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古楽と新楽? [雑感]

バロック以前の音楽を古楽というようである。特に近年,ピリオド楽器を用い,バロックピッチを用い,当時を考証した演奏法でやるというスタイルが定着したが,そのようなアプローチで演奏される古い音楽分野を言うようである。だから,例えばモダン・ギターで,バッハやヴァイス,ダウランドを演奏しても,古楽とは言わない。ランドフスカ女史が演奏した重戦車のようなモダン・チェンバロの演奏や,ブリームのギター・リュート?の演奏はもう正統でないとして歴史の一ページになりつつあるようだ。

以前紹介した,"The Fitzwilliam Virginal Book"がピアノに置いてある。これがやさしそうに見えるので,弾いてしまうが,妻から,そんなピアノ風な演奏ではアカンと言われる。そんなにスムーズに弾けているわけではないが,もっとつっかえつっかえ(私感)弾かないといけないらしい。妻はピアノが主だが,チェンバロを趣味でやっている。音がギターに似ていて,嫌いでない。実際,鍵盤ではあるが,はじく感覚のようである。演奏も時々聞くが,正直なところ,止まりながら弾いているようなところがちょっと?ではある。もちろん,つっかえて止まる訳でなく,そのように弾くのだそうである。ジャズのスウィングのようなイネガル奏法ともまた違うようで,そもそも滑らかに均等に弾くことなど無いらしい。

ピアノはもちろん粒を揃えた,きれいな音で弾くのが基本だし,ギターはどれだけ苦労して,音の粒を揃えていることか?時代を回帰した演奏を古楽というならば,私は「新楽」も良いかなと思う。モダン楽器で弾いてもいいじゃない,ということである。もちろん,その時代の楽器でなければ見えてこないものもあるだろうし,真の姿を追求する立場もあろう。しかし,あまり純血主義が行き過ぎると,またフツーのもいいんじゃない?となるのではないか?フツーの定義は難しいのであるが。

そもそもバッハやヘンデルをピアノで弾くことや,リュートの曲をギターで弾くことの是非とも相通じる。「何もそんな硬苦しく目くじら立てなくても」と思う。「バッハをチェンバロのような不完全な楽器で弾くのはけしからん」,と言われた時代もあったそうである。バッハが実際好んだ楽器は,チェンバロはもとより,もっと不完全そうなクラビコードだったらしい。ギターの左手奏法を鍵盤でやったような楽器である。音量は絶望的に無く,個人で弾いて楽しむ楽器。しかしリュートが弾けなかったバッハはクラビコードにリュートのニュアンスを求めたのではないか?というのは容易に出来る想像である。

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