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ピアノの脚とチェロのエンドピンに関して~結論~ [楽器音響]

前3回にわたり,ピアノの脚とチェロのエンドピンの効果に関して,「チェロでのはっきりとした効果がピアノの脚では極めて少ないのは何故か?」という疑問に取り組んでいます。

前回は両者の質量の違いに着目し,それによる両者の境界条件の違いについて考えました。
ピアノとチェロの違いに加え,ギターも俎上に上げました。ピアノは重く硬く楽器が音響系としてほぼ完結しているのに対して,チェロはエンドピンを使うことにより床や建物までをも音響系として取り込むのではないか?と考えました。そして,近年のギターには重くするピアノ的な発想のものとエンドピンを使うチェロ的な発想のものがある例を引きました。いずれも,元来音量の少ないギターにおいてそれなりの効果を上げてはいるものの,多少重くしたものをピアノと比較するのはムリがあるとして,チェロのエンドピン的な発想のものにおいてはチェロ程には効果を上げられない様です。このあたりに,もともとの疑問「チェロでのはっきりとした効果がピアノの脚では極めて少ないのは何故か?」を解くカギがあるようです。


疑問を解くカギは,発音方法の違い,弾奏弓奏との違いが最も大きいと考えます。ギターはチェロとも音域も似通っており,両者は楽器の質量もピアノに対してほどの大きな隔たりは無いので,同条件で比較するのには好適です。

弾奏と弓奏との違いは,発生する音が減衰音持続音かという事です。
振動論的に言えば減衰振動持続振動かということ,もう少し専門的に言えば,弾奏は線形の自由振動ですが,弓奏は非線形の自励振動です。何れかの発音機構で弦に励起された振動は,楽器によって明瞭な大きな音に変換されて出てきますが,その際の両者の振動の発生と伝達機構に着目する必要があります。

ギターやピアノなどの音の特徴である減衰振動を支配するのは,次の基本的な運動方程式であり,定数を省略して形だけを示せば,
\[\frac{d^2x}{dt^2}+\frac{dx}{dt}+x=0 \qquad\text{(1)}\] です。ここで\(x\)は変位です。それに対して,弓奏弦楽器の自励振動を表す最も基本的なモデルとして,次式のvan der Polの方程式があります*。
\[\frac{d^2x}{dt^2}-\epsilon(1-x^2)\frac{dx}{dt}+x=0 \qquad\text{(2)}\] 振動は,第1項の質量による慣性項と第3項の弾性項で発生します。振動自体は両者共通に発生しますが,違うのは第2項の減衰項です。減衰がマイナスになり得るかどうかがポイントです。van der Pol方程式の第2項は負減衰(負性抵抗)になり得ます。\(\epsilon\)はその効果のパラメータで,弓奏楽器ならば弓を当てる強さに相当すると考えられます。正減衰では初期条件で与えられた振動エネルギーを消費するのみですが,負減衰では振動エネルギーを産生するわけです。むろんそれは弓奏弦楽器ならば弦を弓で擦る事により取り込まれるわけです。

両式はいずれも右辺=0で,外力は働きませんが,(1)式では弦に与えられた初期変位\(x_0\)を初期条件**とした振動が発生し,(2)式では弓と弦との摩擦の負性抵抗を表す第2項より振動が発生します。

基本の方程式だけではイメージが湧きませんので,両者の振動(音)の違いを波形で比較してみます。なお,ここは手書きで失礼します。

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図1.弾奏による振動の時間波形(上)と相図(下)


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図2.弓奏による振動の時間波形(上)と相図(下)。通常は原点から湧き上がりますが,大きな初期条件からスタートしても,リミットサイクルに落ち着きます。


上図で示したように,時間軸波形で比較しても両者のエンベローブは大きく異なりますが,各図の時間軸波形の下に,振動の状態を見る相図というものを示しています。これは,時間軸を消去して平面上に振動の振幅と速度を地図の様に表す方法です。両者を相図上で見ると,減衰振動は初期条件から振動振幅と速度は減って原点に収束して行きますが,自励振動ではどの様な初期条件からであっても,一定のリミットサイクル(極限軌道)というものを形成するのが最も大きな特徴です。チェロなど弓奏楽器の一定の持続音は,振動論でいうところのリミットサイクルを形成しているものだといえます。

念のため,図3に自励振動の発生原理図を示しておきます。バネの付いたおもりを横に引きますと,摩擦条件により様相が変わります。摩擦が滑らかなものであれば,スムーズに追従するのみですが,静止摩擦と動摩擦とを行ったり来たりする条件では,いわゆるスティック・スリップ振動が発生します。これが自励振動の一例です。むろん弓奏楽器の弦を弓でひく動作は,このスティック・スリップ振動を発生させている事にほかなりません。
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図3.スティック・スリップ振動の発生原理図。バネの付いたおもりを引くと,摩擦条件によって自励振動が現れる。

さて,本論はエンドピンの効果です。エンドピンによる音量増大効果は,フィードバック効果だといえると考えます。負性減衰と並ぶ信号増大機構として,正帰還(ポジティブフィードバック)というものがあります。これは古典制御理論でもある程度は扱えるものですが,楽器の音響系自体が精密にモデル化できるものでもないので,定性的な話のみとしますと,一番身近な例がハウリングです。PAで,スピーカーから出た音がマイクに入り込んで「ピーーー」とかなるアレです。

