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言葉の誤用と正用 [雑感]

昨年言葉の誤用について書いた事があります。
ブログであっても言葉をしたためている以上,言葉の使用は慎重にしないといけません。後で気が付いて直すということもありました。その後気付いたものを挙げてみます。

うがった見方
穿った,すなわち掘り下げた本質を突いた見方というのが正解で,「斜に構えた見方」のような使い方は誤用とされています。ただこれは,単純に間違いとも言いにくいと思います。
なぜなら,物事を表面的に捉えることが普通の環境下では,ヘタに掘り下げた見方というのは却って賛同を得られにくいでしょうから,本来の「うがった見方」も,奇を衒った,ちょっとイジケた見方と取られるかもしれません。とすれば,誤用とも言い切れなくなってしまいます。もちろん,これが誤用である環境のほうがよいに決まっていますが。

姑息な手段
「一時しのぎ」の手段というのが正解で,「卑怯な」というのは誤用だそうです。姑息はしばらく休息をとるという意味なので,特に悪い意味はなく,本来ニュートラルな意味なのが,悪い方にシフトしてしまった言葉の様です。しかし「一時しのぎ」自体,あまり良い印象はなく,そうして逃げようというのであれば「卑怯」とも通じます。とはいえ,医療に「姑息治療」というのがあって,根治治療では無く一時しのぎ的な治療を言うようです。学術語の方が本来の意味をとらえていて変化を阻むので,アンカーが掛かっているとでも言えるのでしょう。しかし,一事しのぎを卑怯と捉えてしまう感覚も分からないでもないので,そうひどくない誤用だと思います。

激しいのと烈しいのはどちらがハゲしいのか
医療用語で思い出したのがこれです。どちらがよりハゲしいのかピンと来ません。何分漢字の数は多く,その意味も多様ですから,当て方だけの問題だろうという気もします。
かつて地震の震度に「激震」,「烈震」というのがありました。現在の震度階級とは異なりますが,一番強いものが「激震」でその下が「烈震」だったはずです。震度においては「激」の方がはげしかった事になります。もっとも,激烈と言う言葉もありますから,激と烈とでは単に強度の違いというよりも質的な違いがあるのだろうと思いますが,辞書を見ても,「『激』は,勢いが強い。はげしい。」で「『烈』は,勢いがはげしい。」とあり,ほぼ区別付きません。激怒するのと,烈火の様に怒るのではどちらがよりはげしいのでしょうか?よくわかりません。

ついでにsuperとhyper,ultraの激しさは
これもどれが上かピンと来ませんが,周波数帯の呼び方を見ると。。。
昔TVでメインに使っていた周波数帯がVHF(Very High Frequency),今のデジタル放送やケータイに使われているのはUHF(Ultra High Frequency),その上の衛星通信などに使われるのが,SHF(Super High Frequency),さらにその上は,EHF(Extremely High Frequency)。これで見ると,very < ultra < super < extremelyという序列が分かりますが,"hyper"は見当たりません。"hyper high"ということはあり得ないのでしょう。少なくともウルトラマンよりもスーパーマンが強いという事は分かります。
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シロクマ

 お久しぶりです。いつもながら鋭い考察ですね。感服します。言葉を言葉で定義することの難しさを改めて感じますね。
 程度の差、順序もそうですが、言葉のあやの中にきっと昔の人々から受け継がれている、けれどもその当人も自覚しえない何か「ツタエタイコト」のようなものが隠れているようにも思えてなりません。そのはっきりとは分からないものを言葉の中に引き継いでいるようにも思います。それが伝わったと分かるとコミュニケーションできて「心地よさ」を感じると思います、特に海外に行ったりすると内容が伝わったことに喜びを覚えたりするのを実感しますよね。
 そしてそれは音楽にも共通な気もします。私は読譜力がまだまだひよ子ですから、音楽の教育を素直に受けたものが思いもしないような疑問をいつも馬鹿みたいに考え感じてしまいますが。たとえ練習曲でも記譜を手掛かりに作曲者が感じ考えたことを推論していく過程で、音を出しながら確かめるとき、まずこの場に表し確認するため、譜面に「今の世界で存在し得る音」を与え、それと同時に、「消えゆく音=儚い命?」を聞きながら、こうした方がいいなどと試行錯誤します。出すアクションと聞くアクションの間がぎこちなくなると録音したとき下手な印象で、無心に気持ちよく歌えるようになると不思議ととてもスムーズな印象です。

形而上は形而上でも、言葉による定義ができない感じと言ったら言い過ぎかもわかりませんが、たぶん作曲者のほんとに「ツタエタイコト」が今の世界に存在し得るときは、意外にそんな「心地よさ」を感じるときかなとも思います。

言葉の使い方の正誤が生まれ、時代によって変容したりするのは、使う人による「心地よさ」に流された故のいたずらなものかもしれませんね。
by シロクマ (2015-03-23 00:59) 

Enrique

シロクマさん,ありがとうございます。お久しぶりです。
言葉を音楽に敷衍してしていただいてのご意見感じ入りました。
私が最近知ったのはメトリークです。一応拍節は感じていたつもりですが,それぞれの重みが全然違うので,それを感じるだけで音楽の流れが俄然良くなります。機械的な拍子ではぎこちなく息苦しくなります。シロクマさんが気持ち良く歌えるとおっしゃるのと共通する面もあるかもしれません。大げさに言えば,指揮者になった積もりで演奏すればよいのだということですが,そのためには技術的余裕がないといけません。ギターではその辺は大変ですが。おっしゃる内容は,メトリークだけではないと思いますが,その感じ方も時代や様式によって異なりますので,その音楽を再現した際の心地よさにも影響するのだと思います。
by Enrique (2015-03-23 08:05) 

シロクマ

 メトリークという言葉は初めて知りました。確かに技術的な「ゆとり」がないとできないかもしれませんが、少しでもその事を意識できるよう鍛錬したいと思います。
 囲碁の実況解説なんかでいうと「この石は熱い」「この石は重い」などとかいう表現に近いのでしょうね、見た目の石は同じなのに(笑)。
by シロクマ (2015-03-23 14:54) 

Enrique

シロクマさん,最近の私の課題をつい持ち出してしまいました。
強拍は落ちる感じで,強拍の前拍は持ち上げる感じとか。指揮棒の感じでしょうか。確かに音符は同じなんですが。音型や和音などによっても拍の重さは変わって来ると思います。
by Enrique (2015-03-23 17:03) 

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