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サティとドビュッシーと [雑感]

先日クルマの中でラジオを聴いていましたら,フランス近代の音楽を取り上げた番組だったらしく,セヴラックのピアノ曲が流れていて,曲の終わったところでサティやドビュッシーとの関係に触れられていました。

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年齢はドビュッシーがサティよりも4歳年上で,サティがセヴラックよりも6歳年上。
たまたま聴いた部分では,サティの話になっていて,彼はアカデミックな勉強が合わずパリ音楽院を中退*してカフェでピアノを弾いていたなどと紹介されていました。

彼はいい歳(38歳)になってからスコラ・カントルム**で学び直します。放送では,「ここでは彼は真面目に勉強して卒業した」と紹介されました。変わり者と言うより最初に入った当時のパリ音楽院は彼にはつまらなかったのでしょう。

サティのジムノペディを2曲ドビュッシーが管弦楽に編曲しており,それが放送で流されました。オリジナルの1番がドビュッシーの編曲版では3番に,オリジナルの3番がドビュッシーの編曲版では1番にと入れ替えられており,混乱させられると。ドビュッシー「も」かなりの「変わり者」だったと解説され,ドビュッシー版の1番(オリジナルの3番)が流れ出した時点で,残念ながら当方の第2職場に到着。

変わり者のサティが真面目に勉強したのは意外性があったようですが,むしろ真っ当なことだったと思います。
真面目なポンセも40歳過ぎてからパリ音楽院でデュカについています。当方の最初のギターの師は一般大学出身で機会があれば音大などで勉強したいと思っているとよく言っていました。いちおう専門分野を学んで就職しても「学生時代もっと勉強しておけばよかった」と思うのが普通だと思います。一旦社会に出てから,必要に迫られたり,自分のやりたい事を学ぶのが本物でしょう。

*Wikiには,指導教授から才能ないとされて除籍になったともあります。
**ダンディがパリ音楽院に対抗して作ったそうです。
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