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防災の日に思うこと [雑感]


9月1日は防災の日です。
関東大震災が起きた日にちなんでいますが,直接のきっかけは大きな被害をもたらした制定前年の伊勢湾台風だそうです。この時期は台風被害が多い事もあり,災害に備える戒めの日です。

自然災害と違い,私の場合は完全に人災なのですが,夏休み明けの徹夜明けで宿題を何とかごまかしたとか,まだ終わってなかったとか,そう言うヒドイ状態は前記事に書きました。


葉の加工夏休みの宿題に関しては,父が得意?でした。それはデザイン的なポスターとかです。
ブラッシングが父の得意技で,大きな「ふるい」を使ってやるので自由自在です。筆で絵をほぼ完成させてから,仕上げには必ずこれを使うのでした。形を切り抜いた紙を置いたり,モミジの葉っぱをあしらったりとか。それを取ると,置いてあった部分が抜けて,なにやら幻想的な雰囲気になるのです。それを繰り返すと,レイヤーの様な表現になります。

子供の宿題を手伝ってやると言いながら,実は自分自身楽しんでいたのではないか?と後年兄弟が集まった時に述懐していました。私が直接知る時期は,ずっとある商業をやっていましたが,若い時は都内の航空機会社で働いていて,昭和20年の9月からは,飛行兵となる予定だったそうです。空襲が激しくなり故郷に逃げ帰ったのでした。飛行機会社に勤務したと言え,商業学校出の父が飛行兵にとられるくらいですから,戦況が絶望的であったことは想像に難くありません。戦争がもう少し長引いていたら,私はいなかったわけです。


戦後,祖父と食品会社を経営し,繁華街の真ん中に販売店の出店もしていたそうで,結構繁盛していたのでしょうが,会社をたたみ(その辺の事情何か聞いたと思うのですが,思いだせないままです),その後私の知る商業をやっていたのです。

葉の加工2個人商店のため,時間的余裕はあったのでしょう。
ある夏は,姉の宿題用でしたが,木の葉っぱをそのままブラッシングの型紙に使うだけでは飽き足らず,木の葉を苛性曹達(水酸化ナトリウム)水溶液で煮るという技に出ました。

庭で火を起し,鍋で木の葉っぱをぐつぐつ煮ます。苛性曹達の濃度や煮る時間にノウハウがあるのかもしれませんが,ヤマモミジの葉っぱは結構崩れていましたが,葉の堅いタラヨウではきれいに原形保ったものが出来ました。

洗って乾燥させて葉っぱの葉脈標本の出来上がりです。理系的な扱いではなくて,デザイン的に用いていたように記憶します。今で言うX-rayのような効果を現物でやるわけです。それに得意技のブラッシングを併用して,技術に走った作品が出来上がったのでした。今でもそうでしょうが,子供の宿題の中に,明らかに親が手伝った(作った)作品が含まれている事に,学校の先生はさぞかし可笑しかったことでしょう。


1923年9月1日に起きた関東大震災の話は,学校等で知った他に,当時東京で警官をしていた祖父の友人からナマの話を聞いた事があります。その頃すでに祖父は亡くなっていましたが,90歳を回っていたこの方は,友人の孫を相手に昔話をしてくれたのでした。予期できない地震災害はやむを得ないものですが,その後の事象には人災的側面が現れました。

私の夏休みの「宿題災害」は個人的人災に過ぎませんが,昔話のさらに昔話を引き継ぐと,防災の日は人災の戒めの日でもあると思います。
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Ujiki.oO

 こんばんは、続けて2話、ほのぼのとさせていただきました。 わたしも、そうだったなと共感致すに及び、昔の良き時間を思い出す良い機会を頂戴できました。 ありがとうございます。 本記事の締め括り「防災の日は人災の戒めの日でもある」とは、とても考えさせられる言の葉であります。
by Ujiki.oO (2014-09-03 23:33) 

Enrique

Ujiki.oOさん,nice!&コメントありがとうございます。
昔話が多くなると言うのは老化の一つとは認識しています。
ただ過去の話が自分の記憶の中にしかないと思うと,ちょっと書き留めておきたいという気持ちもわいて来ます。小学校で日記を書かせられたと言うのは,イヤでしようがなかったですが,そんな形で役に立っているかも知れません。 もっとも,日記ならぬ過去記ですが。
by Enrique (2014-09-04 07:14) 

アヨアン・イゴカー

関東大震災で朝鮮人暴動の流言飛語がでました。その時、父方の祖父はたまたまアメリカ人女性と都内を歩いていました。外国人女性と歩いているから朝鮮人に違いない、と詰め寄られた経験があったそうです。その経験もあってか、痛く腹を立てていた祖父は朝鮮人暴動の話などデマに決まっている、とんでもない話しだと言ったそうです。
by アヨアン・イゴカー (2014-09-06 12:30) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice!&コメントありがとうございます。
一種のパニックになってしまったようで,朝鮮出身者のみならず地方出身で方言をしゃべる人とかも被害にあったそうで,祖父の友人は何人も助けたと話していました。
by Enrique (2014-09-06 13:19) 

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