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ギター和声学 [音楽理論]

とうに廃版になって古書扱いになっている小船幸次郎著のギター和声学。

演奏者のためのギター和声学 (1965年)

演奏者のためのギター和声学 (1965年)

  • 作者: 小船 幸次郎
  • 出版社/メーカー: 全音楽譜出版社
  • 発売日: 2021/01/17
  • メディア: -
これが「演奏には必要無い」というご意見がありました。

確かに,楽譜の情報をそのまま楽器で音にするというのが演奏の定義であれば,必要ない事でしょう。達者な演奏の為にはそんな知識よりも,指の運動能力の方が大事そうです。

ですので,はっきりと「これが絶対必要」とも言いにくいところはあります。
当方には一般の楽典や和声,楽式の本はありますが,小船著の「ギター〜」シリーズは持っていないので,何とも言えません。そのため現物を一式お借りしてきて内容をチェックしました。

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まず「まえがき」に書いている事がこの本の本質だろうと思います。一般の和声の本に出ている譜例では,鍵盤曲などが取り上げられていて「ギターで弾いてみる事が出来ない。」ということです。まずギター曲は一曲も出てきません。そのため,「一般の和声の本を読んでも意味がない」という意見も当然出てくるのでしょう。

しかし,この本はギター曲のみを取り上げていますので,貴重です。
カルカッシやソル,コストの譜例を挙げているので,むしろあえて弾いてみるまでもなく,「あの曲のその部分はそういうことだったか」と,後付けで確認することもできます。鍵盤の人が,モーツァルトやベートーベンの曲で学習するのと同じ事が親しんだギター曲でできるわけです。
それと,驚くべきことに,1965年の出版なのにも拘らず,数字つき低音の和音表記で説明しているところが画期的です。リュート奏者の中川祥治氏は「これで勉強していたお陰でその後の欧州留学の際大変助かった。」とのことでした。数字つき低音の表記が広まったのは,古楽がさかんになった最近のことでしょう*。当方の妻もピアノからチェンバロをやるにあたって,日本の音大ではやらない数字和音の表記は最初苦労した様です。それひとつとっても名著と言えるでしょう。むろん,全体をギター譜で説明しているところが画期的です。それまで日本語でこういう本は皆無だったのでしょう。ギター界の人は宝の持ち腐れをしている可能性もあります。ギターは和音を出せる楽器で,それが魅力です。演奏は(コンクールを除けば)勝ち負けでは無いので,和声学を知らなくても弾けますが,それは定石を知らずに(駒の動かし方だけ知って)将棋を指しているようなものでしょう。さらに言えば,演奏に最も重要なのは,音を出す前の音(曲)のイメージですが,それが和声であったり曲の構造であったり,いわば曲の地図のようなものです。地図の無い旅には出たくないものですが,アマチュアにはそれも特権でしょうが。

どんな楽器をやるにも鍵盤をやらされるのは,和声学をやるのに便利だからです。メロディ楽器や打楽器では,和声は学べませんので,ピアノの鍵盤でやるのが一番ラクだからです。ギターは和音楽器ですので,鍵盤の代わりが出来る楽器でありながら,ギター曲で説明した和声学がほぼ無い状態でハンディを背負っている事になります。そのハンディを見事に克服してくれる名著だと思います。

むろん読む必要なければ,それはそれで良いでしょう。すでに他でマスターしていれば無用ですし,知らなくてもギターを弾く技術面には支障ありません。むしろ作曲や編曲をやるには和声学は必須となる知識だと思います(むろん作編曲でも和声学が不案内でもやろうとしたら出来ますが,知っていた方が圧倒的に有利でしょう)。かりに演奏だけであっても,曲に取り組んでいて「ここの和音はどうなっているのだろう?」とかいう和声的なアナリーゼが,本を見ずとも自力で出来ればそれはそれでいいですし,そもそも必要性感じなければ要らないでしょう。しかし自分では要らないと思っていても,教師からあれこれ指摘された際に,「ここはドミナントモーションですよ」とか,「この音は倚音ですから,強めに」とか,転調の話とか,終止形の話とか,和声事項に関しての指摘を受けたならば,必要になるでしょう。学校で学ぶわけでは無いので,分かっているところは見直す必要も無いので,あやしい部分の確認のためくらいでも有用なのではないでしょうか。

