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マヌエル・ベラスケス(2) [楽器音響]

「マヌエル・ベラスケス(1)」より続く。

このようにして,我々の休暇となったわけだ。私たちは何マイルか下にカリブ海の壮大な光景を持つ丘の頂上に建つ,素晴らしい熱帯のデザインがすてきな新しい純白の家に到着した。まわりの風景は,島の至るところにある絵のように蒸し返る緑色と比べ,乾燥しおおかた乾ききっていた。Juana Diazのあたりの気候は通常安定していて,熱帯雨林よりはるかに少ない雨量の気候は,ギターメーカーの必要条件にいっそう適合するものだ。

暖かく我々を歓迎し,コーヒーを出してくれた魅力的で丁重なベラスケス夫人に出会った。マヌエル・ベラスケスが現われ,私の2人の同僚を抱きしめた。彼は私が期待したより背が低く,微笑することに生涯の傾向を表わした,深いしわの容貌を持っていた。彼の物腰は,長い創造的な生活の間にたくさんの満足感を知った人のように,謙虚で,そして平静であった。

彼に会うと,私は我々に誰か共通の知人がいたことに触れ,ニューヨーク市で何年間も働いていた私の一番最初の師匠の名前に言及した。少し考えた後,彼が60年代の始め,マンハッタン下町のCarmine通りで働いていた時,彼は最終的にマイケル・グリアンを熱心なよく動いた若者として思い出してくれた。

その時は,木工芸のための素晴らしい時代であったはずだ!才能を持つアメリカの最も良いギターメーカーのほとんどすべては,お互い数ブロックの中で働いていた:ジーン・クラーク,ベラスケス,ルビオ,ダンジェリコ(注:アコギ製作家),グリアン。ニューヨーク・クラシックギター協会(New York Classic Guitar Society)と少数の教師とリサイタリスト以外,殆どの人は独立した技能としての手工製作の存在さえ知らなかった時だった。その時注文製として存在するのはジャズギターとしてのスチール弦ギターだけであった。

我々は逸話をかわし,それから彼は私が持って来ていた楽器について問いかけた。彼の妻と若い息子は私が贈り物として私の父親のために作っていた総ローズウッド製のごく小さい10弦のソプラノ・クアトロ(注:ラテンアメリカの4コースの小型弦楽器)をすでにポロポロと鳴らしていた。私のガイドであるマヌエル(注:訪問者の方のマヌエル)はそれを取り上げて,大家のような振る舞いで,それで可愛いネイティブのメロディーを演奏した。(つづく)


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