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音楽リテラシー [音楽理論]

そう一般化した言葉でもなさそうだが,もともとのリテラシーが基礎的読み書きのこと,識字を指すので,狭義には楽譜を読み書きすることを指すのだろう。

科学リテラシーと言う言葉もある。こちらも定義があいまいで,「科学的素養」くらいを指すのだろうが,日本が先進国中最下位レベルであることは懸念されている。科学技術立国が標榜され,青少年の理科ばなれが懸念されているにもかかわらず,そもそも大人にそれが無いのである。逆に無くてもやっていける,むしろ無い方がえらくなっている?のである。銀行のエリートの殆どが複利計算を電卓で出来なかったと言う話(累乗キーを使わずやるので,少し数学的素養が要るのだが)も聞いたことがある。社長には圧倒的に文系が多いし,政治家の方々もそうである。どうもおおもとは,役所で文官の方が技官よりも偉いところから来ており,構造的に文高理低のようだが,この辺は機会があれば書きたい。

リテラシーはもともとは語学系,母国語のことなわけだが,日本では英語のこれが問題になる。大学まで10年間習ったのに使えない,しゃべれないと。英語教育の構造的欠陥と。しかし,土曜の新聞には,これでいいのだという日本の英語教育の歴史を調べた大学の先生の主張が載っていた。文法を身につけ,読み書きを訓練する日本英語のダメさがトラウマのようになっている身にすれば,ある意味,目からうろこである。限られた授業時間で,へたな会話などやっても,しゃべれるようにはならないし,発音記号をやらないから,発音すら悪いと。訳読であれば母国語並みの高度な内容が読み取れていたものが,会話中心の授業だと,低レベルな文も読めないと。さすがに東大の先生,思ったことをズバッと言えるものだと感心する。もっともな主張だ。さらに記者の編集後記が,「そもそも,数学,音楽,美術,体育,どの科目も使い物になったためしがない」とまとめてある。音楽含め,どの科目も,学校での勉強は基礎の習得であり,個人の努力無しには身につかないという,妙に納得できる落ちである。

たしかに,学校の音楽教育も,「使える」どころか音楽嫌いを産出していた。不思議なことに優等生は音楽も出来た。進学校は受験に関係なくても,音楽でもトップレベルの授業をやる。小中学校で基礎的音楽リテラシーは身についており,コールユーブンゲンなどを使って初見視唱などをやる。現在の指導要領の目標には,小中高ともに,「音楽を愛好する心情を育てる」との文言が入っているが,すでに小学5・6年レベルで,「ハ長調とイ短調の旋律を視唱したり視奏したりすること」とある。おそらく,高校までの音楽教育が想定している音楽リテラシーとしては歌の楽譜程度が読み書きでき,簡単なピアノ伴奏くらいできる,付けられる,程度ではないだろうか?しかし,いったい何割の人がそれが出来るのだろうか。大新聞の記者もエリートのはずである。キャリアの方で50代で始めて3年ほどのギター初心者の人を知っている。ローポジションの単音のメロディーを練習しておられるのだが,驚くべきことに(失礼)ちゃんとドレミで歌える。しかも覚えておられる。熱心で立派な方だが,演奏はなかなか上達しない。

難しいことをいろいろ詰め込んでも,リテラシーにもなっていないので,それよりも,自ら学ぶ力,生きる力をつけようというのが「ゆとり教育」の眼目であったはずだが,現在舵が切られた。ほぼ前面否定のようである。ゆとり導入時も多くの懸念や反対意見を押し切っての指導要領改定だった。壮大な実験だったのなら,その結果と結論をまとめて公開するのが実験者の責任というものだと思うのだが,これは理系の考え方なのだろうか?「変えること」がその回答なのか?現在,税金を使って行うどんなささやかな研究にも当然のこととして社会に対する説明責任が求められるのである。

日本語リテラシーというのもあって驚く。これが日本人向けの大学の授業にあり,文部科学省の競争的補助金まで出ている。日本のリテラシーはほぼ100%ではなかったかと思うのだが,定義が異なるのだろうか。関係者の苦労も顧みず,悲憤慷慨になってしまったが,その定義をはっきりさせた上で,「~リテラシー」という観点で見てみるというのも,教育レベルの一つの分析手段かもしれない。

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