むろん正規の音楽コースで学んだ人や,鍵盤楽器を学んでからギターに移った人ならばかなり良いでしょうが,ギターのみやっていた人は,ギター向けの楽典や和声学が不足しそうです。むろん和声学はコード理論でも良いのですが,クラシックギターの人は,私含めコードは余り詳しくありません。古典派や前期ロマン派あたりは,和声学を学ぶ上での格好の教材ですが,ギターの人は腕が上がってくると,ソルやジュリアーニ,カルカッシあたりをみっちりやるのではなく,直ぐにヴィラ=ロボスだったり,スペインものだったり,近現代ものだったりをやります。これが隘路です。特定の時代の特定の曲を上手に弾ける様になっても,クラシックギターを広くは楽しめないと思います。

天性の素質を持った人には余り必要ないかもしれません。例えて言えば,ネイティブに言葉を学んだ人に文法は要りません。しかし,我々の感覚はクラシック音楽はもちろんのこと,ポップスでもジャズでもネイティブではありません。むろん沢山聴いたり弾いたりすれば慣れはするでしょうが,音楽の語法に関しては,天性のものはごく素朴なものに限られるのではないでしょうか。

ポップスやジャズなどの歴史においても,クラシック音楽の何百年もの歴史を短期間になぞっているというところがあります。ルネサンス,バロック,古典,ロマン,近現代の流れを勉強すれば,大いに役立つこと必定です。ジャズの歴史ひとつとったって,アフリカの民謡風なジャズ(ブルース)から始まって,ダンスミュージックの用途としてビッグバンド化し,それにより即興でなく,複雑な音のあやをきちんと譜面にすることが行われ,スイング化し,少ししゃれた感じ?のモードジャズに行った流れなどは,まさにクラシック音楽の数百年の流れを凝縮したようなものです。言うに及ばずですが,どんどん高度化して成熟し飽きられると古いものが装い新たに再登場する。まさに古典派-ロマン派-印象派と進んだクラシック音楽の流れを短期間にやっています。和声学は,和声の理屈が確立した古典派-ロマン派初期あたりの和声理論です。本著ではソル,ジュリアーニ,カルカッシ,コストの曲を取り上げています。これらの曲を直接やらないにしても,現在の音楽の基本事項であることは論を待ちません。氏も述べている通り,これ以降の音楽をここで取り上げる事は当然教育書としては好ましくありません。

逆に,古典以前のバロック曲に取り組むには,対位法の知識が必要です。当方も余りまともには取り組んでいないので,えらそうな事は言えませんが,簡単なテーマからちょっとしたフーガを作ることくらいできれば,フーガの演奏ももっとすっきりすると思われます。何分鍵盤の人は,初歩段階でバッハの「インヴェンションとシンフォニア」があるので,本で勉強しなくても体感的に対位法的な感覚は身につきます(むろん本もその手の教材で鍵盤で説明されます)。「ギター和声学」では対位法には明示的に触れられていません。和声学と対位法は専門的には別の分野となっているので,氏もそれに従ったのでしょう。当時の水準ではギターで本格的に対位法的な曲を演奏されることも少なかったのだろうと思います。現在の水準ならば,「ギターによる対位法」も多少なりとも必要でしょう。

むろん,アマチュアが音楽を楽しむのに,「こうしなければならない」と言う事はありません。和声学を勉強しなければならないと言う事はありません。義務教育程度の音楽知識があれば十分です。しかし,何事でも「あんちょこ」で出来る内容では余りオモシロく無いと思います。より良く音楽を楽しむためには最低限のお勉強もまた必要かと思います。むろん学校ではないので,必要性感じなければ無理にやる必要もないと思います。必要に迫られた際や,好奇心があればと言う事でしょう。

名著「ギター和声学」の問題は,とうに絶版だということです。これの復刻版でも出てくれればよいのですが,何分購入者が少ないと難しいでしょう。「ギター和声学」や「ギターの楽典」を新装新たに簡潔にまとめたものが,小川伊作氏著の「ギター譜で学ぶ新楽典」でしょう。この本は狭い意味の「楽典(楽譜の約束事項など)」に加え,音楽理論として,「対位法」,「和声学」,「楽式論」を極めて簡潔にまとめています。タイトルにあるように「ギター譜で学ぶ」わけで,全てギターで弾いてみれる譜例です。専門書(音大学部で学ぶ程度)では「楽典」,「対位法」,「和声学」,「楽式論」の少なくとも4冊にもなる内容を100ページあまりの薄い本にごく簡潔にまとめられています。索引がしっかりしているので,ちょっと分からない音楽用語が出てきた際に辞書的に使うには十分な内容だと思います。

