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祖母のこと [雑感]

母の事を書きましたが,祖母の話です。父の母です。

祖父は私が幼稚園に上がる前(今で言う年中の歳)に亡くなったので,むろん覚えてはいますが,つぶさに見れて良く覚えているのは祖母のほうです。私が20歳近くまで一緒にいました。

祖母は母ひとり子ひとりで育ちました。廻船業をしていた曾祖父が幼い祖母を残して海難事故で亡くなってしまったからでした。祖母の母は,のちに大手出版社の創業者を出した大きな米問屋の長女でしたので,実家からの援助も受けたことでしょうが,女手一つで祖母を育て上げ婿をとって曾祖父の家を残したのでした。昔の事ですし,曾祖母は祖母を連れて実家に帰るなんてことも出来なかったのでしょう。そもそも曾祖母が曽祖父とどう知り合ったのかはわかりません。

何分祖母は一人っ子でしたし,父の沢山いた兄弟もみな早世してしまい父も一人っ子状態でしたので,父方の親戚といえば,祖父の実家かこちらでした。末っ子の私でも,地元の実家や東京で出版業を始めた人の荻窪の自宅(現在は区に寄付されているようです)にも連れていかれた記憶があります。

出版の仕事を始めた祖母の従兄弟は同時に研究者で俳人でもあり,この人が教育テレビなどに出てお話をしていた時は片眼白内障だった祖母は画面に顔を押し付ける様にして見入っていました。従兄弟でしたが一族の独特の唇は祖母も共通でした(後にその人の息子のほうが世の中を騒がせますが)。

祖母は,苦労したせいか,モノを異常に大切にしました。貰い物の和菓子などが,我々孫の口にすんなり入ることはまず稀で,大概は固くなるか下手をするとカビが生えているのでした。まず,神棚,仏壇,先祖様にお供えした後,食べられたら孫達の口に入るといった具合でした。床の間に鎮座していたのを失敬して食べた羊羹の味は忘れられません(が,その後どう叱られたかは記憶にありません)。

祖母は自分の母の実家から学者を出したからなのか,教育文化面には熱心でお金もケチりませんでした。料理や手芸なども(編み物を除いては)私の母よりもずっと上手で,母にはあまりさせませんでした。もっとも,編み物は祖母がかぎ針編みで小物制作,母は棒針編みで大物なので守備範囲は異なっていました。祖母の方はお世辞にも上手とは言えず,あまり実用性はありませんでした。

子育てをめぐっても,かなり鋭く対立したようです。家の名を継ぐ「祖母と父」連合と入り婿と嫁という「祖父と母」連合で結構パワーバランスは保たれていたらしいですが,その後祖父が亡くなるなどして崩れてきたようです。

私の記憶でも,子供が熱があるような場合でも,母は「無理に行くことはないよ,休んじゃえ。」という感じでしたが,祖母や父は余程の事が無い限り学校は休ませませんでした。

祖母は,自分の父親の名前から一文字取った孫の私がその生まれ変わりだと堅く信じていた様で,わざわざ,「この子は海で死んだ曾祖父の名前を取っていて水に弱いのは当然なのでプールなどへは入れないでください」と,大真面目に学校へ申し入れていました。一方の母は,「そんな迷信みたいな事を言っているから,この子はひ弱なんだ」と,これまた他人事の様に言っていました。

祖母の母方の家が出版社の成功で有名になったせいか,私の姓につながる祖母の父方のほうはどういう家だったのかは知りませんでしたが,江戸中期から当地随一の俳諧で鳴らした家だったと言う事を後に知りました。両家は直接のつながりは無かったようですが,曾祖父母の結婚で両家の血を引いたのが私の祖母だったのです。

曾祖父母がどのように知り合ったのかはナゾでしたが,その辺にヒントがあるのかも知れません。曾祖父の実家(本家)は現在途絶えてしまっているので,俳諧家との具体的な関係は,菩提寺ででも調べるしかありません。何分5人兄弟の末っ子の私が唯一名前を継ぐなんて思ってもいませんでしたので,ご先祖の話は余り知りませんでした。この辺の調査は定年後の課題かなと思っています。
タグ:grandmother Tokyo
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アヨアン・イゴカー

ルーツですね。とても興味深いお話です。
出版社を創業された方は、国文学者ですね。岩波文庫と並んで古典が充実している出版社でしたが、息子さんの代になってから大分怪しくなってしましました。今昔物語、平家物語、雨月物語、徒然草など持っています。

ルーツを辿るのは、とても面白く、刺激的なことだと思います。父方の祖父は自費出版しているので、ある程度すでに分かっています。母方の祖父については簡単に伯父が纏めていますので、それが頼りです。
精神的に余裕ができたら、私なりに纏めたいと思っています。
by アヨアン・イゴカー (2013-12-24 21:19) 

Enrique

アヨアン・イゴカーさん,nice&コメントありがとうございます。
すぐお分かりいただけましたか。祖母の母方のほうは有名になったので,情報にはあまり困りませんでした。一方祖母の父方の本家筋の方は余り知りませんでしたが,地元の方が俳諧で本家筋を関する本を上梓しておられそれで知りました。今でこそ祖母の母方の出版社の方が有名ですが,実は本家筋の方が俳諧ではずっと先輩だったと言う事がわかりました。ご本家の(本家の)方はしっかり続いていて,こちらの方も東京在住の様です。祖母の母方は大変な癇癪持ちだった様で,私の祖母もかなり気性が激しく,入婿した祖父もかなり手を焼いたようです。しかし,その位であったため,逆境にもめげず,存続してくれたのだと思います。
by Enrique (2013-12-24 23:18) 

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