあるのか,楽器はオリジナル(レプリカ)だがフレットは平均律というものが多いですね。
by Enrique (2010-02-12 19:40) 

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