ハウリングは,偶発的に形成されたフィードバック系の固有振動数で鳴るわけです。非常に耳障りなものですが,あれもあるリミットサイクルを形成しています。古典制御理論で扱う正帰還ならば出力信号は無限大になるわけですが,現実には当然増幅器で飽和して一定の鳴りに落ち着きます。むろんハウリングは害ですが,正帰還を活用した発振回路そのものは有用で昔から利用されています。

いわば,チェロは,エンドピンを介した正帰還によりホール全体でハウリングを起こして音を増大させていると言えるでしょう***。等価的にリミットサイクルを大きくする効果で明確な音量増加となると考えられます。一方,ギターやピアノなどの減衰振動は(1)式のタイプで,リミットサイクルを持たず,ハウリングを起こす前に音が減衰してしまうので,多少の正帰還効果はあっても,減衰によりフィードバック効果は現れにくいと考えられます。ガルブレイス氏の演奏する楽器では,フィードバック効果は余り得られないため,楽器の振動エネルギーをより効率的に空気に伝えるために共鳴箱が工夫されたのだろうと思います****。


以上,定性的な話になってしまいましたが,現時点で当方が思量した結論です*****。チェロのエンドピンの効果は,弦を弓でひくというエネルギーが持続的に注入される自励振動による持続音において,正帰還で起こるハウリング効果を利用して増大させているものだと言えます。これ自体が特殊な状況ですから,ギターやピアノの線形的動作による減衰振動では,チェロの様な芸当は出来ません。弦をはじいたり叩いたりするギターやピアノの線形振動では,チェロのような非線形振動の真似は出来ないでしょう。発音機構が異なるので,正のフィードバック効果をあまり活用できないということです。

チェロのエンドピンもピアノの脚も,それぞれそれなりの振動伝達は行っているものと考えられますが,フィードバック系に入って重要な役割を果たすものと,そうでないものとの違いだとも言えます。

ハウリングが起こった状態というのは,線形モードとは全く別モードになっており,通常の動作をしません。通常のモードとは全くの別モードに移行しているという事です。ハウリングが起こった状態を線形モードで真似しようとしてもムリという事です。他の例としては,レーザー光なども,光を正帰還で発振させています。通常の光でレーザー光の特異な性質は全く真似が出来ません。この手の共鳴発振現象は最近のワイヤレス送電の原理にも用いられている様です。


「Aでそうだから,Bでも同じ様な事が成り立つはずだ」という,いわゆるアナロジーの考え方は,一つの強力な考え方で,上手くいけば思考を節約することが出来ます。しかしながら,今回見た様に,AとBで動作原理や条件が異なっていたら,表面的なアナロジーが成り立たない事もあるという,一つの例と言えるかもしれません。大いに自戒すべき事です。このような誤謬は,日常生活でも良くやりがちなことです。「お姉ちゃんはこれがきちんと出来るのに,何故あなたは出来ないの?」とか言って無理強いしてしまうとか,「他の国で出来る事が何故わが国では出来ないのだろう?」と言って悩んだり。表面的な比較で「出来るはず」とか言ってもダメで,現実に違いが発生している以上,出来る理由・出来ない理由をきちんと分析・解明する事の方がはるかに大事な事だろうと思います(完)。


*例えば,戸田盛和「振動論」p.59,培風館(1968)。
**ギターでは初期変位,ピアノでは初期速度になりますが,減衰振動である事は共通です。
***分かりやすく言うための極論です。むしろ,発振直前で正帰還を抑える大昔のラジオの再生検波方式の様なものだと思われます。
****おそらく初期はチェロのエンドピン効果を狙ったのでしょう。しかし,ギターではそれだけでは音量増大効果が少ないので共鳴箱に切り替えたものでしょう。
*****この様な解釈は,当方独自のものです。例えば,N.H.フレッチャーとT.D.ロッシングの大著「楽器の物理学」にもチェロのエンドピンは触れられていません。
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枝動

こんにちは。
振動の違いですか。
振動にそれぞれ名称があって、違うというのを知りませんでした。
by 枝動 (2022-01-19 14:51) 

Enrique

枝動さん,
振動そのものは「揺れ」には違いないですが,その発生機構がかなり異なります。振動発生機構の違いにより,減衰振動になるギターやピアノの音とチェロなどの音の増大持続振動との違いが出ます。後者では持続的にエネルギーが注入される為フィードバック効果が顕著に現れると考えられます。
by Enrique (2022-01-19 15:05) 

風神

数式は皆目解りませんが、図で見たりハウリングと聞かされると、解ったような解らないような...(汗)
ピアノ、ギターとチェロの弾奏と弓奏の違いで、発生する振動が異なるという事ですね。また、ひく動作に摩擦が関係しているのは納得ですね。
by 風神 (2022-01-19 21:45) 

Enrique

風神さん,
あまり詳細に書いても解らないと言われかねませんので,説明を端折っているところがあります。数式は振動を表す全くの基本式で,両者の振動の相違点を示すだけですので,無くても結果の図だけで十分だと思います。
発生する振動そのものは同じでも,振動の発生機構が全く異なります。その結果減衰振動と持続振動に分かれるわけですが。
ハウリングは増幅があると発生するわけですが,増幅機構のあるのは弓奏タイプの楽器と考えられます。
by Enrique (2022-01-20 06:13) 

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