GG535 ギター譜で学ぶ 新楽典 ~実践的音楽理論の手引き~

GG535 ギター譜で学ぶ 新楽典 ~実践的音楽理論の手引き~

  • 作者: 小川 伊作
  • 出版社/メーカー: 現代ギター社
  • 発売日: 2013/09/19
  • メディア: 単行本


小船著の「ギター和声学」はこれで十分な内容だと思います。和音の連結や転調のパターンに詳しいです。もし手に入れば,ギタリストが座右においておくべき本だと思います。むろん日本標準の和声学と少し異なる用語などがありますので,そこは注意です。上で触れた数字付き低音の和音表記や「近接調」(本文に「近親調」とも言うとあります)といった呼び名に加え,普通良く使われる同主(名)調や平行調の呼び方を一切使っていません。特定の「近接調」を特別扱いする事なく,色んな転調の持っていき方があるよというメッセージかもしれません。そういえば,芥川の「音楽の基礎」では学校音楽で学ぶ「近親調」も小船の使う「近接調」すら使っていません。こちらは,様々な転調が調性の崩壊をもたらした歴史的事実を俯瞰したのでしょう。

あと,面白いのが,「和声的長音階」を取り上げていることです。短音階に「和声的」と「旋律的」があるのは承知事項でしょうが,「和声的長音階」です。ラの音に♭がついています。「ギターの楽典」のほうでは,長調と短調の中間的な音階だとしています。例えばCのキーでFコード(IV和音)の代わりにFmコード(IVm和音)を使うことが結構あることを思えば,この「和声的長音階」なるもので理屈がつくわけです。「和声的長音階」はリムスキー=コルサコフの理論書に出てくるそうですが,ドイツの理論書には無いとの事です。

日本の和声や楽典がギターを全く想定していない事に加え,本来理論書によって異なる和声学がドイツ流に固まりすぎていることも氏は何とかしようと考えたのかもしれません。

ここでは,小船著「ギター和声学」中心に触れました。「ギターの楽典」,「ギター音楽講座」,「ギター編曲の手引」の方は記事を改めたいと思います。

*数字つき低音についての記事は過去に書きました。
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アヨアン・イゴカー

大変興味深く、記事拝読しました。
友人に作曲を一緒にやろうと勧められた中学校二年の時、私はメロディー楽器であるリコーダー一本しか持っていませんでした。二本以上のリコーダーのために楽譜を書くとき、合奏したらどんな音になるか頭の中で想像するしかないのですが、和音という塊を確認する経験が皆無でしたので、不可能でした。嫌がる弟にリコーダーを吹かせ、合奏してみて音を確認する、そういう大変な状況でした。高校に入ってからは、オープンリールのテープレコーダーで多重録音をはじめ、だいぶ進歩しましたが、実に情けない水準でした。祖母がピアノを買ってくれたのは、大学3年の夏でした。
和声学と鍵盤楽器、これは対になっているので、鍵盤楽器がなければほぼ理解は不可能ではないかと思います。
by アヨアン・イゴカー (2021-01-15 13:49) 

Enrique

切実なご経験からのコメント,重いものがあります。
ギターは和音が出せるので,鍵盤の代わりになるのですが,ギターを使った和声のまともな本がありませんでしたので,それがこれだったわけです。
シューベルトはピアノが無いときはギターを使ったそうですが,残念ながらギターのオリジナル曲はありません。ギターと調弦が同じアルペジョーネにその片鱗を見ることができますが,ギター曲を書ける人は演奏に精通した人のみというのが,近現代までの常識だったようです。
小船幸次郎の奥様はギター奏者だったそうで,その縁でギターに興味を持たれ,このような著書を残されましたが,残念ながら絶版になっています。和声のみならず,楽典一般や対位法をすこぶる簡略にまとめた小川伊作氏の著書もあまり人気なさそうです。
ギターやる人も鍵盤で基礎を学べばよいのですが,なまじ和声楽器なので,和声学を知らずともそこそこできてしまうところが隘路なのだろうと思います。
by Enrique (2021-01-15 17:33) 

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